19.クレイモデラーの記憶
才能。
言葉で書けば単純なものである。しかし、開花させるまでには人それぞれ違うルートがある。
誰しも何らかの才能を持っている。秀でているか否かは、その人が進む分野になって異なるものだ。
綺音が呉井に対して感じた才能は自分とは全く異質なものであるということだけは確かだった。
音楽が綺音の才能であるならば、その手を握って感じた呉井の別の才能というのは何なのか・・・。
綺音は望む答えが返ってこないことは覚悟していた。
「私の父は・・・」
身の上話から呉井は切り出した。
「航空機の設計をしているの」
「航空機?」
「正確に言えば、今戦争で空を飛んでいる無人機のこと」
綺音はドキッとした。そして、胸を押しつぶされるような寒さを同時に感じた。
「この国の技術者が海外でその腕を振るうことは望ましくないと父は言っていた、それでも父は作り続けた。そして今この時も作っていると思う」
「そう、なんだ」
「きっと、その無人機は誤って人を殺していることもあると思う。」
「どうしてそう思うの」
「機械には独特の音があって、その音の共振は機械がもつ目的に向かった形が自然と語ってくるの」
呉井は、ティーカップに手をかけて、一口、ほんのわずかだけ紅茶を口に含む。
「私は、ここに来るまで父の仕事を手伝っていたの。冷たい、鉄の羽を持ったあの航空機を形作っていた」
「えっ」
綺音の悪寒がさらに増していく。
「私は、ある時を境に目の前にデザイン用の粘土の塊をいつも用意されていた。学校が終われば、それをこねて器用に飛行機の形を作るの。ただひたすら、自分が思うように、早く飛べるように、そして何よりも美しい形にしないといけないと思いながらその塊を削り続けた。」
呉井は言っている意味がわかる、と聞きたげな目で綺音を見つめた。綺音は悪寒の正体が空を飛ぶ機械の塊の作り手であったことに由来したことを理解していた。ただ、彼女にその敵意を向かわせる理由がないことがすぐにわかった。理解と同時に悪寒は引いていく。
「父はいつの間にか気づいていたんだ。私にデザインを任せることでほかにない自分の設計を活かすことのできる航空機を作れることに。日ごとにそれはエスカレートしていって、軍用のデザイン室に何日も滞在させられたこともあった」
「それはつまり・・・」
「私は、人殺し。自分が直接的に手を上げなくても、人を殺すための道具を作ることに加担していた。」
綺音は、声を詰まらせて聞き続けた。
「こんな風に声をかけてくれても、私のことを聞いた途端に距離を置く。だからこの国には戻れなかった。ずっと軍の施設にいるしかないと思っていた。でも、父は突然帰るように仕向けられた。」
綺音の想像はある程度形になっていた。そして、綺音の父のことを同時に想像していた。もしかしたら、呉井がデザインした航空機によって命を奪われたのではないかという、端的な想像だった。
「どうかしているよね。」
「そんなこと・・・」
「転校してすぐに、話を聞いてくれると思って声をかけたあなたにこんなことを赤裸々に話すことなんてないのに」
「望んでそうなったわけじゃない・・・そうじゃない」
「忘れるっていうほうが残酷なんだよ、こういうことって。今更普通に戻れるわけないってね」
平和。平穏。
そんな普通に流れる生活自体、呉井の知らない世界なのだ。だから、それだからこそ余計にこのたったの数日が現実に思えなかった。そんな叫びが聞こえてきそうな言葉だった。
「だ、大丈夫だよ」
「理由はあるの?」
「うん。私の父は航空師だった。今は生きてるかもわからない。軍の関係でずっと、1年以上前から家には戻ってない。きっと戦争だからそうなんだと思う。もしかしたら、もう・・・・。」
「え・・・」
「言葉に詰まるようなことでもないんだけど、それでもね、私は普通にしているし、みんなも普通にしている。うちの学校ってね卒業すると半分くらいは軍に進む学年もあるんだ。」
「そんな・・・」
「別に、好きで進むんじゃないよ。戦争がよくないことだってわかっているからどうにかしたくてみんなそうしているんだよ。」
「じゃあ」
「私は軍にはいかないし、戦争なんて好きじゃない。きっと平和ボケなのかもしれないけど、たくさん抱えてるわけでもない。だけどね、私が笑顔じゃないと悲しいなって思う人が一人はいるから。だから、私の周りだけでも、少しでも暖かくなる音のある世界にしたいの」
「音のある世界・・・」
「うん」
呉井は思い出していた。自分が造形用の粘土と向かう時のことを。
静謐な世界の中で突如として浮かぶイメージを、できる限り精巧に、自分の持てる腕の力、手のぬくもり、指先の微細な精度で形を付けていく瞬間。自分の中に流れているものを。
何もない世界に、イメージを描いていた立体物が目の前に現れる。それを作り上げてる瞬間を。
「藤木さんは・・・」
「私ね、音楽やってるの。・・・今はバンドっていうのかな」
「バンド・・・」
「そう。昔はね、一人で声が出なくなるまでずーっと歌ってた」
なんだか似てるね・・・呉井はそれが言葉にできなかった。
自分が作っているものとはかけ離れている。道具を作っている自分とは歴然とした差だと感じた。
「さみしいときにさみしさを埋める才能をくれたんだと思う。でも、こうやっているのが普通で、深く考えたら幸せだったりするのかな」
「そんな風に思えるほど私は、立派なことできないよ」
話を聞きたいと思わせて、話を聞かせるつもりがいつの間にか呉井は深く落ち込んでしまっていた。
「あ、でも、偉そうなこと言えるようなことないから。わたし。」
綺音はぎゅっと呉井の手をにぎった。とっさのことだったので、少しテーブルが揺れる。揺れれば十分にこぼれるだけの量の紅茶がソーサーの上に落ちた。
呉井の音のない世界は、ただイメージを形にするための静かな水面のような世界だった。イメージは音もなく水面から湧き上がり、綺麗な音だけを残して空を飛んでいた。小さな男の子がするような想像をいつもしていた。ただ、それを形にするのが楽しかった。ただそれだけだった。
そんな単純な喜びはいつの間にか父親に利用され、利用していたという後悔の念がそのそばから吐き出した理由だったことを改めて知らされた。ただ、綺音の手のぬくもりはその思いから少しだけ解き放ってくれると思えた。
「ちょっとこぼれてしまったね」
目線を横にそらすとそこには秀哉がいた。
「替えるけどいいかな」
呉井は首を軽く縦に振った。秀哉はそれを確認すると手際よくカップを下げ、新しいカップを用意した。
「僕は海外に渡航した経験はないけど・・・、海を渡った気持ちになったことはある。このお店を始めて、そうだね、君みたいなお客さんが来たときかな。」
「秀哉さん・・・」
「まあ、綺音ちゃんみたいな子だったよ。不思議とね、こんな感じの子がよくくるんだ。あの・・・美紀ちゃんもそうだったかな。まあ、そのずっと前だよ」
言葉にしながら改めてあっためていたティーポットの湯を注ぎ、新しく紅茶をたてる秀哉。
「なんだかね、みんな悲しい記憶とか過去とかを語りだしちゃうんだ。それを見てね、少しでも笑ってほしいって思ってさ。コーヒーだけじゃなくて紅茶も用意するようにした」
入れなおした紅茶を呉井の前に置き秀哉は続ける。
「この紅茶を出した初めてのお客さんがなんていったと思う」
「さあ・・・」
「おいしくないですよ、ってね」
「笑えないですよ」
「うん、確かに。でも、なんだか笑ってくれたんだ。おいしくないのに、そして何でか聞いたんだ。答えはシンプルだった。『私の昔みたいな味だ』って。それを聞いて、また二人で笑ったんだ」
秀哉が言いたかったのは、つまり、他愛ないことになるには時間が要って、その時間を短くしてくれるテイストがあるとうことだった。
「でも、私はこの手で・・・」
「いい才能じゃないかな。イメージを形にできるってさ。僕は、味の試行錯誤さ。才能があるなら・・・鈍いことかな」
「言えてる」
プッと綺音が笑った。
「よく言われるから、そう言うようにしている。あ、悪かったね話の邪魔をしてしまったみたいで」
そういうと秀哉は下がっていった。
「ちょっと店の奥で作業するから、何かあったら言ってくれ」
「はい」
場の空気を読むというのはこういうことを言うんだ。綺音は大人の配慮を感じた。
注ぎ直された紅茶を呉井は口にした。
驚いた顔をして、みるみる目の中に全く別のものがこみあげてきた。
涙だった。
こんなに泣けることないし、泣くことなんてないのに、たった一口の紅茶が呉井の何かを呼び込んだ。
「どうしたの・・・」
「藤木さん・・・」
呉井は涙を拭きながら続ける
「あの人・・・何者なの・・・」
「え・・・、まあ、気のいいお兄さんだよ」
「そうなのかな・・・」
呉井の口の中に広がったのは、あの無機質な部屋の中で、こんこんとイメージを形にしているときに父が入れてくれた紅茶の味だった。まったく同じその味覚。父が掃き出した意味はこんな単純なことだったのかと、どうしてそれに気付けなかったのか。離れたからわかったつもりでいたのに、それが余計に悲しくなった。同時に、一緒にいてくれればよかったのにと思った。
「ばか親父・・・」
呉井は綺音に聴こえないほどの小さな声でつぶやいた。
自分は利用されたのではなく、父が利用したのでもなかった。ただ、ただ無邪気に想像を形にする才能と向き合う我が子を誰にも奪われたくなかったのだと気づいた。だから、だから・・・。
「藤木さん、ありがとう・・・。」
「え、あ、どういたしまして・・・」
「よかったら、藤木さんの歌・・・聞きたいな」
「ちょ、ちょっと・・・そんなつもりじゃなかったから。」
「別に今じゃなくてもいいから。」
「あ、うん」
「ありがとう」
背負ったものの違いはあっても、彼女たちの世界にはまだ音がある。
たとえそれが感じることができなくなっても、伝えられる何かがあるのだと呉井は思い、感じた。
カラン、コロン。
入口から音がする。
「てんちょー!今日も出勤でございます!!」
元気よく入ってきたのは美紀だった。
「あ、お客さん・・・いらっしゃいませ・・・」
顔を赤くして美紀が店の奥に入っていく。
綺音と呉井は思わず笑っていた。
紅茶が冷めないうちに、それをすべて飲み干し会計を済ませて二人はそれぞれの家路についた。
綺音はいつもより優しく自転車のペダルをこいだ。彼女の中にまた新しい音が生まれた。