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Trace of the resonance  作者: Lyric a little lies
17/29

17.音のある世界で

4人でのクレイドルライブの後、静かに4月は始まっていた。


自転車通学で相変わらずの通学路を走る綺音は、家を出る際にミケがいつもよりなついてくるようになった気がしていた。猫の気持ちは分からなくとも、行動が変わるきっかけがなにかあるのではと思うことができた。


正確には、少し気づけるようになったという状態だった。


相変わらず母は忙しそうだった。でも、彼女が少し楽しそうにしていることも最近になって気づけた。


いろいろなことが綺音を少しだけ前に進めてくれているようだった。


通学路には少し遅い桜が咲いていた。美空ヶ丘高校の近所の桜は、他の地区に比べて遅咲きのものが多く、気候的な理由と品種改良の結果がそれを実現しているのだ。


入学式を迎えるころはまだつぼみだが、学生たちがにぎわう頃にやっと満開になる。


東都でも有名な桜の名所として数えられている。


自転車を駐輪場へとめ、始業のベル30分前に綺音は教室へ入る。前の高校にいたときからのルールみたいなもので、30分という時間には何かとこだわっていた。そのルールを崩すときは綺音にとってよっぽど大きな事象が降りかかってきたときだけである。たとえば、少しリラックスしたいときとか、緊張をもって臨みたいとき、時々において自分のルールを崩しながら自分を高めることを綺音は自然と覚えていた。


平常心を保つには一定のリズムが必要だと父が繰り返し言っていた影響もあるのかもしれない。自然とこなせるようになっていることを時々父に感謝することが綺音はあった。


今は、その礼を直接伝えるすべはないのだが。




4月からはクラス編成も少し変わった。進学を目指す者と独自の道を進むもの、軍への入隊を志すもの大きく分けると3つの道を選択できるようになる。どれが正解というわけでもないのだが、誰もが若いながら道を違えないようにと希望を出す。綺音も当然希望は出した。幸い、軽音部のメンバーと同じクラスになった。独自の道を歩みたいと思ったそれぞれの思惑がたまたま一致したのもあり偶然にしてはできすぎの結果であった。


可もなく、不可もなくである。


担任は武藤が務めることになった。これも綺音にとっては後押しになった。


ライブの後、ゆっくりと武藤と話す機会はなかったが、クラス編成後にゆっくりとそのことについて話す機会が取れた。ライブの仕掛け人が武藤であり、それに水巻が賛同したという結果だった。だから、クラスメイトや生徒会の人間を含めた美空ヶ丘の生徒が多く訪れてくれたのだった。


嬉しい気持ちと少し複雑な気持ちもあったが、大部分が学生という違和感よりも、少数でもそれ以外のオーディエンスがいたことは綺音たちペグヨンには貴重な経験になったと武藤に話した。武藤もそれに頷いていた。


転入当初はここまでこの武藤のことを信頼することになるとは想像もしていなかったし、武藤もここまで入れ込んでしまうと思っていなかった。そんな話を綺音がすると武藤はむせぶように笑うのだった。




静かすぎる時間は上空で毎日のように起きている無人機による戦闘が嘘のように感じられた。


肌で感じる戦争なんてありやしない、ただゲームのような機械同士の消耗戦が毎日繰り返され、それを他人のことのようにテレビを通じてみる。それが東都の学生にとっては普通であり、綺音たちの日常であった。もし、この空に響く音があるとしたら、戦闘機が風を切り裂く音や爆撃の音ではなく、誰もが自分のうちにある音楽であったらいい、なんて思うことも綺音はあった。


父が起こしたかもしれないこの事態を嫌悪することだってある。だが、それを自分がどうしようもないと憂いことも重々承知していた。




ふっと窓から校庭の様子を眺める。風は優しく暖かかった。


春。


変わらない春。教室には始業に間に合うように駆け込んでくる優斗の姿があった。


意外に同じクラスにいると話さないこともある。それぞれの級友と談笑を楽しむこともいいのだ。


それでもつながれる場所があるから。綺音はその気持ちを大切にしていた。


始業のベルが鳴る。


ホームルームを知らせるその音に合わせて、武藤が教室へ入ってくる。


「え~、おはよう」


主席簿を開き出欠の確認を始める。いつもの朝礼。


いつもの風、いつものクラスメイト。


あることで満たされる時間に、静かに自分の音楽を綺音は奏でていた。頭の中で、誰にも聞こえないように。


ふと、武藤が言葉を止めてあることを伝えようとしたのを感じ、綺音は武藤を見た。


たまたま目が合うが、大したこともなく視線を外す武藤。そして、その視線は武藤が入ってきた扉のほうにむけられた。武藤が連れてきた、いや正確にはついてきたのは転校生であった。可憐な感じの少女はすこしおぼつかない足取りで教室へ入ってくる。


武藤があいさつするように促す。それに応えるように少しうつむきながら転校生はお辞儀をした。


武藤は黒板に転校生の名を記す。


「呉井真希奈といいます、よろしくおねがいします」


そういうと目を伏せながら、武藤へ合図を送る。武藤は打ち合わせとちょっと違うなぁという顔をしてもう少し話すように促す。しかし、思うように言葉が出ずに困惑する呉井。


仕方ないなという感じで武藤が簡単に紹介を始める。


「え~、今日からこのクラスの仲間になる呉井さんだ。彼女は、ヨーロッパの造形専門の高校に通っていたが、このたび帰国してこの美空ヶ丘に転校することになった。詳しいことは・・・まあ、そのうちで」


全然まったく詳しくない武藤のアバウトな説明だが、帰国子女らしい。


東都内での転入ですら珍しい中、海外からの転入とは異例中の異例と言っていいのかもしれない。


当然ながら、好機の目で見られるのも仕方ない事なのだが、校風が自由な美空ヶ丘であればそう案ずることもないようだ。


優斗の席の横が空席になっていたためそこに呉井は座ることになる。


「時期をみて席替えするから心配しなくていいからな」


「先生、時期って?」


こういう時に必ずくってくる生徒がいるものだ。


「俺の、気分だ」


明確な回答を避けるあたりが武藤のやり方らしい。席替えはクラス内の一大行事である。


不人気な席は教壇の前の2席、移動教室の場合は、コの字型に生徒が座るあたりから不人気度合いの高さがわかる。しかし、意外とこの席は穴場であり、教師の死角になっていることを多くの人間は知らないものだ。人気のある席は、教室の後方の左右の隅っこである。


まあ、席替えが実現するのは当分先だが、転校生が入ってくるとクラス自体もにぎわうものだからいい傾向なわけだ。




綺音は転校した呉井のことを気にしていた。環境は大きく異なるにしても、転校するという心理は少なからずわかるものだった。いわゆる美術専門系の高校から、しかも海外からの転入というのは気が重かっただろう。自分もそうだったように彼女も同じように悩むのかと考えていた。


綺音の中の音は少し変化していた。それは、転校という言葉で心がざわついたせいもあるのかもしれない。


武藤は、ホームルームを切り上げると、授業のため別の教室へ出向いた。代わりに小嶋が入ってくる。副担任であるが武藤とは全く違う性格であるし、当然ながら性別も異なる。


わりと美人で評判がいいのが小嶋であるが、授業の専門性からか、講義中のスタイルはあまり好かれていない。非常にマニアックなことを言うせいもある。専門は外語であり、小嶋自身も今まで語りはしなかったが複数の外国語を話せるというのである。


このエピソードを披露したのは、呉井が教室へやってきたことがきっかけだった。


始業のベルが鳴り、淡々と授業が始まった。難解な文法の解釈と訳をする外語の授業は、慣れない言葉と文化に触れる上で大切なものだ。しかし、退屈なものである。


授業の序盤に小嶋は呉井に話しかけた。


「えっと、呉井さん、はじめまして」


「はい」


「よろしく」


「はい」


素っ気のない反応を見て小嶋は呉井の話題を深堀するのを早々にやめた。


クラスのみんなが違和感を感じた。


普段であればもっと聞くはずの小嶋だが、すぐに切り上げたことはなんならかの配慮があったのだろう。そのあと、優斗が当てられ、難解な外語の訳を命ぜられた。


「はい、本城君これを訳してください」


「えっ・・・」


難しすぎてまったく訳ができない優斗。完全に絶句する。


美桜に助けてくれと目線を送るが、美桜もまったく難しくて困り果てていた。


綺音はあえて目を合わせずにいた。優斗は完全に沈黙してしまった。


が、視線を横の呉井に落とすと不思議なことを発見した。


ノートに訳がしっかりと記載してあり、それをあて優斗の目につくところに置いてあったのだ。


それを見てすらすらと答えればいいものを、優斗は戸惑っていた。


プライドが許さないという部分、今更答える恥ずかしさ、いろいろであった。


「すみません、これは訳できません」


ギブアップした。結果、これが小嶋が呉井に答えるように促すきっかけになる。


「呉井さん、わかる?」


「はい」


「では、お願いします」


小嶋のいやらしいところはほぼ難解なものを時々出題に織り交ぜてくるところであり、その99%は回答不能のものである。しかし、今日は違った。


小嶋の持っていたテキストが床に落ちた。


呉井がすべて訳したためだった。


「お見事・・・」


そのあとは淡々と授業が進んだ。終業のベルが鳴る。


小嶋は終業後、呉井と話していた。話の内容はおおよそ図り知れた。


どこの言語なのかわからないが、あえて国語では話していなかった。ほかの生徒に聞かれても問題がないように呉井がいた国の言語で会話をしていたのだ。


その話がおわると、満足そうに小嶋は教室を後にした。綺音の中の違和感がまた膨れた。




放課後、綺音は思い切って呉井に声をかけることにした。違和感が綺音にその行動をとらせたのは間違いなかったからだ。






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