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Trace of the resonance  作者: Lyric a little lies
15/29

15.3月1日(5)

刻むビートは紘子の音だ。重厚なドラムの音でありながら、刻む細かい音は柔らかさをもっている。


紘子は綺音と最後にセッションするであろう貴樹の音を自分なりに想像しながらドラムをたたいていた。


それが皮肉にも、いやどうやったとしても紘子の音になっていることは誰が聞いても明らかだった。


貴樹がたたくドラムの音は誰も知らないのだ。


普段はキーボードで奏でられる貴樹の音をドラムで再現しようということ自体がむりだし、どの程度のビートで刻むのかだってまったく想像ができない。綺音は、紘子の音が少し違ったものだと意識はできた。だが明確に違いを理解するまでには至らなかったのだ。


一回のセッションで綺音はここで合わせることの意味のなさを訴えた。


「紘子、やめよう。」


だれも綺音がそういうことを伝えるなんて言うのは思っていなかったからだ。


優斗が食って掛かる。しかし、それすらも綺音は否定した。


「今のままがいい。今の私たちの音じゃないと意味がないんだよ」


送り出すのだから絶対に尽くしたいのはベストである。ベストを出せないセッションなんて貴樹に失礼なだけだ。次にそういったのは美桜だった。


「だとしても、それは貴樹先輩を送る私たちの音じゃない」


綺音のいうことに正義はあった。だが、それはほかのメンバーにとっては受け入れにくい事だった。


少なく見ても卒業までの間は綺音よりも、美桜、優斗そして紘子が過ごした時間は長いのだ。


それを、そんなに日が深くない綺音に言われることは全くの心外だった。


「ねえ綺音、言いたいことも気持ちもわからないでもないけど、残り20分あるんだから、音を合わせてよ」


綺音はうなずかなかった。みんなの気持ちもわかってはいる。でも、綺音は声を出すことをやめた。


「主役は貴樹先輩。私は、先輩の音の中で自分のベストを出す」


黙り込む一同。だが、紘子だけは口を開いた。


「わかった。綺音の言うとおりにする」


美桜と優斗は意味が分からないという表情になった。


「紘子・・・」


「うん、いいんだよ綺音。最後は先輩に決めてもらおう」


今まで、この軽音部に入部してから貴樹のことを一度も先輩と呼んだことはなかった。呼ぶことで仲間意識が薄れるのが怖かったからだ。線を引くことでまったく違う関係の中を歩かなければならないと貴樹との2年間は感じていた。そうだと思ったから、言わなかった。でも、もういいんじゃないかと紘子の中で何かがはじけた。


「みんな、待ちましょうか。」


美桜はくすっと笑った。


「仕方ないな、紘子がそういうなら私も待つよ」


部室の椅子を探し、座る美桜。


「朝から張りつめててさ、少し息抜きたいなって思ってたしね」


タイミングを外した優斗はそそくさと椅子を用意し腰かけた。


「みんな賛成ということで」


外の喧騒が入らない部室内で、少しの沈黙が4人を包んだ。その沈黙が逆に耳をとがらせ、音のない痛みを伝えているようにも感じられた。それからの20分はそれほど長いものではなかった。


そう、待っていた貴樹は静かに扉を開いていたからだ。


それぞれの3月1日、その最後の30分が始まろうとしていた。



「すぐに始めよう」


貴樹がドラムを叩く姿を見るのは誰もが初めてのことだった。


誰もが言葉を発することなくそれぞれの持ち場についた。紘子は自分の持ち場がないためにビデオを回すことにした。記録映像がこの後何かの役に立つとは限らないが、思い出を残すということは人にとって大事なことなのだ。


記憶というのはいずれ褪せてしまうものだ。だが映像は焦ることのなく残るもの。いつだれが開封することになるのかはわからない。思い出にすがる必要があるときにこそその意味を持つのかもしれない。


それぞれが位置についた。


どの曲をやるのかは事前に打ち合わせはしていた。誰もが想定していたはずだった。しかし、貴樹が始めたのは誰も知らない曲だった。


音の違いと知らないリズムに戸惑い手を止めてしまう美桜と優斗。


「ちょっと!」


美桜は取り乱して声を出す。


それでも貴樹はやめない。ただ、規則正しく音を、リズムを織り出す。


美桜と優斗は手を動かすことすらできずにいた、声を出して取り乱してしまった分だけ美桜は気まずい顔をしている。


紘子は貴樹の性格を知ってか何も口にしなかった。ただ、変わらぬ表情でカメラを回し続けた。


ドラムのイントロと取れる部分が20秒ほど続いてギターの音がすっと入ってきた。綺音のギターだ。


下を向いていた美桜の顔が上を向く、驚いた顔をしていたのは優斗だ。


十分な経験を持っていると思っていた二人も、あまりの即興での演奏に何もできない様子だった。


貴樹が目で合図をする。


『やっぱり君はついてこれたね』


綺音も音でそれを返す。


『伝え方が不器用なんです、そしてとても伝わりにくい』


綺音のギターの音が少し笑っているように感じられた。それを知ってか紘子の口元が少し緩んだ。


貴樹は続ける。


『そろそろボーカルを』


『少し待ってください、ベース、そう紘子が入れますから』


合図があったのか、カメラを回していたはずの紘子が優斗のベースを持っている。


『いけるかな?』


3つ目の音が合流した。優斗は紘子に代わってカメラを操作している。美桜は…。


何もしなくてもいいことを察した。ここで音を聞いている、観客の一人としていればいいことを悟った。


綺音の特徴的な声が4つ目の音を始める。


誰も知らない曲、誰が作ったわけでもない詩、ただただその時の思いが自然と言葉になった。


1曲だけと肩を、肘を張って構えていたことがばかげていた。すべては貴樹のメッセージだ。


『こんな意地悪な先輩で申し訳ないな』


『誰もそんなこと思ってないよ』


ベースとドラムの「会話」、言葉で交わせばたいしたこともないのに、音にするとまったく違う響きなんだと貴樹と紘子は思いながら続ける。


『俺のしたかったことはこれで叶ったかな。』


『それなら、よかった』


『わかっている?』


『それなりに』


『次は紘子が自分たちの音を作ってくれよ』


貴樹がそう伝えると、少しだけテンポを上げた。


それでも綺音と紘子はついていく。


綺音は何を伝えようとして、その言葉を紡いでいたかなんてわからない。それでもただ無心で出てくる言葉を音に乗せる。


最後が近いことは誰もがすぐにわかる、別れることもあれば出会いもある。卒業なんてただの通過儀礼でしかないと大人は言う。


でもまだ彼らは大人ではない。もう少し猶予がある。いろいろなものを感じ、それに喜怒哀楽を伴いながら生きて行っていい、そんな世代なんだ。ある教師はそう思いながら軽音部の部室の扉の前で綺音の声を聴いていた。たった数分の出来事なのに、そこには思いもよらない証人がいたことになる。


ベースとギターの音が収束していき、最後には貴樹のドラムが残る。


シンプルな打楽器特有の音が終わり、貴樹の思いはすべて伝え終わった。


美桜と優斗にはセッションに入れなかった悔しさはあったが、聞くことがここにいた答えだと理解した。


貴樹が伝えたかったこともなんとなくわかった気がした。


全員が、楽器を置き部室の各々の椅子に腰を掛けた。もう、楽器に触れようという気はなかった。




皆の顔を見ながら貴樹はゆっくりと口を開いた。


「ありがとう、いい時間を過ごせたと思ってる。何も残すものがないから、何も残さずに行かせてもらうね」


「貴樹、全然意味が分からない」


紘子が突っ込みを入れる。


「でも、それがいいところだから」


美桜もすっかりと元気を取り戻していた。


「先輩…っていうと変だけど、ありがとうございました!」


優斗は貴樹の手を強く握って握手を交わす。


綺音は、


「また来てくださいね。」


「もうここに来ることはないよ。だから、みんなが来るのを待っている」


「すぐに行ってみせますよ」


「本気なのか冗談なのか・・・」


「本気・・・かな。でも、楽しかったです。そして、何よりもよかったです。」


「今日のこと・・・」


「貴樹さんは知っていますよね、でも、私にとってはいい味のする日に変わったと思います。だから、もう昔のことも含めて悪いなんて今日のことは思いません」


「わかった。」


美桜の頭の中には疑問符がいくつか出てきたがそれを解する必要がないことを優斗が教えてくれた。


「さようならは言わないから」


「大丈夫、今度はステージの上で会うんだからね」


紘子が貴樹に手を差し出した。


貴樹の手は昨日のように紘子の肩を抱くことはない、ただ強くその手を握り返すのだった。




すっかりと日が傾いていた。3月とはいえ、まだ日は短い。斜陽が差し込む部室の窓、見送る背中。


綺音の中で新しい3月1日が生まれた。


消えることはない過去もあるけど、その器には新しい思い出が注がれたのだ。


「もうすこし、あの音の中で会話をしたかったな・・・」


遠くなる貴樹の背中を見ながらぼそっと綺音はつぶやくのであった。




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