14.3月1日(4)
紘子がいなくなった部室では綺音の到着をまつ美桜と優斗がいた。
二人ともじりじりとしながら、いやもう少し悶々とした表情で美桜はギターを、優斗はベースをつま弾いていた。
時計に目をやると式が始まる5分前だった。
学校の公式行事で派手な音(これは教師たちが決めつけていることなのだが)を出す軽音部は演奏で参加することはなかった。
吹奏楽部と合唱部が揃って参加するのはある意味での決まりなのだ。
部室から離れているとはいえ講堂からの演奏が耳に入ることはある。
低い音が伝わってきたときには、演奏の準備がおおよそ終わっていることを教えていた。
「綺音、こないね」
美桜が暇そうにつぶやく。もはや、ギターをつま弾くことも飽きてしまった。
時間がたつのがこうも遅いというのは、ただの人の感覚にすぎないのだろうけど、夢中になれない瞬間ほど退屈なものはないんだなと再認識させられるのだ。
部室の時計の秒針をじっと優斗は眺め始めた。
時折優斗の顔が赤くなる。
何しているんだろうという顔で美桜が優斗を見る。
ほどなくして大きく息を吐き出す優斗。
「何やってるの?」
「息止めてた」
「なんで?」
「暇だから」
「ふーん」
「1分30秒止めてたよ」
「聞いてないし」
何とも他愛のないことだが、十分に時間をつぶすのにはよかった。
「でも、そんなに長く止めてても肺活量いらないじゃん。ボーカルもしないんだし、吹奏楽でもないでしょうに」
「いや、大いに意味は・・・ない」
げらげらと笑う美桜。本当に意味がないと感じているようだ。
しかし、実際はそれなりの重量の楽器を持ったまま数曲演奏するのだけでもかなり体力を使うのだ。集中次第では息を止めて演奏をすることだってあるのかも・・・しれない。まあ、それを真面目に受け止める美桜も、いい塩梅で返す優斗もその時間を楽しんでいることに変わりはなかった。
そうして、定刻になった。
式の開始時間を知らせるチャイムはならなかった。式に際しては緊急放送以外はすべての放送は行われないことになっている。厳粛な空気で執り行われる卒業式だ、普段のチャイムの音で雰囲気を壊されることは本意ではない。その代り厳かな吹奏楽の演奏で幕を開けるようになっているのだ。
「聞こえてきたね」
コクリとうなずく優斗。
おおよそ1時間30分。形式的とはいえ、卒業生全員の名前が点呼され卒業証書が代表をする生徒に渡される。
校長や関係者のあいさつに続き、来賓のあいさつなど生徒にとっては長い時間の中でもたった3年の高校生活を振り返るのには短い時間だった。
この年次の卒業生は390名。入学当初は420名だったが30名は脱落している。理由は様々だが、中には早期に軍に志願したものもいた。特に貴樹の年次の生徒は退学率が高い。それは2年前に始まった戦争が原因であった。さみしい話でもあるのだが、退学者の中で戦地に赴きすでに命を落としたものもいるという。たったの1年だけ高校で過ごし、そのあとは命を散らせるという結末をここにいたすべての生徒は想定していただろうか。
だがしかし、間接的な痛みしか彼らは味わうことができない。決してライブで人の生き死にを戦争を通じて感じる機会はないのだ。あくまでメディアを通じての情報しか彼らには提供されない。
粛々と進む式に中で涙を流すものもいた。その理由がさびしさなのか、うれしさなのか、それとも道を違えた同級生の末路を思ってか。それはその本人にしかわからないことだ。
在校生代表の送辞が終わり、卒業生の答辞が始まった。
これがすべて終わるのちに、校歌を斉唱し式の閉幕となる。
在校生と卒業生が最後に校歌を歌うシーンである。
それぞれの群れの中には貴樹、紘子がいた。
お互いはもうきっと交わることのないであろう道を歩み始めていた。ただ、どこかの交差点ですれ違うことはまだあったのだ。どれくらい先かわからなことでも、紘子は音楽を続ける限りまた貴樹に会えるはずと強く思うようになっていた。
少しさかのぼり、式が半ばに差し掛かっていたころに綺音が部室に到着した。
部室の扉を開けて見えたのは、重い瞼を必死に開けようとしていた二人の姿だった。
綺音は二人をかなり待たせてしまったと思った。
「ごめん、おそくなった」
「あ、綺音。」
ばたばたと準備を始める綺音。
そこに美桜が優しくいった。
「私たち眠くなるくらいまで待たせたんだから、サプライズは必要よね」
頷く綺音に美桜と優斗はにんまりと笑うのであった。
そう、今日だけのサプライズを用意するために特別のセットリストの作成が急遽はじまったのだった。
そのころ紘子は在校生の群れの中で、その間の花道を歩いてゆく貴樹の姿を目で追っていた。
式がすべて終わり、卒業生はそれぞれの教室へと戻っていく。
歓喜の表情のものがほとんどの中、貴樹の顔はどこか退屈そうに紘子は感じた。
人の多い中では、声をかけることはままならない。ましてや、卒業式の終わり、送り出すその瞬間を引き留めるには至らなかった。
教室での最後のホームルームが終われば部室に現れることになっている。そう思えば今ここで声をかける気分になる必要もないものを紘子はなぜが焦っていた。
遠くなる貴樹の背中を見送ることはかなわない。一同に前を向いている状況で一人振り返る勇気はなかった。
貴樹はいったいどんな気持ちなのだろうか。それを紘子には想像することは及ばなかった。
一方の貴樹は、紘子のことなど今は頭になかった。長いそして、通過儀礼としての意味が形骸化したこの卒業式には全く興味を持てなかった。ずっと先のことで頭はもう一杯だった。
すべての卒業生が退場し、関係者や保護者も式場となった講堂を出て行った。残る在校生には、会場の後片付けがあった。
生徒会のメンバーによる統率のとれた動きで、運動部系の部活生がてきぱきと広げられていた椅子を片づけていく。紘子を含む文化系の部活動生は補助的な役割をなす程度だった。
30分もしないうちに、講堂はきれいに片付いた。生徒会の面々から解散が告げられ、各々の部室へ戻っていく。紘子も部室に戻ることにした。
最後のホームルームは何かと長いと聞いてはいた。だから、片づけの30分を要しても貴樹を迎える準備には十分時間があった。
部室の扉を開けると綺音の姿をとらえることができた。
『間に合った』
内心ホッとする紘子。すると別の音が聞こえてきた。聞いたことのない曲だった。
綺音の姿をとらえたのは紘子の視覚だけであって、その会話や状況までは何も見ていなかった。音が聞こえてきて初めて紘子は気づいたのだった。そして、綺音が遅れてきた理由を理解した。
綺音は一人で歌っている。そのそばでは美桜と優斗が傾聴している。なんなのだろうか?紘子が思っていたのとは全く違う景色に驚きを隠せなかった。
引き込まれるように綺音の歌に聞き入っている間に演奏が終わる。
はっとして、紘子は声を出す。
「今のは?」
綺音が歌い終わるのを待って紘子は美桜と優斗に尋ねた。
二人とも首を横に振る。知らない曲。いつの間に?という疑問がどんどんと出てくる。
同じ心境で2人が聞いていたことをすぐに理解できた。
「いやね、これさ、綺音が遅れてきたことを口実に特別のセットリストでって言ったのがきっかけでさ」
言い訳がましく優斗が口を開いた。
「そしたら、とんでもないものが聞けたってことなんだよ」
まったく彼自身も今の状況を整理できていなかった。
「ねえ、紘子。アドリブで今の曲に合わせられたりする?」
美桜は自分なりにこれをバンド曲として発展させようとしたらしい。紘子の見解を聞いて考えたい様子を示した。紘子は無理だと思った。私にはこれをどうすることもできない。仮にそれを今からすぐにと言われたらそこまでだと。
「決めた曲、それをやって送り出そうときめたでしょ」
紘子は当初のプランについて切り出した。そうすることがこの場のとんでもない空気を戻すために必要と感じたからだ。
「えっ?」
綺音が驚いたような顔で紘子を見る。
「聞いてないの・・・?」
「う、うん。最後どうするかは今日話すって聞いてたから」
「美桜・・・」
じろりと美桜を覗き込む紘子。その視線を遮るように優斗が割って入る。気まずい顔をした美桜は顔を隠した。
「ごめん、ちょっと軽いノリで振ったらこうなってさ。今から話すところ」
「まさかと思うけど、式の間延々と綺音が歌っていたとかいう落ちないよね」
3人が同時に頷く。がっくりと首をうなだれる紘子。ああ、そうだったかという落胆と、顔には出せない驚きがあった。それはそうと、綺音に説明をしなければならなかった紘子は一同のリアクションを見ながら続けた。
「ラストセッションは、『終わり行く』で行くから、予定で通りだよ」
綺音はすぐに理解した。
「それと、貴樹がドラムをする。私は見るだけだよ」
驚く3人。
「どうして?」
「貴樹がどうしてもドラムをしたいっていうからね」
「えっと、そもそも貴樹ってドラムできるの?」
「そうらしいよ。」
「紘子は納得したの?」
「納得しているから、見てることを選んだんじゃない」
「そっか」
美桜は思いついただけの質問を投げたが、回答が至ってシンプルだったのですぐに引いた。むしろ綺音は言葉にはしなかったがすごく気になっていたようだ。
「ねえ、優斗。綺音が来て合わせてみたの?」
「まだ」
「そう。じゃあ、一度合わせよっか」
「オッケー」
綺音の今の歌に関してのことは横に置くことを紘子は決めた。だから一度合わせてから、その次に行こうと思った。だが、綺音の意思は固く、それをすぐにさえぎった。
「まって。合わせた後にでいいから、貴樹さんにアドリブでさっきの音に合わせて演奏してほしいと思ってる」
「無茶苦茶な…」
「無茶かどうかは・・・、」
「綺音、待って。先に合わせよう」
紘子は綺音の積極的な発言に少し戸惑ったが、それをも遮り己を押し通す。
「うん」
静かにうなずき綺音は自分の持ち場に戻った。
美桜も優斗もスタンバイを始めた。
完全防音になる軽音部の部室で、貴樹とのラストセッションのためのリハーサルが始まった。
貴樹が現れる30分前の出来事だった。