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Trace of the resonance  作者: Lyric a little lies
12/29

12.3月1日(2)

朝の目覚めは悪くなかった。一つだけ違うことと言えばミケがベッドに飛び乗ってきたことだった。

「いたいよ」

綺音は起きたてで出ない声を絞りながらミケを抱えた。

「もう」

ブンとミケの体を宙に放り投げる。

器用にクルッと宙返りをして着地するミケはいつもより不機嫌に見えた。

綺音は、そうかと思った。3月1日。

カレンダーには卒業式と自分で記して丸を付けていた。

登校は自由、部活に行くもよし、卒業生を見送るもよし、そのまま家で寝ておくのもよし。そんな日だった。

綺音にとっては転校してきた身で、上級生に対する面識はあまりなかった。

強いて話していたのは貴樹くらいなものだったから特別の感慨はないのだが、それでも貴樹が今日美空ヶ丘を卒業するということは少なくない綺音の分岐点の一つだった。

少し考えたいと思った綺音は、携帯電話をとって紘子に電話をした。

「もしもし、うん私」

電話の向こうの紘子に手短に伝えた。

「朝は行けないと思う。ちょっと遅くなる」

どうしてという風な口調で紘子は聞き返してきた。まだ校内ではないようで車が通り過ぎる音が受話器を通して聴こえてくる。

「少し整理したいことがあって、ごめんね。」

紘子は分かったってくれただろうか。いや、理由もはっきり言わない自分が悪いんだ。どういわれても仕方ないという気持ちもあった。それでも紘子は承服してくれた。

「ん・・・用意しようかな」

部屋着を着たまま、顔を洗うために洗面所へ向かった。

3月1日は戦争が開戦した日でもあった。父がしばらく帰らないといった日でもあった。

普段の朝の支度のシーンに母はいない。

仕事のため早朝から出社し、遅くに帰宅。それが当たり前なのだ。

ミケが不機嫌な日は母の休日であることが多い。

母の起床時間は変わらずとも、ミケの朝食は必ず遅くなる。休みのスケジュールの違いからミケに割く時間がないといつも言われる。だから、ミケは綺音のところへやってくるのだ。

顔を洗い、歯を磨き、髪をとかして着替え以外の支度を終わらせる。そう、ここまではいつもと変わらない。違うのは3月1日という、人が定めた暦のためだけだった。

「おはよう」

リビングに母がいると思い綺音は声をかける。だが母の姿はなかった。その代わりに手紙が一つあった。

「なによ・・・、今日くらいは」

と、伏せられた紙をめくり手に取り目を通す。

『軍から連絡があり今日は戻らないと思います、朝食しか用意できてないけど、ごめんなさい』

ミケの不機嫌の理由が母の不在なんて。珍しいこともあるのだと綺音は思った。

それと同時に、切迫した状況なのかということも頭をよぎった。手紙には続きがあった。

『普通に今日を過ごしてね』

普通って…。それが綺音には理解できなかった。

「気にしないほうが普通じゃないよ」

手紙を元あったところに伏せておき、制服へ着替えることにした。家にいてもミケと遊ぶ気にもなれないからと思い体を動かすことを決意する。

母が何をもって普通というのか、綺音にはわからないし、母が思っている普通は綺音の普通を知らない普通のことなのだ。日常の過ごし方なんて毎日微妙に違っている。息の仕方が自然とできているのは同じ呼吸をしているからではなく、呼吸の類似系の繰り返しだからだ。それが自然に身についているから毎日を生きている。意識して普通を取り留めて過ごすことなんてないのだ。

過剰に演出された普通はただ綺音を苦しめるだけだ。もともと今日は少し遅れてみんなと会うつもりだった。何も特別なことじゃない、そう思ってもあの手紙のせいで重いとのずれが生じてしまった。

部屋の姿見の前で大きく呼吸をして、長く息を吐く。自分の顔を見つめて自然を装う。

「そんなに普通にこだわってるの?」

自問自答の答えは鏡の前の綺音が答えるはずはない。

「よし、行こう」

少し強い決意をもって綺音は家の玄関を出た。


今日はいつもより晴れていた。2年前の3月1日とは全く違う天気だった。

自転車に乗って綺音が向かったのは『クアトロ』だった。式には間に合う十分な時間と余裕をもって出かけた。きっと誰もいないなとも思ったし、秀哉がいるのかもしれないとも考えた。どっちでもいい、少し落ち着きたかった。

クアトロの前につき、自転車を止め、鍵をかける。

クアトロの前には見慣れない女性がいた。肩からカメラのバックだろうか、それをかけ、メモがぎっしり詰まってそうな鞄を持っていた。

だれだろうと思って綺音はゆっくりと近づいた。

「あの・・・」

女性は振り返って綺音をみた。

「まだ、お店空いてない…みたいですね」

遠慮がちに声をかけた綺音だが、女性は綺音にやさしく微笑んで見せた。

「そうみたいね。」

「はい」

「まだここが残っていてよかった」

「えっ?」

「なんでもないの、独り言」

「あの、ここのお店の人のお知り合いさんとかですか?」

「そうね、ずっと昔から知っているのかもしれない」

ふっと女性が悲しい顔を見せた。それもほんの一瞬で彼女の顔からは悲しい面影が消えた。

「もう少ししたら来るかもですけど、待ちますか?」

女性は首を横に振った。

「彼女の仕事があるの。それがいつ終わるかわからない、でもまた会えるときに顔を出そうと思ってるから。ありがとう」

女性は軽くお礼を述べると綺音を横切って歩いて行った。

「秀哉さんの知り合いかな…」

遠くなる姿を目で追うが、彼女の姿はほどなく遠くへ行ってしまった。

そう思うと聞きなれたエンジン音が聞こえてきた。


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