10.重ねるもの
もともとわかっていたことを口にすることはないと、貴樹は言っていた。
クレイドルで初めてのライブを終えてから数回のライブを経験させてもらったPeace Generationのメンバーにも転機がやってきた。
3月1日、それは貴樹が卒業する日でもあった。
学年不詳といわれていた貴樹だが、みながそのことをあえて触れなかったのは貴樹の才能に原因があった。
冗談にしても留年しろ、なんてことを、軽く美桜であるとか優斗に言われていたわけではあるが、そのことに首を縦に振る理由はなかった。
2月28日、貴樹の持っていた機材をすべて引き上げる日であった。もともと、キーボード関係は貴樹の所有物であった。そして、この日は貴樹にとっては特段の授業があるわけでもない。卒業を控えて、勉学をする時間として与えられた休日だった。部室で一人機材の梱包を終えた貴樹にはさびしいという感情はなかった。
がたっ、
扉が開く。
入ってきたのは紘子だった。
「よ、」
「いくんですね?」
「ま、まあ」
「そうですよね」
「ふっ」
小さく笑った貴樹。
「紘子が敬語なんてどうした?」
「間違っても先輩ですから」
「そうか・・・。」
「卒業して、プロ・・・ですか」
「稼げるかわからないけど、認めてくれる人がいたからね」
「あの・・・」
「卒業ライブかい?」
「はい・・・」
「1曲だけセッションさせてくれればいい」
「でも・・・」
「水巻さんがね、ワンマンライブを企画してくれてたんだ」
制服の内側のポケットから一枚の紙を取り出す貴樹。何度も読み返したのだろう、その紙は幾重にも織り目がついて、しわになっている。
「知ってます」
「みんな、練習進んでる?」
「はい」
「じゃあ、文化祭で歌ったあの曲を一緒にさせてくれ」
「終わりゆく世界と、最後の僕ら・・・ですか?」
「その曲」
「わかりました」
「ありがとう」
短くも長くもない、ただ事務的な会話に思えた二人のやり取り。貴樹は機材を運び出そうと抱え始めた。
「持ちますよ」
「あ、そう」
「ちょ、ちょっと待ってください」
紘子は貴樹を一度止めた。
どうして?と貴樹が聞く前にその唇はべつのものでふたをされた。
別つものがあるから、人は恋しくなる。そして、そのレールが必ずしも重なり合うとは限らない。たった一度でも交差するのであれば、それが幸せなのかもしれない。
青春なんて青臭い言葉がまだ彼らにはちょうど良かった。
「・・・びっくりした」
「す、すいません・・・・・・」
「ありがとう、紘子」
「えっ」
「でも、君とは一緒の道、進めないよ」
「・・・そうですか」
「ちょっと期待したときもあったけど、それはきっといいことじゃないからさ」
「知ってたんですか・・・」
「知らなかったよ。みんなに対して同じこと考えてた」
「じゃあ」
「びっくりしたって言ったじゃないか」
「は、はい」
「うーん、ライブまで2週間あるもんな」
唐突に話題を変える貴樹、その言葉に紘子はじりじりした思いに駆られた。
それでも、同じ会話を続けることはできない。貴樹は続ける。
「バンド名とかどうするんだろうな」
「決めてますよ」
「えっ、」
「そのままで行きたいって思ってましたけど・・・もともとこの部室にいたのは4人でした、だから今のPeace Generationに4の意味でFourってつけようって」
「Peace Generation Fourね。いいね」
「はい」
「じゃあ、新しい始まりだね。」
「先輩にとっても新しい旅のハジマリですから」
「うまいこと言ってもね」
「そうですか?」
「略称はペグヨンだね」
「ふふっ、そうですね」
「紘子、君は君の思った通りの音楽をするんだ」
「はい。」
「信じれば、かなうことがある。音楽は、それを誰にでも見せてくれるから」
「私も、そう思っています」
「うん。」
ひとしきりの会話はここで終わった。
一呼吸をして、貴樹は部室を後にすることを紘子に告げた。持ちきれない機材を二人で運ぶ。一人で運ぶより楽だねと声をかけた貴樹の言葉は紘子には届かない。
すべてが終わって、部室の扉の前。入り口を背中にして貴樹は、名残惜しそうに一言口にした。
「じゃあ、次のライブで・・・」
「は、はい」
力なく返事を返し、うつむく紘子の額にぐいと自分の額を押し当てる貴樹。
「らしくないよ、部長」
「で、でも…」
逆にさみしくさせてしまうのじゃないかと思った、あとで貴樹はそう後悔したがその時は彼女のことが愛おしかった。
そのまま、二人は唇をしばらく重ね、そして、お互いの距離を確かめた。
夕日が差し込む軽音部の部室。重なった影は、細くなり、静かに扉のしまる音がした。
貴樹は、最後の日のセッションを持って正式にPeace Generationを脱退し、またメガベックスへの所属が決まった。