幸うのは
タイトルは「さきわうのは」と読みます。
夜明け前の蒼闇の中、リデルはそっと目を開けた。
肌で感じる暖かさと時折聞こえる寝息が彼の人の存在がそこにいるのだと教えてくれる。
「……アル様」
いつもなら自分が身じろぎしただけですぐに意識を取り戻してしまうのに、今回は少し大きめに動いても寝息は途切れなかった。その事がどこか嬉しくリデルは微笑んだ。
毎晩彼は自分をその両腕に閉じ込めて眠りに落ちるが、女として求めてきたことは一度もない。二人が起きた後のシーツは真っ白。そこに欲の気配はみじんたりとも介在していなかった。だからといって、不必要な存在だと思ったことはない。自分を抱きしめるその腕は痛いほどであり、すがりつくようであったから。
『ただ、そなたがここにいるだけでいい』
手を出してこないことを訝しく思い、問いかけたリデルに彼はそう言って頭をなでた。その暖かさに亡き父を思い出す。線が細い、目の前の人のような力強さのかけらもない人だったが、その暖かさだけは同じだった。
そして気付くのは体の強張り。村では欲まみれの視線にさらされてきた故に、恐怖と緊張が自分にもあったらしい。彼ならいい、と思ったのは本当のことなのに。警戒心の強い自分が嫌になった。
彼と過ごす時間はとても静かでゆっくりとしていた。いつも周りに意識を配り、危うい綱渡りを繰り返していた時にはありえない平穏。竪琴を弾きながら主を待ち、夜は彼の人と話をしたり竪琴を弾いたりして友に眠る。
ただその繰り返し。
でも、その繰り返しこそがリデルがずっと望んでいたものだった。
「不思議、ですね」
もし、自分が村人たちに嫌われていなかったら、あの夜殺されそうにならなかったら。
様々な偶然が、二人を出会わせた。
「私は、ようやく望みをかなえた気がします」
かつて見た夢。
父がいて母がいて三人で笑って一緒に過ごして両親の暖かさに包まれて眠る。
でも一人、また一人とリデルの元から去って行った。もう一人、温かみを与えてくれた人はいたが。その優しさを受け入れることがどうしてもできなかった。
そして今は魔王と呼ばれた彼が自分を抱きしめてくれる。その事がどれほど幸せな事なのか、当人は知らないだろう。もらっているのは自分だけだと思っているはずだ。だからこそ彼は少女を手放せず、罪悪感に苛まれる。
「馬鹿な人」
私はこんなに満たされているのに、自分は奪うことしかできないのだと思い込んでしまった。何も奪われていないのに、勝手に奪ったと信じている人。そんな愚かささえ、愛しく思える。
この思いが男女の情なのかはわからない。ただ確かなのはお互いにどこか欠けていて、それを補い合うことができるということ。ただ、そばにいれば満足できるということ。
「……どうした、リデル?」
「いえ。幸せだな、と」
いつまでもこの時間が続けばいいと思った。
例え、二人きりの世界に閉じこもった歪んだ愛だとしても。
その幸いは間違いなく本当だから。
「そうか」
「はい」
愛しています。私の幸う人――――
《補足》
「言霊の幸う国」
言霊とは古代、言葉が持つとされた神秘的な霊力のこと。その言霊が幸福をもたらす国。日本のこと。
幸うが単体で使えるかどうかわからなかったので念のため。
辞書で見つけて突発的に書いてしまいました。現在5:41分。迷惑。