幼馴染(下)
幼馴染視点の最後です。
第一話で誤字ミスを発見したので修正しました。
私を拾ったのが魔王だということはすぐに気が付いた。
本人は隠しているつもりなのだろうが耳はいいのだ。聞き耳を立てていればすぐにわかる。
勇者の故郷である村を滅ぼしたのだということも。
自分を殺そうとした村の住民に憐れみは一片たりとも浮かばなかった。むしろ、死んでくれてよかったとすら思った。
「リデル」
「はい、アル様」
声が聞こえる方向を向いて微笑めば、大きな手が私の頭を撫でた。
ユリウスの手よりも大きくて固い。でもとても暖かい。
この手に頭を撫でられるのは好き。
「いい子にしていたか?」
「もちろんです」
優しい声で名前を呼ばれるのが好き。
「また、奏でてくれ」
「今日はどの曲にいたしますか?」
「まかせる」
私の竪琴を聞いてくれるその耳が好き。
「では、『春のほほえみ』を――」
冷酷非情の魔王。数多の民を殺戮し、恐怖政治を敷く覇王。
目の前の方がどのように噂されているかよく知っていた。
どれほどの人間に恨まれ、死を望まれているのかも。
でも、そのすべてはどうでもよかった。
「……美しい音色だ」
「ありがとうございます」
私を救ったのは無辜の民でも勇者でもなく孤独な魔王だったのだから。
だから。
「もっともっと練習します。だから、また聴いてくださいね」
「ああ」
「アル様、大好きです」
望まれているのなら、私は何も知らない愚かな娘であり続けます。
だから。
「……ここにいてくれ」
「はい、ずっと」
どうか、そばにいさせてください。
それだけが、唯一の望みなのです。
今の私は、とても幸福なのだから。
「リデル」
まさか、と思った。このような場所にいるはずがないのに、と。
「……ユリウス?」
だけど私の思いを裏切るように知らない腕は私を力強く抱きしめる。
「!!」
触らないで、と叫びそうになるのを懸命にこらえた。
彼とは違う、その腕が恐ろしくてならなかった。
「なぜ、ここに?」
「聞きたいのはこちらの方よ、ユリウス。なぜあなたがアル様のお城にいるの?」
「アル様?」
「そう、この城の主様で私の命の恩人」
私はユリウスが口を挟まないように必死にアル様について語った。心の中では、ユリウスが真実を口にすることを恐れていた。
ここがどこなのか、主は誰なのか。私が知ってはいけないことを。知らない筈のことを。
「それに、竪琴もくれたのよ。いただけない、と断ってもいいからと渡されて。名器なのはすぐにわかったけど、今までで一番よく引けたの。ほら、これがそう」
この竪琴は彼が私に下賜した物だ。父が吟遊詩人だったという話を聞いてすぐに用意してくれたこれは彼の母の形見。彼が私を信頼してくれたようでとてもうれしく、毎日のように弾いている品だ。
「リデル」
「なに?」
少し、沈黙が長かった。ふるえる手で、竪琴を抱える力を強めた。
「……必ず」
「え?」
「いつか、必ず助けるから!!」
絞り出すような声で叫ぶと同時に唇に感じた柔らかい感触。それが口付けだと気付く前にユリウスは部屋を去って行った。
「……嫌だ」
とっさに腕で拭うも唇の感触が消えてくれない徐々に浮かび上がってくる震えを抑え込もうと自分の体を抱きかかえた。
「嫌だぁ……」
かつて手ぎられ手も何も感じなかったはずなのに、少しでも体が震えるだけで吐き気がする。平静を保って見せたがユリウスが騙されてくれただろうか。
「アル、様」
あの人じゃなければだめだ。男も女も私に何も与えず奪おうとする。それは守ると言いながら守ってくれなかったユリウスも同じだ。
見えぬ目で思うのは頭をなでる暖かな手、優しい声。
今すぐに彼に抱きしめて欲しかった。
悪夢が再び現れぬようにと私はその日のことを黙っていることにした。
忘れてしまいたかったのだ。とっくの昔に置き去りにしてきた過去を。
その選択が、彼の背中を押してしまったのだと知らずに。
「もう、大丈夫だ。一緒に帰ろう」
その声は一年前と全く同じだった。
おそらく、目の前の男は笑顔なのだろう。昔と全く同じ、無邪気で残酷な笑顔を。
「魔王ももうじき死ぬ。だから、ここから外に出てもいいんだ」
外に出てどうしろというのだろう。もう私には何も、あの人しか残っていないのに。
「残酷ね」
「え?」
ゆっくりとその場で立ち上がった。
「私はアル様のそばにいれればそれでよかったのに」
「あいつは魔王だぞ!?」
「だから?」
何も知らない人間があの人のことを語るな。私のことを語るな。
勝手に決めつけた枠の中におしこめるな。
「言ってもわからないのでしょうね……」
ユリウスに語ることはすでにあきらめていた。この思いひとつすべて私が持っていく。
「さようなら」
私はユリウスを突き飛ばして竪琴を抱えたまま部屋を飛び出した――――
次回、最終話です。