魔王(上)
魔王視点。上下の二話予定。
よほど敵は自分が憎いらしい。
長きにわたって皇帝の住居であったこの城に火をつけようとは。
そうすることで遺体を簡単に片づけることができると考えたのかどうかはわからないが中途半端に生き残っているような人間には地獄からの迎えにしか思えない。
「あの勇者……狙ったのではないだろうな」
すぐに死ぬわけでもないが動くことも叶わない重い体。生きたまま火に焼かれるのは多くの人々を殺戮してきた自分でも恐ろしいと感じさせた。
「違うか」
勇者はただ彼女を救いたいと願うがゆえに自分にとどめを刺す時間を惜しんだのだろう。このままでは自分も彼女も火に巻き込まれるのは明らか。
どこまでもまっすぐに、彼女を愛している。自分のようなゆがんだ執着とは全く違うその思いが羨ましかった。
もっと別の場所で出会っていたら違っていただろうか。あの勇者のような幼馴染という立場だったならば。
最後もまた、違っていただろうか。
「愚問だな」
もし、という言葉がどれほど無意味か知っていたはずなのに、それでもつぶやいてしまうのは。
「余もまた、人であったということか……」
彼女を見つけたのは、とある辺境の村に兵を進めたときのことだ。
普通ならば皇帝である自分がこのような場所に赴く必要はない。ここに来たのは、最近力をつけてきた反乱軍の中心、勇者と呼ばれる青年への報復のためだった。
村近くに陣地を張り、深夜になるのを待って奇襲を仕掛ける。会議が終わり、ふらりと陣地を離れたのは何の気まぐれだったか。暗殺者にひどく警戒していた自分がなぜ一人で動いたのか今でもわからない。
しかし、その気まぐれがなければ彼女に出会うことはなかった。そして彼女の命は尽きていただろう。
見つけた時、彼女の姿は悲惨としかいうことができない姿だった。
「これは……」
日もすでに沈んだ森の中、死にかけていたそれ。
亜麻色の髪をざんばらに切られ、殴る、蹴るといった暴行の痕跡が強く残る。顔にもひどく殴られた跡がある中、両腕だけが傷が少ないことが異様に思えた。
死体かと思えば近づいて感じるかすかな息。
とどめを刺すつもりでぬいた剣を鞘に戻したのは拾ってしまった風に紛れてしまうほどのかすかな声。
「生き、たい」
なぜ。
なぜ、それだけのひどい傷を負いながらも生きたいと願うのか。
魔王と呼ばれる自分が恐怖したのは勇者でもなんでもなく目の前の死にかけの娘だと誰が信じるであろう。
「ならば来い」
その小さな手を取ってしまったのは彼女にとって幸運だったか不幸だったか。
魔王にさえ分からない。
死にかけの名前はリデル。勇者と同じ村出身の幼馴染。そして目が見えない。
それらの情報を魔王が知ったのは勇者の故郷を滅ぼした後だった。
目の前の娘は、自分が故郷を滅ぼした張本人だとは知らない。目が見えれば何か気づいたかもしれないが、娘は何も気づかず魔王に笑みを向けてきた。
今までに自分とは無縁だった、純粋なそれを見たとき、自分の中によぎった思いは手放したくない、ということだけ。
何も知らない彼女は自分を見て恐怖に凍り付くことも憎悪で顔をゆがめさせることもない。魔王でもなんでもない自分を見てくれる存在。
ただ、自分という個を見えぬ瞳で見つめてくる彼女。
「なんとお呼びすればよろしいのでしょうか?」
だからだろう。娘の問いかけに。
「アル」
答えてしまったのは。
「アル、と呼べ」
ほほえみを浮かべて自分を呼ぶその娘を見て。
余は、満たされたのだ……
彼女を城の一番奥にある塔に住まわせた。彼女の存在を知るのはごく一部のみ。彼女にも自分の城であること以外教えなかった。
そこがどこにあるのか知らせないように、部屋から出さず、外に連れ出すときは自分が抱えて距離や方角がわからないようにした。初めての場所ゆえに一人で出歩くこともせず。
自分を頼らなければ生きていけぬ小さな小鳥を余は大事に大事にその腕に閉じ込めた。
やがて、竪琴ができると知って亡き母の愛用の竪琴を渡してみれば。
「これは、とても高価なものではありませんか?」
「母の形見だ」
「ならば、なおさら受け取れません!」
「どうせ余は引かぬ。弾き手がおらぬことのほうがよほど寂しかろう。そなたに持っていてほしい」
あわてた顔の娘があきらめ顔になって一曲奏でてくれ。
その涼やかな音色に癒された。
いつからか夜になると彼女の部屋へと向かい、娘の奏でる音色に包まれながら眠るようになった。何もない日でも眠れる夜が続いていたというのに、彼女は眠りという安寧を余に与えてくれる。
少しずつ伸びてきた亜麻色の髪も鈴を鳴らすような柔らかい声も竪琴を奏でる繊細な指も。
彼女を見つけてから今まで自分を支配していた飢えから解放されるようになった。
「アル様」
目の見えない彼女はいつも自分に媚もあざけりも何も含まれていない白い笑みを浮かべてくれるから。
「リデル」
忘れていたのだ。
彼女を知るのは自分だけではないということを。