勇者
タイトルはそれぞれの視点です。最初は勇者から。
肉を切る感触にやった、と勇者は確信した。袈裟懸けの一撃に数瞬前まで自分と切り結んでいた男は膝をついた。
「これで終わりだ……魔王アルガード」
全身を黒衣で身を包んでいても、徐々に広がる赤黒いしみは隠せない。
帝国の絶対王者――その冷酷非情さゆえに魔王と呼ばれた男は傷口を手で押さえながらも笑っていた。
「終わり、か……」
「そうだ。もう、お前を守る臣下も奴隷もいない」
魔王に忠誠を誓う部下のほとんどは打ち取られた。残りの貴族は全て勇者率いる反乱軍に下っている。
もう、何も残されていない丸裸の魔王。
「では、さらばだ魔王」
「……とどめを刺さないのか?」
剣についた血を振って払うと勇者は剣を鞘におさめてきびすを返した。それを見た魔王はすでに限界に近いはずなのに魔王は勇者の背中に問いかけた。
「余は、お前の故郷を滅ぼしたのだぞ?」
勇者の故郷である村はもう、ない。魔王が自分の手勢を率いて村人たちを皆殺しにしたからだ。生き残りはわずか二人のみ。
それなのに、なぜ。と魔王は不思議に思うのだろう。
「恨みがないとはいわない。絶望しなかったとも」
故郷を滅ぼされたと聞いた時、灼熱の闇が自分を支配するのを感じたことは今でも覚えている。憎い、と誰かに対して思ったのはこの時だけだ。
「ならば、なぜ!!」
「死に行く身にとどめを刺してなんになると?」
勇者の一撃によって、もう命も残りわずか。しかも反乱軍の手によって城に火をつける手はずはすでに整っている。
そして。
「俺にはまだやることがある。あいつを返してもらうぞ」
あいつ――勇者の幼馴染。まっすぐな亜麻色の髪の美しい少女。吟遊詩人だった父親の美貌を受け継いだ水色の瞳の娘。しかし、その瞳は幼いころの事故がもとで光を移す術を永遠に失った盲目の乙女。
愛する幼馴染が盲目と美しさ故に魔王に囚われていると知ったのは本当に偶然だった。
村を滅ぼされて数か月後、この城に忍び込んだ。とある有力者の救助が目的だったのだが、逃げるところで発見され勇者がおとりになって仲間たちを逃がした。
兵を引き連れ、逃げ回っている間にたどり着いた塔。人気のないその塔からは外の喧騒から切り離された静謐な空間だった。
無人なのかと思い、隠れ場所にちょうどいいと塔の階段を上り始めた自分。
上に上るにつれて聞こえてきたのは涼やかな竪琴の音だった。
(人がいたのか)
竪琴の持ち主に気づかれぬうちに、ときびすを返そうとしたがその足を止めた。
見つかったからではない。柔らかな音色とともに響く歌声に聞き覚えがあったからだ。
「まさか……!」
足の疲れなどもろともせずに残りの階段を上りきり、乱暴に扉を開いた。
その先にいたのは――
「誰?」
そこにいたのは記憶通りの彼女。ベッドに座り、竪琴をかき鳴らし歌う娘。
「リデル」
名前を口にハッとするとリデルは口元に手をやった。
「……ユリウス?」
何も映さぬその両目が、自分を見たと勇者は確かに思った。
「なぜ、ここに?」
「聞きたいのはこちらの方よ、ユリウス。なぜあなたがアル様のお城にいるの?」
「アル様?」
「そう、この城の主様で私の命の恩人」
リデルの話を聞くうちに勇者の眉間が狭くなっていくのがわかった。
村を滅ぼされたとき、死にかけたリデルを拾った『アル様』は行くところがないリデルを自分の城に住まわせてくれたのだという。
その後に続くのは『アル様』の賛美。どれほど親切にしてくれたか、優しくしてくれたか。言葉の端はしを拾う必要もなくできる推測。
「それに、竪琴もくれたのよ。いただけない、と断ってもいいからと渡されて。名器なのはすぐにわかったけど、今までで一番よく引けたの。ほら、これがそう」
自慢げに見せられた竪琴には鷹の紋章が掘り込められていた。
何度も見たそれは帝国の紋章。帝室の持ち物を容易に持ち出せる人間など、一人しか思いつかなかった。
リデルは『アル様』の正体に気が付いていないのは明白だった。でなければこうも簡単に彼女が懐くはずがない。まさか相手が自分の故郷を滅ぼした男だとは思わず、純粋に命の恩人として慕っているのだ。
「リデル」
「なに?」
正体を教えることは容易い。ただ一言、口にすればそれでよかった。だが、それを口にすることができなかった。
(リデルが奴は魔王だと知れば)
冷酷な魔王が自分を拒絶する少女を切り捨てるさまが思い浮かぶ。自分が今連れ出しても、盲目の娘は足手まといになる。ここで死ぬわけにはいかなかった。
だから。
「……必ず」
「え?」
「いつか、必ず助けるから!!」
いつになるかわからないが、魔王を倒したとき。その時には絶対に少女をこの塔から逃がそうと。そう、決めたのだ。
不思議そうな顔をする少女にそっと口づけると勇者は部屋を飛び出した。
灼熱の闇の中に小さな光が生まれたことに喜びを見出しながら。
そして一年近い時が流れた。
「やっとここまで来た」
一年前と同じ扉。変わらぬ竪琴に愛しい娘がこの先にいることがわかった。
喜びの余韻を感じていたかったが、火の手はすでに上がっている。この塔に火が回ってくるのも時間の問題だ。
勇者は扉のノブを握りしめ、ゆっくりと扉を開いた。
次は魔王視点。上下二話になります。