オッサン勇者、百年後に伯爵令嬢へ転生する~相棒のエクスカリバーと再契約したら、王子に囲い込まれました~
大広間に降り注ぐ陽光の中、私は列の中ほどで、じっと自分の番を待っていた。待ちに待った、叙勲式の日。心臓が、うるさいくらいに脈打っている。
隣に並ぶ新任騎士たちも、誰もが緊張した面持ちを崩さずにいた。人生の節目を前に、平静を装うので精一杯なのだろう。
一人ずつ、騎士団長が名前を読み上げて儀礼剣を授けていく。順番が近づいてくるたび、指先が微かに冷たくなっていくのが分かった。
「アシュリー・ガーランド、前へ」
「はい!」
呼ばれた私は、壇上へ進み出た。九年間、この瞬間のために剣を振ってきた。
――六歳の頃、森で小型の魔族に襲われたが、父上が一閃のもとにそれを倒した。崩れ落ちていく様を見ながら、恐怖よりも先に突き上げてきた、得体の知れない焦燥感。
きつく私を抱きしめる父上を引き剥がし、「あれは、どうやったら倒せるの!」と食いついた。困惑した父上は「騎士団に入れば、討伐任務がある」と漏らした。
それから九年。
淑女教育そっちのけで木剣を振り続け、手のひらに何度も豆を作り、母上を嘆かせてきた日々。
でも、これで魔族を討伐することができる。
団長が剣を抜く。鞘から放たれた刀身が、広間の光を受けて煌めいた。
「これより、そなたを銀翼騎士団の一員として認める。この剣を預けよう」
「……はい」
差し出された剣の柄と煌びやかな鞘を、両手で受け取る。その瞬間。冷たい金属の感触が、掌から腕へと駆け上がった。
「……え?」
世界が、反転した。
血の匂い。焼け落ちる城。崩れゆく大地。私の手に握られていたのは、儀礼用の細い剣とは似ても似つかない、血に濡れた神々しい大剣だった。
満身創痍の人型魔族が、こちらを睨みつけている。
「……来い、魔王」
「勇者アァァ!!」
最後の一撃が交差する。自分の大剣が魔王の胸を貫く。同時に、魔王の爪が私の胸を貫いた。
「……は」
そこで、すべてが途切れた。
気がつけば、私は目の前の剣を見つめていた。さっきまでとは違う、細く軽い儀礼用の剣。
「……あ゙?なんだこのちゃっちいの?」
口が、勝手に動いていた。
「……今、なんと?」
団長の声で、我に返る。しまった。何を言った、今。
周囲の騎士たちの視線が突き刺さる。私は慌てて背筋を伸ばし、幼い頃から磨いてきた騎士らしい笑顔を作った。
「いえ!なんでもありません!大変光栄です、魔族討伐のため、命を捧げます!」
団長は一拍、値踏みするように私を見つめた。
「……よろしい」
「ありがとうございます!」
どうにか乗り切った。……乗り切った、よな?
手元の剣を見下ろす。真新しい、いや、やっぱりちゃっちいな。先刻見たあの大剣と比べてしまうと、どうしてもそう思ってしまう。
「…………」
とにかく、この記憶は何なんだ。思い出すたびに、心臓が早鐘を打つ。頭の中がぐちゃぐちゃに掻き回されて、まともに物が考えられない。
訓示を読み上げるお偉方の声も、もはや右から左へ抜けていく。
――待て。落ち着け。ここで取り乱すな。
必死に自分へ言い聞かせながら、私はどうにか表情を取り繕い続けた。今にも叫び出したい衝動を、奥歯を噛んで抑え込む。
とにかく、今は式が終わるのを待つしかない。
◇
屋敷に着いた頃には、太陽は西へ傾き始めていた。午後三時。
「ただいま戻りました」
「まあ、アシュリー!お帰りなさい!」
真っ先に駆け寄ってきた母上が、両手で頬を包み込む。父上も好奇心を隠しきれない様子で身を乗り出してきた。
「団長は何と仰った?さあ、聞かせておくれ!」
……いや、今はそれどころじゃねぇ。
さっきの光景がまだ頭の中で渦を巻いていて、根掘り葉掘り聞かれるのに付き合っていられる状態じゃなかった。
「はい。大変素晴らしい式典でした」
歯を見せた元気な笑顔を見せる。引きつってないよな?
「妹殿、お帰り」
書斎から顔を出したのは、兄のセドリックだった。分厚い詩集を抱えたまま、眼鏡の位置を直す。剣よりも本を選んだ、この家系には珍しい変わり者だ。
「叙勲式、おめでとう。……そういえば、何か新しい詩想が浮かびそうな顔をしているね」
見当違いも甚だしい。だが、こういう呑気さには、何度も助けられてきた。今もまさに、そうだ。
「さあさあ、応接間で詳しく聞かせてちょうだいな」
母上に腕を取られかけ、私は一呼吸置いて申し訳なさそうな声を作った。
「……ごめんなさい、式典で少し緊張しすぎたようで、目眩が。一先ず休ませてほしいの」
「おお、それはすまなかった!今日はゆっくり休むといい。また晩餐の時に祝おうぞ!」
「ありがとうございます、父上」
深々と頭を下げ、私は自室へと向かった。自室の前まで付き添ってくれた侍女に微笑む。
「ありがとう。あとは大丈夫だから」
「かしこまりました。何かございましたら、いつでもお呼びくださいませ」
一礼して、侍女が去っていく。その足音が完全に遠ざかるのを待って、私は静かに扉を閉めた。
かちり、と鍵をかける。念には念を、だ。そしてベッドの端に、ゆっくりと腰を下ろす。
「…………」
ほっと、肩の力が抜けた。と同時に、抑え込んでいたものが、堰を切ったように喉元までせり上がってくる。
――もう、駄目だ。大声でも出さなきゃ、正気でいられない。
「うおおおおっっっ!!」
とっさに枕を掴み、口元へ押し当てる。くぐもった絶叫が、枕に吸い込まれていく。
「待て待て待て!俺、死んだよな!?魔王に胸ぶち抜かれて、相討ちになったよな!?」
記憶ははっきりとある。
胸を貫かれた、あの灼けるような痛み。霞んでいく視界の中、目の前で魔王の巨体がぐらりと傾ぎ、崩れ落ちていくのを、確かに見た。
――ああ、相討ちだ。
そこまでは、覚えている。だが、その先がない。
崩れ落ちる魔王を見届けたところで、ぷつりと、記憶が途切れているのだ。
夢なんかじゃない。確かに俺は、あそこで死んだ。……はずだった。
「……なんで俺、生きてんだ?しかも、なんで女になってんだよ!」
叫んでから、はっと枕を強く押し当て直す。今のは、少し声が漏れたかもしれない。
耳を澄ませたが、廊下からは何の物音もしない。もう一度、ほっと息を吐いた。
「……危ねぇ。今の声、完全にオッサンだった」
枕を抱えたまま、俺はゆっくりと鏡の前へ歩いていく。映っているのは、見慣れた少女――アシュリーだった。この十五年間の記憶は、何一つ欠けていない。父上に剣を教えてもらった日のことも、稽古で大怪我をして叱られたことも。
そして、魔族との戦いも、魔王と向かい合った瞬間も、全部俺の記憶だ。
二つの人生がある。けれど、二人の人間がいるわけじゃない。どちらも、俺だ。
「はぁ……。まあ、いいか」
考えたところで答えは出ない。俺は私だ。アッシュで、アシュリーでもある。
「俺、女として立派に暮らしてるじゃねぇか……魔族を倒せるような騎士になりたくて、淑女教育そっちのけで剣を握り続けて」
思わず苦笑する。
「……生まれ変わっても、結局これかよ」
性別が変わろうが、生まれ育った環境が変わろうが、俺は俺だったらしい。魔族を前にした時の、あの焦燥感も。剣を振ることでしか埋められない何かも。全部、そのまま引き継がれていた。
「ハハッ……変わってねぇな、俺は」
ふと机の暦へ目を向けた。神託歴852年。
待てよ。俺が死んだ時、確か神託歴は752年だったはずだ。
「ってーことは……あれから百年経ったのか」
声が微かに震えた。俺が死んでから、世界は百年も進んだ。魔王はどうなったんだ?魔族は散発的に襲ってきてるみてぇだが……。
自分の手を見る。十五歳の少女の、小さな手。
「……そうだ、俺の相棒は」
そう考えた瞬間、胸の奥が熱くなった。百年前、ずっと隣にいた相棒。虚空に手を伸ばす。
「エクスカリバー」
空間が僅かに揺らいだ。眩い光が部屋を満たし、光の中から巨大な剣が姿を現す。床に突き立った大剣は、俺の身長を遥かに超えていた。見覚えのある、無骨で美しい刀身。あの日と、寸分違わぬ姿だ。
「…………」
俺は、その刀身にそっと手を触れた。
言葉はない。だが、掌に伝わる微かな震え。まるで再会を喜ぶように、刀身がひとりでに小さく共鳴していた。幾千の魔族を共に斬り伏せた、あの温もりのない、けれど確かな存在感。
「……会いたかったぜ」
返事はない。言葉を話せないのは、分かっている。だが、それでも。
「……なんだよ。百年ぶりだってのに、無視か?」
からかうように言うと、刀身が、微かに震えた。
それは、否定するような震え方だった。まるで、「そうじゃない」とでも言いたげに。
「…………」
言葉はなくとも、確かにそこには意思がある。震え方一つで、機嫌も、感情の起伏も、ちゃんと伝わってくる。あの頃と、何も変わっていない。
「……まあ、いいか」
私は刀身にそっと額を寄せた。言葉なんて、なくても構わない。こうして、また隣にいてくれる。それだけで、十分すぎるほどだった。
窓の外では、夕陽がゆっくりと沈み始めていた。晩餐まであまり時間は残っていない。そろそろ侍女を呼び戻してドレスアップ等の準備をしなければ。
だが今は、この再会の余韻に、もう少しだけ浸っていたかった。
◇
一ヶ月後。
王都の外れ、下町の酒場「黒猫亭」。
その扉をくぐる前に、私はいつものように意識を集中させた。指先に魔力を纏わせ、灰色のローブの内側でそっと編み込む。
これは、前世の記憶を辿るうちに思い出した、認識阻害の術だ。姿形を変えるのではなく、他人の認識に干渉して、見た目の印象だけを塗り替える。
今の私は、屈強な女冒険者にしか見えない。
新任騎士の研修は、拍子抜けするほど生温かった。素振り、型稽古、基礎体力作り。同期の新人たちが四苦八苦する中、私だけが明らかに浮いていた。
「アシュリー、また模範演武を頼めるか」
教官にそう言われるたび、内心で苦笑いするしかない。前世の戦闘技術に加え、エクスカリバーと再契約したあの日から、この身体そのものが変わってしまった。
剣を抜かず、ただ喚び出せる状態にあるというだけで、常人離れした筋力と反応速度が備わる。相棒と繋がっていることそのものが、加護のように作用しているらしかった。
もっとも、いくら実力が突き抜けていようと、新人が魔族討伐の実戦に駆り出されることはない。銀翼騎士団といえど、階級と経験がものを言う世界だ。当面は基礎訓練と雑務ばかりが命じられる。
つまり、暇なのだ。体力は有り余っているし、眠気もこれっぽっちも来ない。
休日や夜の僅かな合間を縫って、独自に魔族の動向を調べてはいるが、進展は芳しくなかった。分かったのは、ここ最近、辺境の村々で魔族の出没が増えているらしい、という程度のことだ。
――……今度、上層部に忍び込むか。
物騒な考えが頭をよぎるが、今のところは実行に移す当てもない。だから、家族が寝静まった頃を見計らってこっそり屋敷を抜け出すのが、この一ヶ月ですっかり習慣になっていた。行き先は、決まってこの酒場だ。
「おら、灰色のローブの姐ちゃん!次のエール持ってきたぞ!」
「おう、悪ぃな」
酒場の店主に、気安い調子で片手を上げる。氷の魔術士の店主が冷やすエールは最高だ。強力な魔術士が戦場に駆り出されず、こうして酒を冷やしていられるのだから、良い時代になったものだ。
ジョッキを傾け、一気に呷る。
「……くぅーっ!百年前とは大違いだぜ」
キンキンに冷えたエールに、思わず声が漏れる。
「やあ、お嬢さん。今日も来ていたか」
隣の席に座る、同じくフードを被った青年、レイン。もちろん偽名だ。私はとっくにこの男の正体が『第三王子』であることに気づいている。
だが、あえて告げるつもりはない。その方が面白いから。向こうも、自分の正体がバレていないと信じ込んでいるはずだ。認識阻害の術も、当然この男にもしっかり効いているしな。
「今日はどうする?いつもの賭け勝負でもするか?」
軽口を叩き合いながら過ごす、こういう時間は決して悪くない。
「ああ、そうだ」
ふと思い出したように、レインが懐から一通の手紙を取り出した。王室御用達と一目でわかる上等な紙質に、立派な封蝋。場末の酒場に来るような一般人が持つにはあまりに不釣り合いな代物だ。
「今日は、君に手紙を持ってきたんだ。帰ったらご両親に渡してくれるかい?」
「あん?手紙?……こんな一介の冒険者の両親に?」
私は思わず手紙とレインの顔を交互に見つめた。正体を隠している王族が、わざわざ庶民の親に向けて直筆の手紙を認めるなど、本来なら有り得ない。
「そうそう」
「なんでだよ。何が入ってんだよこれ」
「娘さんを紹介して欲しいな、って手紙」
「はあっ!?」
あまりに馬鹿げた冗談に、思わず声が裏返る。こいつ、王子という立場を忘れて何を言い出すんだ。呆れてツッコミを入れようとした、その瞬間だった。
――ゾクリ、と。背筋に、氷の刃を突き立てられたかのような強烈な殺気が走った。
「――ッ」
肌を撫でる、粘りつくような悪寒。この感覚を、忘れるはずがない。殺気だ。
反射的に、椅子を蹴って立ち上がる。
「どうした?」
レインが、怪訝そうにこちらを見上げた。
「……くるぞ」
低く呟いた、その直後。店の入口が、爆発したように吹き飛んだ。
木片と埃が舞い上がる煙の中から、のっそりと歩み出てきたのは、体長二メートルはあろうかという爬虫類型の魔族だった。
緑がかった鱗肌。縦に裂けた瞳孔が、爛々と店内を舐め回す。リザードマンだ。
「……ミツケタ」
その視線が、ぴたりとレインを捉えて止まった。
「魔王様ノ命令。オ前、コロス」
太い足が、床を踏みしめる。ぎしり、と木の軋む音とともに、やつの巨躯が沈み込むように腰を落とした。
――踏み込みの予備動作。
見た瞬間、頭より先に体が動いていた。人語を解す魔族は、獣とは格が違う。まともに間合いを許せば、レインの命はない。
「させるかよ」
私はすぐ傍にあった分厚い木椅子の背もたれをひっつかみ、力任せに引き絞る。
リザードマンが床を蹴り出す寸前、その懐へと逆に踏み込んだ。全身の筋力を乗せ、手にした木椅子を横一文字にフルスイングする。狙うは、低く沈み込んだその太い足元だ。
ガガァンッ!!
すさまじい破壊音とともに、椅子の座面がリザードマンの両脛へ激突して爆散した。巨躯が一瞬、ガクリと体勢を崩す。
がら空きになったその上半身へ、私は軸足を鋭く踏み込み、強烈な回し蹴りを叩き込んだ。
「ゴアッ!?」
衝撃をまともに喰らった巨体が、凄まじい勢いで真横へと弾き飛ばされ、木製の壁を文字通りぶち破る。そのまま夜の通りへと派手に転がり出ていった。
店内は狭い。人語を解すほどの魔族相手に、周りを気にしながらでは、まともに戦えやしない。
――外なら、存分にやれる。
口角が、自然と吊り上がるのが分かった。私はそのまま、割れた戸口から夜の通りへと飛び出した。レインのことは、一旦置いていく。あの様子なら、命に別状はないはずだ。
夜風が、頬を叩く。通りの向こうでは、吹き飛ばされたリザードマンが、不快そうに首を振りながら巨体を起こしつつあった。
見上げるほどの巨躯を前に、私は小さく息を吐く。
「この体格差は分が悪いな」
「ギシャアッ!」
怒りに満ちた咆哮とともに、地響きを立ててリザードマンが突進してくる。一瞬で間合いが潰れ、鋭い爪がこちらの喉笛めがけて真っ直ぐに伸びてきた。
引き絞られる殺気の真ん中、私は紙一重で上体を沈めてその貫手を躱す。そのまま懐へ滑り込み、がら空きになった顎下へ向けて掌底を強烈に突き上げた。
ガツンッ!と、脳を揺らす鈍い衝撃。
「ガ、ッ!?」
顎を跳ね上げられたリザードマンの動きが、一瞬だけピタリと硬直する。その隙を逃さず、私は相手の太い首筋を掴んで引き寄せ、その身体を駆け上がるようにして頭上へと回り込んだ。
自由になった両足で、無防備な脳天を容赦なく踏みつける。全体重を乗せた強烈な踏みつけに、リザードマンは地面へと派手に顔面をめり込ませた。
私はその反動をそのまま利用し、バネのように夜空へ向かって高く跳躍する。酒場の屋根をも越える高さまで、一気に身体が舞い上がった。
無重力の一瞬。落下の勢いへと転じる刹那、私は虚空へ向かって手を伸ばした。
「――エクスカリバー!!」
叫んだ瞬間、空間が震え、眩い光が夜空を切り裂いた。光の中から現れた大剣の柄を、空中で正確に掴み取る。
見下ろす先、地面から顔を上げたリザードマンが、驚愕に目を見開いてこちらを仰ぎ見た。
「ナ、何ヲ――」
両手で柄を握り直し、落下のエネルギーのすべてを刀身へと乗せる。
「――おぉぉぉぉぉッ!!」
渾身の振り下ろし。斬撃が夜空を縦に裂いた。風が爆ぜる。刀身は寸分違わず、リザードマンの脳天を捉え、そのまま脊椎に沿って股下まで一気に断ち切った。
「ギ……シャ……ア……」
声にならない声を漏らしながら、リザードマンの巨体が、左右にゆっくりと崩れ落ちた。どしゃり、という重い音が、夜の路地に響く。
「…………ふぅ」
私は地面へと、静かに着地した。刀身を軽く一振りし、肩に担ぐ。腕には、まだ余裕があった。
「悪くねぇ」
その言葉に、周囲からざわめきが広がる。
「な、なんだ……今の剣は……」
「まさか勇者の剣……?」
その声を聞いて、私はぴたりと動きを止めた。
「…………あ」
私はゆっくりと、肩に担いだ大剣を見た。
しまった。
やっちまった。
周囲には、逃げ出してきた客と野次馬がずらりとこちらを見ていた。ざわめきが広がっていく。
まずい。私は慌ててエクスカリバーを消した。早く姿を隠さなければ――
「待って」
腕を掴まれる。レインだった。いつもの気安さは消え、真剣な目でこちらを見ている。
「助けてくれて、ありがとう。……それにしても、今の動き。どこの冒険者にも、騎士団にもいない身のこなしだったね」
「…………うっ」
まずい。見られすぎた。私は周囲を見回し、あらぬ方向を指差した。
「あっ!もう一匹魔族がいるぞ!」
「なに!?」
「どこだ!?」
一斉に視線が逸れた隙に、私はその腕を力任せに振り払う。驚くレインを置き去りにして踵を返し、一目散に駆け出した。そのまま屋根を伝い、王都の夜闇へと身を隠す。
追っ手の気配がないことを何度も確認し、私は自宅の窓から滑り込むようにして自室へと帰還した。ドサリとベッドに倒れ込み、ようやく大きく息を吐き出す。
「……バレてねぇよな……?」
顔は、フードでずっと隠していたはずだ。だが、あの動き、あの召喚。今頃、王都中で噂になっているに違いない。
考えれば考えるほど、良くない想像ばかりが浮かんでくる。
「……もう、知らねぇ」
私は布団を頭からすっぽりと被り、丸くなった。
現実から目を逸らすように、ぎゅっと目を瞑る。
明日のことは、明日の私に任せよう。今は、何も考えたくない。
そうして布団の中で膝を抱え、じっとしているうちに――いつの間にか、私は眠りに落ちていた。
◇
翌朝。朝食の席は、その話題で持ちきりだった。
「魔族を一刀で斬り伏せた謎の人物!新たな勇者か!?」
父上が新聞を広げて興奮している。私は黙々とパンを食べていた。落ち着け。私は昨日、下町の酒場になど行っていない。
「アシュリー、お前はどう思う?」
「そ、そうですね。素晴らしい方なのではないでしょうか」
胃が痛ぇ。そういえば、と私はふと思い出す。あの手紙は、結局本当に紹介状だったのだろうか。受け取る直前に襲撃されたから、有耶無耶にしてきたが……。
と、そこへ馬の蹄の音が聞こえてくる。それも、一台や二台の馬車の数ではない。
窓の外を見た父上が、椅子から跳ねるように立ち上がった。
「王家の紋章……!?」
母上も、目を丸くしている。兄だけが、のんびりと紅茶に口をつけていた。食堂の扉が開き、執事が慌てて駆け込んできた。
「第三王子殿下がお見えです!」
「「「ええっ!?」」」
私の顔から、血の気が引いた。そして、現れた人物を見て、私は完全に固まった。
「久しぶりだね」
第三王子、レイノルドだった。昨日まで下町の酒場でレインとして一緒に飲んでいた男が、王族として目の前に立っている。
「今日は、アシュリー嬢に用があってね」
「わ、私に……ですか?」
「そう」
レイノルドは微笑んだ。そして、さらりと言った。
「君に求婚しに来た」
「…………は?」
父上が絶句した。母上も絶句した。兄だけが、「へえ」と呑気な声を出した。
私の頭の中で、昨夜の記憶が一瞬で繋がる。
――娘さんを紹介して欲しい、って手紙。
――あれは、冗談なんかじゃなかった。
「……庭を案内して貰っても?」
「どうぞどうぞ!」
父上が即答した。
「ぜひ若者二人で親交を深めてください!」
「父上!?」
私の抗議は届かなかった。こうして私は、半ば強制的にレイノルドと二人で庭へ出ることになった。
人気のない東屋まで来ると、レイノルドが足を止めた。
「……アシュリー嬢」
「な、なんでしょうか?」
嫌な予感しかしない。レイノルドは、にやりと笑った。
「昨日のアッシュ、格好よかったなあ。木の椅子で足元を崩して、回し蹴りで外に蹴り出し、リザードマンの頭上に飛び乗って夜空まで跳躍」
「……っ!」
「虚空から聖剣を喚び出して、落下の勢いごと振り下ろして――魔族が、ずばーん」
「やめろ!」
「しかも着地した後、聖剣を肩に担いで――『……悪くねぇ』って」
「やめろぉぉぉぉ!!」
私はその場にしゃがみ込んだ。やめろ。自分が何をしたかなんて、本人が一番分かっている。
だからこそ、他人の口から再生されると死ぬほど恥ずかしい。しかも、いちいち格好よかったと言いやがる。
「いやあ、本当に格好よかったよ」
「言うな!」
「特に最後の『悪くねぇ』」
「うわあああああ!!」
私はその場でごろごろ転がった。顔が熱い。耳まで熱い。穴があったら入りたい。いや、穴じゃ足りねぇ。誰か俺を埋めてくれ。
「……ふふっ」
「笑うなぁ!」
「ごめん。でも、可愛かったよ」
「…………っ!!」
私はそのまま地面に突っ伏した。もう駄目だ。こいつ、絶対に勝てねぇ。
しばらく地面に額をつけたまま固まっていたが、ふと顔を上げる。そして、むくりと起き上がった。
「……待て」
私はレイノルドへと詰め寄る。
「そういや、お前。最初に会った時から、俺のこと『お嬢さん』って呼んでたよな?」
「うん」
「何でだ?」
「王族には、妨害系の魔術を無効化するアーティファクトがあるんだよ。代々受け継がれてる指輪でね。だから、初対面の時からアシュリー嬢だって分かってた」
「はぁ!?」
「伯爵令嬢がフードを被って、下町の酒場で管を巻いてるところから、ずっと見てたよ」
「知ってて黙ってたのか!」
「だって、面白かったから」
私は絶句した。
完璧に正体を隠せていると思っていた。それが、最初から全部バレていた。
「認めねぇーー!!」
「何を?」
「全部だ!」
レイノルドが腹を抱えて笑う。
私は両手を膝について、深々と項垂れた。なんでこうなった。
「それにさ。君が勇者だって知れ渡ったら、アシュリー嬢は大人気になっちゃうよ?」
「……は?」
「勇者で、伯爵令嬢。しかも美人。きっと争奪戦になるよ」
「…………」
「だったら、僕が早い者勝ちだよね」
「お前……」
「ついでに、王族の庇護下に入るおまけ付き」
「それ、俺を囲い込もうとしてねぇか!?」
「うん。かなり本気で」
にこりと笑ったレイノルドに、私は眉間を押さえた。こいつ、どこまで計算してやがる。
「ねえ、アシュリー。僕は本気だよ。君と一緒にいたら、毎日楽しそうだから」
その顔に、もうからかう色はなかった。
私は小さく息を吐く。
「……ったく。考えといてやる。ただし、私はまだ十五歳だからな!急かすなよ!」
「分かった」
「あと、人前でアッシュって呼ぶな!」
「じゃあ二人きりの時だけ」
「お前なぁ!!あれは前世の名前なんだから、普通にアシュリーって――」
「――前世?」
レイノルドの声が、すっと低くなった。
「…………あ」
しまった。
「アシュリー。今、『前世』って言ったよね」
「い、言ってねぇ!」
「言ったよ。アシュリー、君、もしかして――」
「――ッ!違う!何もない!!」
私は思わず声を裏返らせた。
「な、なんの話だよ!前世とか、そんなん知らねぇし!今のは、その、詩の一節だ!兄上の影響だ!」
「詩?」
「そうだ、詩だ!韻を踏んでみただけだ!」
我ながら、無茶苦茶な言い訳だった。レイノルドは、しばらく黙って私を見つめていた。やがて、ふっと口元を緩める。
「……ふぅん。まあ、今日のところはそういうことにしておくよ」
「あ、当たり前だ」
「でも」
にやり、と笑う。
「ますます君が気になってきたよ」
「お前なぁ……」
私はがしがしと頭をかいた。こいつを相手にしていると、こっちの調子が狂わされてばかりだ。
「はぁ……」
深く息を吐き出し、どうにか気持ちを切り替える。
屋敷の方から父上の声が飛んでくる。
「アシュリー!殿下と何かあったのか!?」
「何もありません!」
反射的に令嬢の声へ戻る私を見て、レイノルドが肩を震わせて笑っていた。
「……笑うな」
「いや、やっぱり面白いなと思って」
「ったく……」
私は空を見上げた。百年前とは違う空。
違う身体。
違う人生。
だけど、この魂だけは、ちゃんと俺だった。
「……まあ、悪くねぇか」
こうして、勇者アッシュの二度目の人生は、伯爵令嬢アシュリーとして、なんとも騒がしい日々の幕を開けたのだった。




