第一章 出会いと再会 ⑥
デレク・アーベルは生きるためとはいえ、娘の能力を利用し続けたこと後悔しない日はなかったが、この事件以降、まずは無数の脅威が存在しているという現実に向き合わなければならなかった。マナを操るという純粋な経済的価値に目をつける裏社会のならず者達。その神秘性に救いや身勝手で熱烈な崇拝をもつカルト的な集団、その逆に人類至上主義で世界樹に属する全てのものを忌避し、魔女として断罪すべしとする勢力など、世界規模での情勢と価値観の不安定さ故の脅威は大小を問わず枚挙にいとまがなかった。
一行商人に過ぎなかったデレクは娘の身を守るため、かつての伝手や資産、嫌悪すべき学者の知的資産、時には暴力すらも使用し、手段を選ばない覚悟を決めた。
そして、伝聞や風説も利用した大袈裟に装飾された徹底的な喧伝と布教によって、ジア・アーベルと言う個人を覆い隠す巨大な偶像を作り出したのだ。
【世界樹の巫女】という名の偶像を。
信仰ではなく金で雇われた信徒に囲まれ、傭兵を雇い入れる事も隠し立てせず、かつては忌むべき存在だったカルト集団の様相を呈していた。その存在は悪漢が狙うには派手すぎ、信仰の神輿に掲げるには華美すぎ、迫害するには強固すぎた。
ジアはそれらが、父が自分の為にしていたことだと十分に理解はしていたが、その偶像は幼い少女が着こなすにはあまりに大きく重く、ありとあらゆる虚像のなかで唯一確かなものだったはずの父娘の絆すらも遠くに感じるようになってしまっていた。
いつからか父からは「ジア」とではなく「巫女様」としか呼ばれなくなっていた。
時折賊に狙われながらも、巫女としての役割を演じる事を、己を殺すことによって慣れ始めたころ、ジア・アーベル十歳の時、また何時ものように枯れた世界樹の枝を活性化させるため、山道を多数の護衛と従者を引き連れながら何日も歩き続け、小さな村を訪れることとなる。
その辺境の地でジアは白髪の少年ハルト・ヴェルナーと出会ったのである。
はじめて同世代の子と共に過ごした数日間。
のどかなで閉塞的な村に父も珍しく気を張らず穏やかだった。
その後、ジアは何度となく回顧したものだが不思議とハルト少年とどのような時間をその村で過ごしたのかは、実は具体的にはなかなか思い出せないでいた。
ただ村の子どもたちの中心に常にいた、まっすぐで純粋な、手を差しのべてくれた彼の子供らしいその笑顔が記憶の大部分を占めていた。
崇拝や畏れ、嫌悪や恐怖などの、大勢の大人たちに向けられた感情に比べれば脆弱であっても、よりまっさらで純粋なその想い。ハルトは意識せずとも同じ子供として、同じ目線で接してくれた。
今ならばわかる。短い間だったがその時ジアはハルトと一緒に野を駆け遊んだだけだったのだ。ただの友達として。
それは少女にとっては命を狙われるよりはもちろん、人々に賞賛され崇められるよりも、自身の人生において、より大きな影響をもつ出来事だった。
それ以降ジアの能力は飛躍的に増大し、肉体にすら変化を及ぼしていくようになる。
その村で世界樹の巫女としてどのような儀式を行ったのかは、もはや忘却の彼方だが、出発の朝、静かな湖の畔で責務や役割を忘れて大泣きしていたことは覚えている。涙を流すのは母が死んで以来のことだった。
涙でかすむ視界の中、同じく涙を堪え、別れを惜しむ白髪で腕白な少年ハルト。彼のほかにも一緒に泥だらけになって遊んだ村の子供たち。ハルトたちのいるところ常について回った、おさげとメガネの気の強い女の子、小太りで泣き虫、でも負けん気が強い男の子の幼馴染二人組。他にもよく意味も分からずつられて泣いている数人の幼児達。デレクも含めた大人たちは距離をとってそっと見守っている。
焚火のもとで父の胸に抱かれて泣いたあの夜のようにジアの全身からはマナの光が溢れていた。そしてジアの感情が伝播するようにハルト・ヴェルナーの姿も春の若葉のような、やわらかな緑の光の粒子に包まれていく。
眩しくも決して不快ではないそのあたたかな光の奔流の中、少年はそっと両の手をジアの頬に添え、少女のために笑顔でたくさんの言葉を紡いだ。そして再び旅に出るジア・アーベルの胸に深く刻まれた別れの台詞。
「また、会おうね。約束だよ」
この時、二人の間で世界樹の巫女が操るマナとはまた違う白い微かな光が瞬いた。
それはジアでさえ目に見えることのない無垢で純粋な想いの灯。魂の煌めき。




