第一章 出会いと再会 ⑤
物心ついた頃からジア・アーベルは大地に漂うマナの粒子の流れを己の一部として知覚し、操ることができた。ジアが森を駆けると光の粒子がその体を追随し光の航跡を残し、マナ製ランプはジアが触れるとより輝きが増し色彩すらも変化した。マナが宿りし作物や動物は先人たちが苦心して作り上げたどんな探知機よりも正確に察知できた。
それはあまりに当たり前すぎて、すべての人間も同様だと信じて疑わなかった。定住することなく行商人として細々と生計をたて、両親とその一人娘であるジアの三人での貧しくはあったが、争い事とは無縁の慎ましく平和な旅の日々。
やがて父や母も含めた大人達がマナを使用するのに道具が必要であることに疑問を持ち始めるが、ジア自身にとって当たり前である故にその能力を殊更披露することも無かった。そのうちこの力は子供の間だけの特権なのではないかと、自分のなかで結論付け、さらに不運にも同世代との交流がまったく訪れなかったことも己の特殊性を実感できずにいることに拍車をかけた。
この能力は自分の感情によって大きく左右されるのだと理解するようになり、そして自らの意思で徐々に自在に操れるようになったころ、もともと体の弱かった母が旅の途中に病で急逝した。ジアが8歳の時のことだった。
小柄な父にもまして小さな体格だったが、表情や感情、さらには言動さえそれに反して大きく、物静かで内向的な父、デレクと対照的な溌剌とした陽気な母。簡単な埋葬の後、持ち家のない父娘ふたりは世界樹の発芽の混乱後の世界の大部分の人々と同じように、先祖の記録や家系のしきたりなども失われており、葬儀などの宗教的な儀式によって身内の死を自覚する間もなく再び旅に出なければならなかった。
2、3日の間、幼いジアの口数はめっきり減ったが、さして父を心配させるでもなく気丈に旅についていった。
小さな森での野宿の最中、デレクの焚火に薪をくべる音で目を覚ましかけたジアは、毛布にくるまったまま無意識に「ママ……?」と呟いた。瞬間息をのむ音とともに半覚醒の瞳に、父の初めて見る胸を刃物で刺されたかのような、苦悶の表情が目に映った。
驚き数秒固まった後、ジアはその表面化した父の苦悩によって母の死を初めて現実として実感したのだった。少女にとってあまりに深く、感じることを無意識に避けていた悲しみ。
瞬間生まれた生涯で最も大きな感情の噴出に堪えきれず、父の胸に飛び込み幼児のように声をあげてジアは泣いた。
慟哭する娘を一緒に泣きながら抱きしめるしかできなかったデレクは、やがて、その泣き声に呼応するかのように森が騒めき、光が瞬いていることに気が付いた。そしてジア自身の悲しみの感情を具現化し可視化するかのように、小さな体躯を中心にマナの粒子が揺らぎ続けた。この時にようやくデレク・アーベルは娘ジア・アーベルの特殊性を知ったのである。
世界の環境の激変によって影響が及び、特殊なギフトが備わった人類が現れ始め総称として【亜人】と呼ばれている。それは専ら本来あるはずのない器官が備わっていたり体質を変質させたりと、具体的に肉体を変異させた姿を示していた。日に日に亜人の数や種類も増え続け、実際旅の途中でデレクはそういう人間に出会った経験もあり、だからこそ、この娘に備わったギフトはそれらの一種でありながら、より希少なものだと確信に至った。
妻を、母を失った父と娘は再び旅を続けながら、その能力をより詳しく具体的に知ろうと協力しながら研究に没頭した。それは家族を失った悲しみを紛らわすための行為であるとお互いに薄々感じながらも。
やがてそれは二人にとって食い扶持を得るための手段となった。行商の要であった活発な妻に去られ、男手一つでは困窮しやむをえない状況であったからだが、その能力を自覚し、操る術を手探りながら洗練させたジアの力はこの時代様々な場面、人々にとって重宝された。
マナの貯蔵量の多い地を導き出し、枯れた作物を活性化させ、そして人類にとって有益ではあっても未だ得体がしれず、どこか不気味な存在であったマナというエネルギーを無垢な少女の姿でジアが操ることによって得られる安心感こそが何よりも大きな需要となったのだった。
母の死後、一年程たって一つの事件が起こる。ジアの活躍を知りマナ研究の専門家を自称するデレクよりもいくらか年上の一人の男が二人の協力を申し出た。学者風のその男は確かに世界樹を中心としたマナ全般の知識に秀でておりジアの能力のより有効な使い道のほか、その力を増幅させる道具の発明など、多岐にわたって援助を惜しまなかった。デレクはなぜそこまで献身的であるのか幾度か尋ねると、研究などができる場のないこの時代では生まれながらの学者肌の彼にとってはジアこそが自分の情熱をささげるべき対象なのだと熱っぽく語るのだった。
彼のお陰もあってジアの能力はより開花し、評判と名声を呼びアーベル親子が経済的に困窮することはなくなったのだが、人々の賞賛は当事者であるジアや、娘を酷使することの罪悪感に苛まれるデレクよりも学者の男の性根を高揚させ、そして危険なまでに酔わせていた。
世界樹の象徴たるマナの申し子であるジアを誰よりも知る優越感、学者としての飽くなき探求心、そして光の粒子を纏う穢れなき少女の神秘的な美しさ。それら要因が重なり、積り、生涯独り身だった学者の男の理性はある日唐突に崩れ去った。
とある小さな村に生えた、はるか遠い彼方の、世界樹から枝分かれした新木を活性化させる儀式の為に滞在していた宿で、ある夜、いつもの様に観察と称し二人きりになったその学者は突如、九歳になったばかりのジアに襲い掛かったのである。神聖なるジアに献身な従僕たる自分が拒絶されるはずがないと本気で思い込んでいた彼は、あまりに無警戒だったために、悲鳴を聞きつけたデレクによって幸いにも大事に至る前に早々に取り押さえられた。
この時ジアは欲望に醜く歪ませた学者の顔よりも、その取り押さえられた彼をじっと見つめる父の無表情ながら凍り付いたような鬼気迫る顔のほうによっぽどの恐怖感を覚えたのだった。
その夜以降、学者の姿をジアが見ることは一度もなかった。




