エピローグ
旅人が独り、森の中を歩いていた。
真新しい外套に身を包み、腰には自らの手製の木剣と獣の牙を研いだ小刀を携え、長年慣れ親しんだ故郷である、静かで少しだけ閉鎖的な山奥の村を背に森を行く。
そこは慣れ親しんだ朝の森の肥沃な生命の匂いに溢れていた。
やがて生い茂る樹々が開け、ぽっかりと森にあいたような広場にでる。
「おおい、遅いじゃねえか。主役が遅刻してどうする」
まだ少しだけ片足を引きずりながら、レオナと寄り添うバズが声をかける。
旅装束に着替えたハルト・ヴェルナーは幼馴染に返答する。
「ごめんごめん、その、一応両親にも報告しとこうかなと思ってね」
記憶を失ったのは大樹の使徒の力の一旦だとはなんとなく理解していたが、結局その力を取り戻しても両親のことを再び思い出すことはなかった。その事に多少の罪悪感を覚えないでもなかったが、それでも感謝の気持ちは精一杯示したつもりだった。
そして見せたかった。
ここ最近で多少なりにも育ったとも思える姿を。
「そうかい」
それだけ言ってバズは他には何も言わなかったが、それでも思いは伝わっていることは確信できた。そしてふと、バズに寄り添うもう一人の大事な幼馴染を見てハルトは仰天した。
レオナは大粒の涙を流して泣いているのだ。
いつも強気な彼女の姿にどうしたものかと、困惑していると、一つため息をついて、バズがレオナの背を両手で押した。押されるままハルトの胸に飛び込んだ金髪の少女はそのまま背中に手を回し、思いがけない力で抱きしめてきた。
瞬間動揺するも、ハルトも思いのほか小さなその背に手を回し、片手は頭を撫でていた。
まるで幼い子供をあやす様に。
ひょっとして昔はよくこうしていたのかな。
「よしっ」
ハルトの胸の中で鋭くこう言うと、レオナは一度大きくハルトの背を叩き、勢いよくその身体を離した。
そうして上げた顔はさっきまでの涙が嘘の様な、晴れやかで見慣れた笑顔だった。
「まったく」
バズは苦笑する。
「なによぅ」
レオナが口をとがらせる。
いつもの他愛のない、そして何にも代え難い大事な幼馴染のやり取りだった。
「よう、もう準備はできたのか」
そう声をかけてきたのはクラウス・バリーだった。
武器を持たず、平服に身を包んだ彼はどこにでもいるような同世代の若者の様に見えた。
「あ、はい。その、なにが準備なのかはまだよくわかっていませんが、取りあえず踏み出してみようかと」
穏やかながら、いつもの様に感情の見えない若き傭兵はハルトの腰の木剣に目をやる。
「それがあの銃剣を元にお前が作った武器なのか」
「僕が作ったって言うと、なんだか違う気もするんですが、世界樹が与えてくれた、うぬぼれではなく僕だけの力には違いないです」
そしてハルトは辺りを見渡す。
「隊長、リアムさんはいないのですね。この剣も元々リアムさんの銃剣を勝手に持ち出したからこうなったわけで、このことに関しても、もっとあの人と話し合っておきたかったんですけど、なんだかなかなか会う機会がもてなくて」
「それを、お前が使うことに関してはあの人は言葉にはしないが歓迎しているよ。お前が使う方がよっぽど有意義だとな。
それに、もうお前とは十分すぎるほど、今はこれ以上何も必要ないぐらいに話したそうだ。心配しなくても、いずれまた会えるさ」
「そうですか。僕はあまり実感がないんですけど、なんだか世話になってばかりな気もします。ああ、そう言えばキアラさんは?」
クラウスは少し面白がりつつもハルトの背後を指差した。
「あっちで暖房器具になってるよ」
何のことだ、その指先を追ってみると、その小柄な女戦士はジアの大きな身体に包み込まれるように抱擁され、随分と激しい別れの挨拶をしていた。
ハルトはジアと二人で共にこの村を出ることにした。
それこそ始めは二人だけでこっそり抜け出すことも考えたのだが、村が山賊に化けた傭兵に襲われたばかりの今、それをすると、それこそただならぬ事態だと、いらぬ混乱を与える羽目になると、正直に大人たちに打ち明けることにしたのだ。
その結果は思いがけずあっさりとしたものだった。
村長の出した条件は二つだけ、身体を完全に回復させ、しっかりと準備すること。
そして旅の最初の目的地として、この村とも交流がある、別の反帝国組織に与する村を訪れ連絡をよこすこと。
それだけだった。
その会話の中で、これまでは仄めかすだけだったエカーアストの村と反帝国組織との繋がりをハルト達にしっかりと示していた。
もう村長はハルトを未熟な子供とは見ていなかった。
そして、ジアの父親のデレクは反対するどころか、頭を下げてハルトにお願いしてきたのだ。
あわてて事情を聞くところによると、デレクは元々この村をジアの旅の最終目的地とするつもりだったらしい。
そして、ジアだけを置いて、デレクたち一行は派手な装いと大袈裟な儀式を繰り返しながら旅を続けるつもりだったようだ。
幼少期からの偶像としての世界樹の巫女を創り出したのはこのためだった。
ジアの本質を覆い隠し、見せかけの煌びやかな張りぼてを演出することで、本人がいなくとも旅を続け、ジア自身を世界樹の巫女という存在から遠ざける計画だったのだ。
ハルトのまだ姿を見ていなかった深緑のローブの従者の一人は、身長こそ本人よりも三十センチほど低く、歳も三つ上だったが、それ以外はジアに生き写しであり、しばらく彼女を身代わりとして巫女の儀式を行い、時期を見て皆で深緑のローブを一斉に脱いで一行は解散する予定だそうだ。
ジアの儀式が実際には意味のない歌や踊りで構成されていたのもいずれ、別の人間を立てても違和感を少なくするためだった。
ジア自身も、うすうすそれは感じていたが自身を想っての父親の決断に、表立って賛成も反対もできないでいた。
慎重さを重ねてきた旅路にも、ジョアンナ・マーシュという工作員が紛れ込んでいた事実に、デレクの決断は急を要していたのだ。
二人の旅立ちの決意を離した夜、ジアはデレクと二人だけで、共に過ごした。
それは巫女と従者としてではなく、随分と久しぶりの父と娘としてだけの関係での時間だった。
そこで時間は十分だったとデレクはこの場にはいなかった。
まるでリアムみたいだなと、なんとなくハルトは思った。
「ほらほら、姫さん。いつまでこうしてるつもり。王子様が待ってるよ」
ジアはようやく抱き上げるような抱擁をといて、キアラを降ろす。
「もうわたしを姫さんと呼んでくれる人もいなくなっちゃうのは寂しいですね」
「もう、最初はイヤミで呼んでたのにまさか気に入っちゃうとはね」
「イヤミだからこそ、わたしは姫なんかじゃなく、ただの女の子なんだと思えたんですよ」
「はあ、その図太さも苦手だったんだけどな、知ってた?最初はあんたのこと嫌いだった事」
「もちろん知ってましたよ」
「そういうとこよ」
他愛のないやり取り。
それでも次第とその時が近づいているのがわかる。
別れの時。
「レオナ。おじさんおばさんによろしく。二人にはお世話になったと心から思っているよ。」
「ハルト、あんたはジアをしっかりとね。守る必要はないかもしれないけど、一応女の子なんだから、とにかくしっかりね」
「じゃあ、バズはレオナをしっかりとね」
「おう、やれるだけはやってみるぞ」
「どういう意味よ」
「クラウスもお元気で、リアムさんにもよろしく、あまり無理をなさらないようにと。あとパメラさんがふさぎ込んでいるので、気にかけてやって下さい」
「分かりましたよ、ジアさん」
「そしてあなたも探しているものが見つかるよう願っています」
「……はい」
そうしてクラウスは再びこちらを向くと、静かに手を差し出した。
ハルトはその手をしっかりと握り返した。
彼らももう護衛対象がいなくとも一行の旅路に違和感をなくすためにデレク達にしばらくの間同行するのだ。
ジアの護衛はハルト一人に託された。
「さて、そろそろ出発しよう」
ハルトはこの日、初めてジアに声をかけた。
「えーっと、やっぱりあれで行くのですか……」
獣の襲撃にあっても、傭兵達に襲われても一切の恐れを見せなかった世界樹の巫女が初めて不安を示した。
彼女の視線の先には、広場の隅に鎮座している、木製の小型の複葉機があった。
かつて、外の世界でそれの制作に憑りつかれた発明家が、テスト飛行の果てにこの地へと迷い込んだことがあったのだ。
一時の滞在の後その発明家は新たなる閃きを求めて、手製の船で村を後にしていた。
そして残されたのが、色も塗られていない素朴な外見をしたこの複座の飛行機だった。
航空機械にしては極めてシンプルな機構を備えたそれはマナの力を動力として動いていた。
従来のものに比べて機構が単純ゆえに、操作が容易で故障も起きにくく、発明家のわずかな滞在期間の間に村の若者のほとんどがその操縦は会得していた。
ただ人工のマナの鉱石を動力源としたそれの燃費は極めて悪く、大気中のマナを吸収し、無限に充電できるとはいえ、二時間ほどの飛行時間を得るために丸一日は放置しておかないといけないのだ。
速度などの性能も従来の物に比するまでもない。
ふと思いつき、ハルトはしばらくそのエンジンを放置し、マナが尽きたこと確認後、それに手をかざすと、たちまちそれは力を取り戻し、さらには従来以上の働きを示した。
この大樹の使徒の力は戦うことに使うだけではないのだ、と心の奥底から喜びが沸いた。
「大丈夫だよ、ちゃんと操縦しながら、充電できることも確認したし、それに性能だって上がっていた。
僕が元気な限りはこれは飛び続けられる。そ
れに何かあっても君の力があればエンジンをいつでも安定させられる。僕ら二人にはこれ以上ない相性のいい乗り物なんだ」
「いや、そうじゃなくて……」
ジアにしてはなんだか歯切れの悪い言い方だった。
「その、わたし、重いんですのよ」
予想もしなかったジアの返答に言葉を失い、思わず吹き出してしまった。
次の瞬間キアラの鋭い蹴りがハルトの尻に炸裂していた。
なぜかバズも同様にレオナに蹴られており
「何故だぁ」と抗議の声を上げる。
尻をさすりながらハルトはジアに近づく。
いつの間にかジアと同様に深緑に染まった瞳で彼女を見上げる。
「それも大丈夫だよ。僕が支えるのだから。君が僕を支えてくれたように」
偽らざるハルトの本心。
ハルトもだがジアも持って生まれたいくつもの大きな試練がある。
これまでも、これからも、二人がともに歩けばそれはさらに大きなものとなるだろう。
そして二人も完全に成長しきったわけではない。まだまだ未熟な若者なのだ。
その力の一端に触れたが、帝国がどう動くのか予想もつかない。
その力を司る存在になったとはいえ、世界樹がどういう存在になるのかもわからないのだ。そして外の世界が二人に対してどう動いてくるのかも。
それでも何があろうともハルト・ヴェルナーはジア・アーベルを支えていく。
だから君も僕を。
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そして旅立ちの時。
深緑の粒子を振りまきながら、二人を乗せた名もなき複葉機は、静かに鈴の音のような共鳴音を鳴らし、風に乗るように垂直に上昇していた。
深い森の木の高さを上回ると、春の朝の冷たさの中に暖かさの混じる空気が二人を包みこむ。
その存在に驚いたように同時に飛び上がった茶色い体の小鳥たちが抗議するように囀りながら辺りを飛び回る。
そっと動きを確かめるようにハルトは慎重に機を進めた。
そして一旦スピードにのり、湖の上空に達すると、思い直したように機首を回し、下流から川をさかのぼり、その川に沿う様に建てられた村を視界にとらえる。
訓練の時は念のため飛行を禁じられていた村の上空をゆっくりと進める。
山奥から湖に向かって流れる緩やかな川に沿うように、木組みと漆喰で建てられた家々がまばらに並ぶその村を、空から風を通して眺めていた。
いつか見た夢の様に。
村の奥の広場では、同じく旅立ちの準備をしているデレクが指揮する「世界樹の巫女」の一行がいた。
今はまだ深緑のローブを来ていない。そしてそれを手伝う大人たち、村長のエドガーや、ホーファー夫妻、そして護衛隊長のリアム・パターソンの姿を認めた。
空を飛ぶ複葉機よりも、あとに残す彼らを見た時にこそより旅立つ自分を実感できた。
そしてこんなことを言うと怒られるだろうけど、後部座席のジアの重さを。
ハルトは振り返り、飛行用ゴーグルを押し上げると、空の風の音に負けないようにジアへと声をかける。
「それじゃあ行こう。ジア」
ジアも同じくゴーグルを上げる、弾みでその長い髪が美しく広がる。
「ええ、どこまでも、ハルト」
深緑の粒子の軌跡の伸ばし、若き二人を乗せた飛行機は風に乗り、速度をあげた。
二人ともこの村での出来事からも、この先にそう甘くない試練や戦いが待ち構えていることも覚悟の上だった。
それでも、今、空を行く二人の胸には希望が溢れていた。
煌めく魂の、無垢な白い光の様に。




