第八章 すべてが重なるとき ④
メルヴィンは自らの行いに戦慄、戸惑い、しばらく動けないでいたが、大地が光の飛沫とともに引き裂かれ、巨大な根が管理小屋を破壊した瞬間をきっかけとして我に返ったように、振り落ちる土やらを避けるようにと立ち上がると、騒動に背を向けその場を後にしようとする。
しかし、その足をあざ笑うかのように大地から大蛇のように身を起こす巨大な根に持ち上げられ、あらぬ方向へと転がり落ちる。
弾を打ち尽くし、もはやメルヴィンの蛮行の証拠としてしか役に立たない小銃は、とうに投げ捨てられていた。
地響きを立て続け得る大地におびえながら、そっと目を開けると眼前に広がる光景に情けない悲鳴を上げそうになった。
全身血塗れの帝国工作員ジョアンナ・マーシュの眼を見開いた顔がそこにあった。
どこか場違いで、冷酷ながらも穏やかだった雰囲気の白髪の老夫人の姿もこうなっては村人たちに無残に殺されていったほかの傭兵たちと大差なかった。
唯一の大きな違いは彼女を手にかけたのがメルヴィン自身だということだった。
その結果、何がもたらされたのかも確かめようともせずに、自分はまた逃げ出そうとしている。
だって仕方がないじゃあないか。
中空に持ち上げられた舞台の様な樹の根の上で、光の粒子に照らされながら戦い続ける二人の男を横目に見てひとり呟く。
剣劇の合間にハルトが左の掌から光の波動を放つと、ケインは至近距離からのそれを、首を振って反射神経でのみ避け、逆にそこを隙とみてとり、肩から体当たりを食らわせる。
吹き飛ばされたハルトは、それでも態勢を立て直すよりも素早く、今度は実体化した蔓を放出し、ケインの持つ金棒に巻き付ける。
二人の間に張らされた蔓が伸び切り、緊張をはらむとケインの方が却って力の限りハルトの身体ごと強引に引っ張る。
急激な逆方向への力に引きずられながらも、ハルトは即座に蔓を切り離すと再び深緑に輝く木剣の攻撃に移る。
目覚めたばかりの力をどこか試行錯誤しながら次々と繰り出すハルトに対し、それらを身体能力と勘でいなし、鍛え上げられた肉体で反撃するケイン。
命がけでありながら、あるいは命がけである上にどこかその闘いを楽しんでいるようにも見える。
自分ではとても、あの極致にたどり着くことは出来そうにない。
ならばなぜ自分を撃ったと、光の失われたジョアンナの瞳が無言の抗議をしているようで、思わず目を反らすと、数メートル先の地面に先ほどまでジョアンナが構えていた散弾銃が無造作に落ちているのが目に入った。
ここ数分間の騒動と騒音のなかでもそれが発射された銃声を聞いた記憶がない。つまりその時代物の武器の中にはまだ二発の、人に死を与えうるだけの弾が装填されているのだ。
もはや丸腰となったメルヴィンがそれを手に取ったのは自然な流れだったが、良くも悪くも、またしてもこの手に選択肢がもたらされてしまった。
もちろん自分にとって一番都合がよく、かつ安全なことはこの騒動のどさくさにまぎれ、すべてに背を向けて逃げ出すことだということはわかっていた。
しかし、それでは自分は、帝国の任務を完全に失敗したどころか、世界樹の巫女や大樹の使徒に帝国への敵意を植え付け、一時的とはいえ仲間となった傭兵達を一人残らず殺されるままに見捨て、さらには本来の上官であるはずのヴァイパーを射殺した謀反者だ。
どうみても自分が切り捨てられること前提の作戦ゆえ、このまま軍から離れ、逃亡する選択肢も最初からあった。こんな自分を帝国軍も本気で探しはしないだろう。
だが生まれ故郷を捨て、軍の裏切り者にして、落伍者の烙印を押されて生きてゆけるほどの図太さもなかった。
ならばどうする。
世界樹の巫女の姿は、今は見えないが、極限の状態で戦っている男二人ならばここから射殺することがあまりにもたやすく思えてしまう自分に思わず唾をのみ込む。
大樹の使徒を撃ち、ケインを助け、共にここから逃げ出すか。
ただ、たとえそれが今上手くいったとしても何の成果も得られなかった敗残兵であることに変わりはない。
ただもう一つの道があることにもメルヴィンは気が付いてしまった。相当な度胸と慎重な立ち回りが必須だが、状況を一変させる手が。
それはケインをこの手で射殺することに他はない。
結果として、ただの一般兵に過ぎない自分は帝国工作員ヴァイパーと、傭兵のリーダーケインを一人で討ち取ることとなる。
その不相応の功績を手に、あくまでもトップ二人が独断であり、帝国自体は敵対していないことを表明しながら降参、投降し、この村へと取り入るのだ。
ジョアンナもここは帝国への反乱組織のような大げさなものではないと言っていた。ならば村人や巫女に大きな被害が出ていない今、表立って帝国と事を起こす気もないだろう。
幸いにもメルヴィン自身は村人たちとも直接敵対する行動はとっていないし、ずっと巫女の従者のローブによって顔も隠したままだ。ピュアブラッドの面々が全滅したのならばメルヴィンがこの作戦の実質のリーダーだったと証言する者もいない。
逆に帝国から派遣された危険な思想の工作員や凶悪な傭兵達のお目付け役であったのだとアピールするのだ。
唯一の帝国兵であることに偽りはなく、巫女に銃を向けていたのもあくまでもヴァイパーを油断させるためだったと。
一転、軍の第一目的であるピュアブラッドの戦力削減についてはこれ以上にないほどにうまくいっているのだ。
もともと自分を一切信頼していなかった軍にも非難されるいわれはない。
それに巫女を帝国へ迎えずとも、うまく立ち回れば作戦の唯一の生き残りとして、さらに新たなる大樹の使徒の情報などをもたらし、成果を上げつづけることもできる。
メルヴィンはポケットの、ジョアンナの懐から拾い上げたマスターベリーの重さを意識する。
ふってわいた功績の予感に、この作戦に参加して以来、初めて恐怖を高揚が上回る。
同等に迸る緊張と興奮に震える両足を抑え、あふれる光の粒子が次々と降り落ちていく中、慎重に散弾銃を上方へと構え、ケインの大きな身体へと狙いをつける。ジョアンナを撃った時と同様にもう目を反らす気はない。
ジョアンナ、ケイン。
これが自分の導き出した『筋書き』だよ。
やっぱり撃つのならば悪役の方だよな、と自分に言い聞かせながら引き金を絞る指に力を込める。
攻勢をかけるハルトを受け止めるケインは、感情を露わに、怒りとも喜びともとれる形相で白い歯をむき出しにした。
その白い歯が闇夜に、光の粒子が反射し目立っていた。いつも朗らかな笑顔の中で目立っていた白い歯。
『「全てが終わった時帝国に戻るか、また我々と共に行動するかは君が決めると良い。私はもちろんまた一緒にやっていけたらと思っているよ。若いの」』
あまりに恐ろしく、冷血で、同時にどこまでも頼もしく勇敢な傭兵。
目立つことを嫌い、常に埋没していた自分を常に何かと気にかけ、明るく引っ張り上げ続ける大きな男。
なぜか撃つことを一瞬ためらってしまった。
ふいにそばでもつれ合っていた大樹の根が、乾ききった枯れ木が焚火に爆ぜるように大きな音を立てて崩れ落ちた。
土煙をかきわけて巨大な漆黒の人影が視界を覆いつくした。
「そこでなにをしているのですか」
平坦でありながら、地の底から轟くような低い声。
それは背後から照らされた夜の闇の中で、深緑の瞳だけが輝いて見える世界樹の巫女だった。
圧倒的な力と怒りを秘めた様子で、ゆっくりとメルヴィンの頭を掴むように伸びてくるその右手に視線が釘付けになる。
死を具現化する恐怖にメルヴィンは、深夜の森で獣に出くわした時も、闇夜でヴァイパーの姿を見た時も、アニー・ベイツに小屋の外に引きずり出された時も我慢していた悲鳴を上げてしまっていた。
先ほどまで考えていた自分に都合の良い筋書きなどは風に舞う木の葉のように木っ端に吹き飛んでおり、あわてて散弾銃を彼女の方へと向けると今度はためらいなく、懸命に引き金を引き絞る。
だがそのメルヴィンの人差し指は冷たく硬い、絶望的な手応えを伝えてきた。引き金は溶接されているかのようにびくともしなかったのだ。
見下ろすとその年代物の散弾銃は強烈で鋭い衝撃を受けたかのように機関部にへこみとひびが出来ていた。
そういえばアニーが構えていたこれは巫女によって蹴り飛ばされていた。
そんなことも忘れて、目の前にぶら下がった不相応な成果の誘惑に誘われて、巫女の逆鱗に触れてしまったのだ。
なんとも自分らしく情けない最期。
蜘蛛の脚のように大きく広がった世界樹の巫女の掌に視界が覆われた。




