第八章 すべてが重なるとき ③
ハルトが掌の石から地面に向けて発射した、渾身のマナの波動は多少その身体をぐらつかせたものの、ハルトを抑え込む万力の様なケインの両腕をほどくことは叶わなかった。
だが次の瞬間ハルトの焦燥を地面が感じたかのように、下から凄まじい衝撃が起こり、もつれ合った二人の身体を同時に突き上げた。
不意に宙に投げ飛ばされ、さすがのケインもハルトを放し、あわててバランスを取ろうと空中で身構える。
同じく宙へ巻き上げられた無数の瞬く粒子よりも早くハルトの身体は重力に屈し、空中の回廊のように持ち上がった太い大樹の根に両手と膝を突き何とか着地する。
衝撃に視界が揺れる。
数メートル先ではその体形に似合わず、ケイン・ボーヒーズが金棒を持ったまま軽やかに着地していた。
世界樹の一部に乗って二人は対峙していた。
大地が揺れ、木の根が軋む騒音の中でもよく通る声でケインはバランスを取りながら話しかけてくる。
「いやあ、すごいものだな。これは君の力なのか、それとも巫女様のものなのか。
ただ、どちらにしろ世界樹は私自身を、敵を直接害そうとするわけではないらしい。結局のところ、我々の決着自体は君自身の手で付けなければいけないようだぞ。
ここまでお膳立てされては君も戦う以外に、素直の言うことを聞いてはくれまい?
ハルト・ヴェルナー君」
降り落ちる大量の土と葉と光の粒子のなかを近寄りながら、何もかも予想外の出来事の連続の状況でありながら、まるでこの場を楽しんでいるかのようにケインは朗々と語る。
「私はどれだけ名を上げながらも、所詮日陰者として、細々と生きていくしかないと思っていたが、こんな劇的な状況に立ち会えるとは、所謂悪者とは言え光栄だよ。
ぜひ、この報われない悪役に精一杯役を全うさせてくれたまえよ。世界の英雄である正義の味方よ」
正直なところ、ハルトはその返事をするだけの余裕がなかった。
巨大な樹の根についた両ひざと両の掌には細い木の蔓が服や皮膚を貫通し、一体化するかのように巻き付いていた。
そこから大量のマナがハルトの意思に関係なく身体に流れ込み、まるでその狭さに抗議するかのように暴れまわっている。
今朝の湖で世界樹の種が暴走し、身体が空中にばらばらに溶けだしそうな感覚が蘇る。やはりこの世界樹の力は僕一人なんかでは制御できないものなのだろうか。
あの時はジアの声と導きでなんとか自分を取り戻すことが出来たが、今のこの状況は自分自身が、そしてなによりもジアが一番望んだことなのだ。
そのジアは、先ほど空中に打ち上げられた直前に、自信に突進する木の根に埋もれるように視界から消えていた。
彼女自身が望んだことである故にその樹の根に傷つく心配はしていなかった。
なにより最後の瞬間ハルトを見つめていたジアの強い意志の宿る瞳がそんな気配を微塵も感じさせなかった。
その深緑の瞳はハルトに勝てと言っていた。
目の前にいるケインという具体的な敵にだけではない。
この身に降りかかる運命すべてに勝てと。
今はわかる。ジアはその身に降りかかる困難に打ち勝つだけの力を、僕なんかが手を出さずとも、十分に備わっているのだ。
あの獣に襲われた時も、今夜も、これからも。
でも彼女はそれを僕にするように望み、願った。
何よりもハルト・ヴェルナーはジア・アーベルのために全力で戦えと。
昨日、ジアのために戦ったことは、僕のわがままと言った。
ひょっとしてと思う。ジアも結構わがままなんじゃないかと。
そして僕の運命も、世界樹の力も同様にわがままだ。
ジアの願いや世界樹の力を、ただ全てを無条件に受け入れるだけではいけない。
それはあれもこれもわがままなんだから。
その流れに負けないだけの確固たる自分がなければ、今の自分がマナの光に飲まれているようにたやすく世界に飲まれてしまう。
幼少期の思い出がない自分だけでは、幼馴染二人との思い出を糧にこの地に着く両足のほかは、その確固たるものを見つけることができず、自分を保てそうになかった。
だから僕はこの右手を振りかぶる。
巻き付いた蔓によって半ば樹の根と同化しかけた拳を、引きちぎる様に持ち上げる。
その右手には黒い柄の銃剣がまだ握られたままだった。
先ほど宙に持ち上げられながらそれを手放さなかったことは僕にしてはよくやったとも思える。
過去のない自分や、ジアのわがまま、世界樹のあふれるマナなど、あいまいな潮流の中でその無機質な金属の武具の、手のひらに伝わる冷たさだけが今のハルトにとって確固たるものの象徴だった。
目の前の地面、マナの放出を続ける蠢く根に、全力で銃剣を突き刺した。
その瞬間右手だけじゃなく、全身に巻き付き始めた蔓がすべてはじけ飛んだ。
世界樹の種がこの星に降ってくる以前の、純粋にこの地球のものだけで構成されている鋼がハルトの体を世界樹と唯一繋ぐものとなった。
身も心も世界樹のマナに支配されて自分を保っていられるほど自分はまだ強くない。
この心は、僕の想いはまっさらなままでありたい。だから都合のいい事だとは思いつつも、今は、自分は自分のまま世界樹の力を扱おうと思う。
その力にふさわしい大樹の使徒としての資質がこの僕にあるかどうかはこれからを見てくれ。
そのこれから先を知るためにも今この場を切り抜けるための、この男と正面から戦うだけの力が必要なんだ。
目の前に来たケインは大きく息を吸い込むと、人を殺すというよりも、まるで日曜大工の一環の様な構えで太く大きな金棒を振りかぶった。
その顔から目を反らさず、ハルトは片膝立ちになると、逆手で銃剣の柄を握った右手に左手を添える。本来それは片手分の長さしかないはずだが、たしかに左の掌は順手でしっかりと柄を握っていた。銃剣に沿う様に巻き付いた世界樹の蔓が両手用の剣の柄を形作っていた。
ケインが渾身の力で金棒を振り下ろすと同時に、ハルトは気合と共に、立ち上がりながら両手で掴んだ銃剣を樹から引き抜きながら振り上げた。
二人の武器が空中でぶつかり、金属とは少し違う重い衝撃音が、マナの深緑の火花と同時に弾けた。
ハルトが振り上げたそれは、リアムが持っていた鋼の銃剣を中心に、世界樹の一部が引き抜かれ、巻き取られたかのように、薄く緑色に光る樹の一部で覆われ、一本の剣を形成していた。
それが秘めたる予想外に強大な力に金棒ごと弾かれ、ケインは一歩下がる。
木剣を振り上げながら、両手でしっかりと順手で握り直しハルトはさらなる追撃を掛ける。
深緑の軌跡を残しながら振り下ろされた剣を、両手を金棒に添え、初めて完全に防御に回ったケインが受け止める。
その衝撃に反応して、剣だけでなく、周りに漂う光の粒子が煌めきながらはじけ飛ぶ。共鳴するかのように激しく震える金棒をケインは両手でがっしりと握る。
「素晴らしい、これが君の力か。世界樹由来だろうとどうだろうと、巫女の祈りがあろうとなかろうどうでもいい。まぎれもない君自身の力だな。それを精一杯受けれるのは光栄だよ」
息は荒く、それでもなんとも嬉しそうに、ケインは言うと、全身に力を込めその両肩と腕の筋肉が盛り上がり、じりじりと身体ごと金棒を押し込んでくる。
「さあ、それでも大人しく敗けてはやらんぞ。どうする英雄」
地力の差で少しずつ抑え込まれてゆくと、不意にハルトは両手の力を抜いた。
虚をつかれケインはバランスを崩し、こちらに倒れ込むその身体に逆らわず、ハルトは2、3歩下がると両手で握っていた剣を離し、右手の拳を固めた。
ケインはマナの宿った木剣の一撃を警戒し、咄嗟にまた金棒を持ち上げ防御の姿勢を取ろうとする。
間髪入れずに、剣を振り上げる間もなく飛び込んだハルトは持ち上げられたケインの両腕を超えて、その大きな顎に固めた右拳を叩き込んだ。
そこにあるのはマナの神秘的な力などないただの少年の握り拳だった。
目覚めた大樹の使徒の人知を超えた力を警戒していたケインはそのハルトの、稚拙で粗野な攻撃に完全に不意をつかれていた。
右拳に伝わる痛みを伴った手応えにある種の甘美な背徳感を覚える。
これが、ハルトが世界樹の完全な支配を拒んだ理由の一つでもあった。このケイン・ボーヒーズという男、立場的には追い詰められながら、そして自分でも悪者だとうそぶきながらも、どこかにこやかに余裕を崩さない顔に、自分自身の拳を一発お見舞いしたかったのだ。
ぐらつきながらもその場に踏み止まったケインは、一瞬戸惑ったような表情をした後、歯をむき出し、お返しとばかりに右拳を繰り出した。
咄嗟に下がるように避けるが、伸びきって頬に触れそうになった拳をケインは力任せに振り回し、裏拳で弾くようにハルトの顔を跳ね上げる。
ハルトも同じく、なんとか踏み止まりながら、視線を戻すと同時に今度は木剣を両手で握り直して振り下ろす。
同じタイミングで振り下ろされたケインの金棒と再び空中で衝突し、火花を散らす。不思議と殴られた瞬間よりも互いの武器がぶつかった今の方が、痛みが響いた。
口の端から血を流し、頭髪を僅かに乱れさせながらケインは低い声で言う。
「なかなかいい一発だった。意外と君は好戦的なんだな。大いに気に入ったよ。
選ばれた力とやらで私は一撃のもとに葬られるのかと覚悟したのだが、君は英雄とやらの前に一人前の戦士なんだな。
やっぱり小細工などせずに正々堂々と君の前に現れればよかったと思うよ」
息を乱し、それでも集中し、力を込め、再び木剣に光を宿しながらハルトは答えた。
「そもそもあなたの目的はなんなんだ。なぜ執拗に僕を狙う。ロバート達も結局それを教えてはくれなかった。ジアを、世界樹の巫女を狙っていたわけじゃないのか」
一瞬ケインはポカンと表情を失くす。
「そういえば我々は巫女を狙っていたのだったな。すまない、忘れていたわけじゃないのだが、どうやら私達も帝国に陥れられたようでな。
ようは今後の帝国繁栄のための下準備だよ。評判と名声、情報と人脈そして何よりも世界樹をはじめとした新時代の象徴の偶像として彼女を帝国陣営へと引き込もうとしていたのさ。
普通にやっても彼女が納得するわけがないので多少荒っぽい事に慣れた我々が雇われたってわけだ。成功したら証拠や証人ごとすべて焼き払い。失敗したら我々傭兵が勝手にやった事とされてね。
どうも本国も本気で成功するとは思ってなかったようだがね。私たちは捨て駒さ。君達がここまで手強いとは知りもしなかったよ」
「そこにどうして僕が狙われるのかの理由もあるのか」
「要は人質だよ、巫女様がとんでもない強さがあるのだと分かった今、大樹の使途としては新人の君の方が捕まえやすいと、軽率にも多少君を舐めてかかってしまったんだよ。
おっと言っておくがこれは私の思い付きじゃないぞ。
君の素性など何も知らなかったしな」
そして確かめるように言葉を繋ぐ。
「君は世界樹の巫女の大事な人なのだろう?」
僕自身は自分にそこまで自身は持てない。でも先程の彼女の確信に満ちた眼差し。
そして彼女は待っているのだ、この状況を作り出し、僕が敵に打ち勝ち迎えに参上するのを。
「そうでありたいと願っているよ」
再び剣を構える。
足場となっている大樹の根が振動とともに不安定になりだしている。
「その意気だ。といっても私が正直に君に話したのも、今更君を人質としても、それにはもう意味がないようなのだよ。
我々の仲間もほとんど全滅したようだし、帝国へと手引きしてくれるはずだった人間も死んでしまった。今更どんなことをしたって巫女は言うことを聞いてくれんだろうし、君もそう簡単に人質になるような男じゃないようだ。
まあ、端的に言って私たちは大失敗したのだな。君をぶん殴ることにも殴られることにももうやはり何の意味もない」
一瞬彼は全身の力を抜いた。なんだか急に精力に溢れたこの男が老けたような気がした。
「ただな。そこに意味なんかがなくともね」
「?」
「このまま君と決着をつけずに尻尾をまいてすごすご逃げるのもどうかと思ってね。
こんな頭のイカれた傭兵にだって戦う戦士としての意地というものが多少はあるようなのでな」
一転ケインは歯をむき出し、昨夜のあの獣のようなどう猛な笑顔を見せる。
「最後まで全力で戦ってみたいのさ」
動物が威嚇するように彼の身体が一回り大きく膨らんだように見えた。
「もう少し付き合ってもらえるかい。ハルト・ヴェルナー」
「もちろんだ。ケイン・ボーヒーズ」
どうやら僕の顔にも似たような笑みが張り付いているようだ。




