第六章 純なる野犬と邪なる毒蛇 ⑧
ピュアブラッドの女傭兵の一人キャリー・クリステンセンは、仲間の大部分が失われたことを実感しながら愚鈍な兄、マークを引き連れ村からの脱出を図っていた。
別の民家に侵入しようとした傭兵が玄関に仕掛けられたトラップにより、無数の矢に串刺しにされ、その状況に混乱した相棒は静かに裏口から忍び寄る老人の鉈により音もなく切り捨てられた。
その様子を見たキャリーは即座に異変を察知し襲撃を中止すると、迷うことなく兄の腕を引っ張り、撤退を始めた。
思い切りの良さは生き残るために身に着けた彼女の利点だった。
それがまったく足りていない兄に多少苛つきながらも言葉もなく二人は物陰に姿を潜ませながら足を進める。
やがて村中に響き渡る連続した銃声とそれに続くサイレン、上空から照らされる灯りにここまでか、諦めかけたその時、マークが遠くの民家に挟まれた隙間の白い壁を指さした。
灯りがなければ、夜には気づくことができないであろう、暗闇に隠れたその壁には木製の扉がついていた。躊躇することなく二人はその扉を開け、その身を隠すようにと夜の森の闇をかき分けるよう進んでゆく。
村の灯りからも届かないような暗闇だが、それでも確かに道が続いているのがわかった。村の喧騒がどこか別の世界で響いているような気がしてきた時、急に道が開け、深い木々の間から星空が覗いていた。そして急な坂に設置された粗末な石段が見えた。
慎重にその石段を登っていくと視界がひろがりそこが村の最奥の巨木の、さらに裏側の丘のような場所であることが見て取れた。
そこは村の灯りと連動している様子の一本だけ建てられた外灯に照らされていた。
しかし、どうやら接触が悪いようでその光は不安定に明暗を繰り返している。
用心して草むらに伏せ、息をひそめるキャリーの目が不意な動きを捕えた。その外灯のそばに粗末な木製の小屋が建っており、その扉が開いて一人の人物が姿を現したのだ。
その極めて長身の人物は、遠くで鳴り続ける戦いの音にしばし耳を傾けると、ふと、点滅している外灯を見上げ、優美な動きで手をかざした。
途端にそのマナを利用した外灯は生命力を外部から与えられたかのように安定した光を取り戻し、その人物を含めた周辺を照らし出した。
そこに世界樹の巫女がいた。
詳細は聞いておらずとも、その圧倒的な存在感によって彼女こそが目標の人物であることは一目瞭然だった。
襲撃から密かに身を隠しているはずの身でありながら、その優雅で美しい立ち姿は、一転窮地に追い込まれて、地に伏せているキャリーの神経を極めて苛立たせた。
誘拐が目的だったはずだが、今更もうそれは叶わない。
ならばこの昂った怒りを抑える方法はいつも通り一つしかない。
幸いここには他の忌まわしい村人達はいないようだ。
姿をさらすのも構わず無造作に立ち上がると、一瞬止めようとした兄のマークの方を見ることも無く鋭く一声上げる。
「行くよ、お兄ちゃん!!」
そうして一直線に巫女の方へと駆け出した。
風を切り、山猫のように、しなやかな褐色の筋肉に覆われた四肢を躍動させる。
昔から容姿を褒められたことはあまりないが、その溌剌とした肉体の駆動は誰もが見惚れるほど美しかった。その行動が暴力行為にのみ発揮されるものだとしても。
キャリーよりも数歩おくれて同じく駆け出した兄のマークは、彼女とは少し斜めにずれたコースを走り、標的の巫女と妹を同時に視界に入れると背中に背負っていた武器を取り出す。
不格好で巨大な棒付きキャンディーのようなそれを振りかぶると、巫女に向かって振り下ろした。ブラスターの一種であるその先端から物理的な質量を持ったマナの光弾が発射された。
兄の発射した光弾の衝撃で相手を怯ませ、キャリーが一気に接近し、敵を仕留める。単純故に確実で、かつ強力ないつもの戦法だった。
巫女の背後、小屋の中から小柄な中年男が姿を現し、慌てて銃身を切り詰めた散弾銃に弾を込めようとする様子が見て取れた。
大層な物を持っている様だが所詮素人か、と気にすることなくキャリーは厚い皮の布地で固めた拳を握る。
人の頭大の質量を持った光が巫女の顔面を捕えようとする。
衝撃に、その整った顔が無様にのけ反る様を予期し、追撃にキャリーは獲物をしとめる猫科の肉食獣の様に跳びかかり、引いた右拳に全体重をかける。
マナの光弾は巫女にぶつかるその寸前で破裂していた。
まるで主を傷付けることを拒否し、自ら自決を選択したかのように。
初めて見る現象に一瞬キャリーは動揺したが、今更攻撃態勢になった身体を止めることはできない。尚更勢いをつけ、高い位置にある巫女の顔の、その深緑の瞳に渾身の力で拳を叩き込んだ。
次の瞬間予想外の方向からの凄まじい衝撃の波がキャリーの全身を襲った。
視界が揺れ空中で姿勢の制御が効かず、全身が激しく揺さぶられる。何が起こった、反撃を受けたのか。
唐突に衝撃が収まると、びっくりするほどの至近距離に自慢の拳を撃ち込んだはずの、巫女の無傷で無表情の顔があった。そしてそれにもましてキャリーを驚愕させたのは自分の足が地に付いておらず、宙にゆらゆらと浮いているということだった。
兄がなにか喚いている。
この巫女は全力で殴りかかったキャリーの拳をその大きな掌で受け止め、掴んだそのまま、魚を釣り上げるように宙に持ち上げたのだ。
渾身の一撃に一切怯むことなく、それなりの対格差があるとはいえ、筋肉質の傭兵の身体を右手一本で苦も無く完璧に支えている。
身体の揺れが収まり、自分を見つめる深緑の双眸の色合いが一段と深くなった様に感じた。
その瞬間凄まじいまでの恐怖が、宙に浮いたままのキャリーの身体を襲った。
命の危機を感じたからではない。
その類の恐怖はずっと兄と二人きりの孤児だった幼き日から何度も乗り越えてきており、傭兵となってからも数多の命懸けの死線を潜り抜けている。
今感じている恐怖は、未知のもの、それも自身の強さや価値観を超えた圧倒的な上位強者に感じるもの。人が人に発する暴力や殺意への恐怖でなく、もっと根源的で本能的な、例えるならば地を這う虫などが宙から襲い来る猛禽類などを見た時に最期に覚える様なもの。
無駄だとはわかりつつも、泣き喚き、身を引き離そうとした瞬間、その動きを察知したかのように巫女は持ち上げた長い右手を振り回し、ためらうことなく全力でキャリーの身体を宙から地面へと勢いよく叩きつけた。
聞いたことのない音が彼女の中で響き渡った。
人体が、わたしが壊れる音。
2、3度地面を弾み不自然な格好で転がったキャリーはもう一切身体が動かせなくなっていた。
吐息一つつくこともできない。ほんの少しでもこの体に動きや刺激を与えようものならば辛うじてこの世につなぎ留められている命の糸があっさりと切れてしまうだろう。音も聞くことも出来ず、ノイズがかかる様に視界も闇に覆われようとしている。
その闇の中でも、兄が何か叫びながらブラスターで巫女に殴りかかる様子が見えた。
もう、愚図なお兄ちゃん。
私がやられたら一目散に逃げだせといつもいつも言っているのに。
巫女はその自分の顔に迫る木製の武器をいともあっさりと、無造作と言えるほどの動きで受け止め、そのまま力任せに奪い取ると、驚愕に口を開いたままのマークの頭部に全力で打ち下ろし、キャリーの傍の地面に同じく凄まじい勢いで叩きつけた。
大地を揺るがす音と、土煙を上げ、うつ伏せになり地面に半ば埋まったその兄の顔はキャリーからは見えなかった。
最期くらい顔を見合わせたかったかな。
巫女はつまらなそうに、折れかかったマークのブラスターを投げ捨てた。
その背後からようやく弾の装填の終わった様子の小柄な中年男が近づく。
確かに銃器の扱いは素人の様だが、薄れゆく視界の中でもその顔にはやるべきことをやる、断固とした覚悟が見て取れ、ほんの少しだけキャリーは感心していた。
デレクは倒れた二人の傭兵の頭部にゆっくりと狙いを定め、一発ずつ撃ち込んだ。
二発の銃声を背後に、ジアは夜更け前にリアムの指示で、父と二人だけ人目を避けて移った管理小屋へともどり、椅子に座るとペンを取り、中断していた日課の日記を書く作業を再開した。
ハルトは来てくれないのかな、とため息交じりの物思いにふけりながら。




