第五章 少年である最後の一日の黄昏 ⑧
デレク・アーベルはレオナとバズの案内でハルトとジアの居るホーファー家を訪問していた。
途中でいつの間にか合流していたキアラ・マイアは無言で軒先に立っていたクラウス・バリーと交代する。
レオナの両親は獣による騒動の後始末に出ており、リビングには若い二人がいるだけだった。
「あら、お帰りなさい」
先に部屋に入ったレオナにジアが声をかけるが、その後ろから姿を現すデレクに気づくと、それ以上の言葉はなかった。
レオナとバズはついとジアから目を逸らす、その結果お互い見つめあうようになると、一瞬で赤面し、さらに激しい勢いで反対側の誰もいない方向に視線を飛ばす。
「?」
二人のぎこちない様子にデレクが疑問に思っているとその気配を察したのか
「ええっと、俺達は外の作業を手伝って来るよ。なあ」
「そそ、そうね、どうぞ遠慮なくごゆっくりどうぞ」
そろって早口でまくしたてると、われ先慌てて出ていった。
「どうかしたのかな?」
デレクが疑問をそのまま特に考えることなく呟くと、いつのまにか傍に来ていたハルトが苦笑しながらも気まずそうに答える。
「いやあ、二人そろってソファーで居眠りしてたんですけど、さっき僕らが帰ってきてみると、その、寝ぼけてなんかものすごい恰好になってたもんで……」
なにやら口ごもりながら自分の両手を、二人の体勢を表現するように絡み合わせる。
この家の勝手は知っていると見え、デレクを室内に案内しながらハルトが尋ねる。
「あの、それでどうかしましたか?」
「いや、君の方こそ身体は何ともないのかな。昨夜は色々と大変だっただろう」
「ええまあ、何ともないこともなかったんですけど、巫女様のお陰もあって今は特に問題はないです。逆になんだか調子よくも感じます」
強がりなどを言っているようにも見えず、ひとまずデレクは安堵した。
先にソファーに身を預けたジアはあくびを噛み殺し逆に少し疲れているようにも思えた。考えてみたら彼女は昨夜、儀式の後からずっとハルトのそばに付いていたのでなないだろうか。
「巫女様」
その言葉に弾けるように反応するジアにデレクは続ける。
「昨夜はまともに眠っていないでしょう。少し休まれたらどうですか。村の奥の集会所に部屋を借りています。マイアさんに案内して連れて行ってもらうといいでしょう」
「いえいえ、わたしは大丈夫です。元気です」
ごまかす子供の様に首を振りながら空元気を見せる。そしてすこし不安そうにハルトを見つめ、隣に座る彼の袖をそっとつまむ。その仕草はデレクが長らく見ることのなかった娘の子供っぽい振舞だった。そしてそれだけでなくどこか寂しさも醸し出している。
思うにハルト・ヴェルナーと再び離れることに抵抗があるのだろう。また忘れられてしまうのではないかと。当のハルトは困惑しながら、視線がふたりの間を行き来する。
「ジア」
久しぶりに娘をその名で呼んだ。彼女は驚きハルトから手を離しこちらを見る。
「言うことを聞くんだ。お前も色々あって疲れている。今日は休みなさい」
「……わかった」
それ以外何を言えばよいか分からない様子で、それでも父の言葉に従うと、素直に立ち上がりハルトと具体的な言葉は交わさずも一時の別れを告げ、ホーファー家から退出していった。
そして、デレクは少し居心地の悪そうなハルトと向き合う。
部屋が突然広くなったように感じた。
「すまない、少し君と二人で話をしたかったもので」
「あ、はい」
ハルトは歯切れの悪い返事をしながらデレクと、家の外に出て行ったジアを見比べる。
その様子に何処か違和感を覚えると、デレクははたと思い当たった。彼は幼少期の記憶を失くしている。つまり自分とも初対面のようなものなのだ。
「改めて、私の名はデレク・アーベル。世界樹の巫女、ジア・アーベルの父親だ」
自らを再確認するような自己紹介はハルトにとっては予想外だった二人の関係性を伝え、驚きの声をなんとか押さえると、それをごまかすように何度も彼は頷いた。
「似ていないだろう。昔はそうでもなかったのだけどな」
「いえ、そんなことないです。前にも僕は会っていたのですね。それで僕に話というのは」
ハルトは佇まいを正す。彼にとって世界樹の巫女の従者の隊長と、ジアの父親とでは相対するのはどちらが気まずいのだろうか。
どちらもだろうかな。
デレクは深く首を垂れて言う。
「まずは礼を言わせてほしい。昨晩君は命懸けで私の娘を救ってくれた。ありがとう。そして、君自身も無事でほんとうによかったと心から思っている」
大の大人に頭を下げられ、馴れない状況にハルトは恐縮し、困惑する。
「いえ、あの、そんなとんでもないです。ジア…娘さんにも言いましたけど、昨日のあの行動は自分の為でもあったのですから」
そして多少つっかえながらも、自分の英雄的行動をどこか少し卑下するように説明する。
そこに照れや謙虚さ、そして本心を隠している様子は見当たらなかった。
自分の為。それは一点の曇りもなく間違いないのだろう。だからこそ、我々親子は救われたのだ。
世界樹の巫女に対して救いや祝福、見返りを求めるのではなく、完璧に自分の意思で思うまま行動する。ジアを特別視しないからこそ、誰よりも彼女を見ていた。
八年前もそうだった。ただ少年は純粋な無償の優しさと正義感に突き動かされ、村の隅で泣いていた幼い娘に手を差し伸べたのだ。
「その君の行動が何よりも娘を、私達を救ってくれているのだよ。そして君が忘れてしまった君がずっと前からジアを救っていた。随分と遅くなったが重ねてそのこともお礼を言いたい」
ハルトの強張った表情がふっと緩んだ。
「やはり親子なんですね」
「?」
「娘さん、ジアにもさっき同じようなことを言われました。ずっと前から僕は助けていると。それが知れただけでも僕は行動してよかったと思います。僕の失った僕は誰かを救う事の出来る人間だったと」
そうして自分の左手の、今は光を失った石を見る。
「ただ、どうも、聞くところによるとジアが今の姿になり、世界樹の巫女として能力を発揮し活動しているのは、その昔の僕の無邪気な願いも一因としてあるみたいです。ひょっとして僕はただ助けるだけじゃなく余計な重荷を与えていたのかもしれません」
「そんなことはない」
勢い込んでデレクは言う。
「責任は親である私にある。例え君の願いが何かしらの影響をジアに与えていたとしても、その責任も私が全て持つ。それぐらいしか今の私のできる父親らしいことは無いのだ。君が与えてくれた思い出は何にも代えがたい彼女の宝でしかないのだ。それだけは知っておいてくれ」
「ならばよかったです。僕は忘れてしまったことが残念ですけど」
「その分私が覚えている。忘れはしない」
そう言いながらデレクはあることに再認識し愕然としていた。
私はこの村でのジアのことを残らず全て子細に覚えているのだ。
この地へとたどり着いたばかりの頃の無表情で不愛想な様子。
ひとり、村のはずれで寂しさがあふれ出し静かに泣いている姿。
ハルトに声を掛けられ、困惑しすこしだけ照れくさそうに差し出された手を掴む娘の小さな指先。
やがてバズやレオナとともに無邪気さ弾ける笑顔で、泥だらけで走り回り、年相応に全てをさらけ出す、短くとも眩しい輝く思い出。
そして別れの日の止めどなく流れるジアの涙。
そのすべてが何よりも、むしろジア本人よりもよっぽど深くデレクの脳裏に刻み込まれている。
その後の今現在までの、ジュエルシードの影響でのジアの急激な成長、繰り返される儀式と旅路のなかでの数限りない修羅場や暴力もなかにあっても、この地でのジアのハルト達との思い出が際立って鮮烈に輝いていた。
本当の意味でジアの身も心も、そして人生さえも激変させた、世界樹の種の譲渡については、その石の影響もあってか確かに忘れていたのだが、この地での私の娘が見せた、感情と表情は一時として忘れたことはない。
誰にも忘れさせない。私の特権なのだ。
やはり私はジア・アーベルの父親だったのだ。
リアムに伝えた通りデレクは、妻が死に、ジアがその能力を覚醒させた時から、娘を守るために父親であることを捨て、常に従者であり続けようと心掛けていた。
だが従者には必要のない思い出が私の生き方の大部分を占めている。
私は父親という役割を捨てられるほどに強くはなく、父親という役割は私ごときが捨てられるほどに小さくはなかった。
デレクの内心をどう感じたかどうかはわからないが、ハルトは言う。
「僕の代わりにずっと覚えておいてください。もう慣れたと思っていたんですけど、自分の知らない自分を他の誰かが知っているってやっぱり少し不思議な感じです」
どこか吹っ切れたデレクはハルトの瞳を見て答えた。
「気にすることはないさ。君たちはこれから未来、君が忘れてしまった物よりももっと沢山の新しい思い出をいくらでも築いていけばいいのだから」
そしてジアも囚われてしまった過去の思い出よりも、もっとたくさんの未来を。
この上さらに願いを重ねるのは虫がいいのかもしれないが、ハルト・ヴェルナー、もしも私の娘がそう望むのならば、その未来を是非君と一緒に歩ませてくれないだろうか。
この地を再び訪れると決まった時、あるいは娘の能力を理解した時からデレクが沸々と考えていた事を実行する時が来たのかもしれない。
すまない。ステラ。
私はここまで随分と不器用な子育てをしてきてしまった。
デレクは胸の内で亡き妻に詫びる。
ハルトとジアの再会。獣の襲撃。ジュエルシードの大樹の使徒への帰還。
全てがその時を暗示しているように感じてならない。
即ちデレクとジアの別離を。




