第三章 その儀式が呼び出したもの ⑦
獣は多数の松明の明かりに、そして広場に集まった大勢の村人に反射的に怯んだが、照らされた舞台上の巫女の姿を認めると、先ほど受けた銃撃の痛みも、そしてその痛みの場所から流れる血も、絶えずその身を蝕む恐怖すらも押しのける、これまでに感じたことのない喜びを伴った欲望に身を任せる。
体内に流れるマナの粒子を激しく循環させ、全身の神経が研ぎ澄まされ明敏になる。
他の何も視界に入らず世界樹の巫女へと駆け出した。
揺らめく松明の灯りに照らされ、獣が唸りながら殺意を持ってこちらに突進してくる姿と、人々が逃げ惑う様子を、舞台上のジアは何処か他人事のように見下ろしていた。
長年の実体のない、名ばかりの世界樹の儀式の果てに呼び出したものがこれなのか。
幼少期には確かにあった使命感も万能感も消え、どこか機械的に役割を淡々とこなす日々。嘘と修飾にまみれ、実父との関係性までも薄れ、大きくなる身体に反して矮小化する自己。
巫女としてではない、ジア・アーベルという名の少女としてのこの地での思い出も、その大部分を占めるハルト・ヴェルナーから失われてしまった。
そもそもハルトが記憶を失う原因となったモンスターの襲撃も、今この時と同じ様に本来は自分が狙われたものだったのではないだろうか。ならばこれこそ因果応報、村の人々に、そしてハルトに押し付けた、この身に降りかかる筈だった不幸が巡り巡って返ってきたにすぎない。
その考えを肯定するかの様に獣は村の人々には目もくれず、子供や老人を庇いながらその巨体を避けようとする人々を、かき分け、跳ね飛ばしながら一直線に巫女に向かってくる。
そのまま、今度は他のだれも傷つけないで。輝く杖の先端を地面に向ける
やるならこのわたしだけを、この重くて大きくなりすぎた世界樹の巫女という無価値な偶像だけを引き裂いてほしい。それが今のわたしにとっての存在全てなのだとしても。
紅い眼がせまる。
何かがジアの腕を掴んだ。予想外の出来事に驚いて杖を取り落としてしまう。いつの間に舞台上に登ったのかキアラ・マイアの小柄な体と赤い髪が目に入る。
彼女の体躯に対して驚くほどの力と、その手にも伝わる断固たる決意を感じ取った瞬間、ジアの身体を庇うように赤毛の女傭兵はジアの盾となり、前に躍り出る。
キアラはジアに一切目を向けることなく、その大きな瞳を見開き、獣を見下ろしたまま両刃の戦斧を振りかぶる。その小柄で柔らかな身体が弓なりにそった体勢で瞬間固まり息を止めると、刹那、弾かれるように両腕が繰り出され、その武骨な凶器を渾身の力で投擲した。
打ち下ろす様に投げられた戦斧は、空気を切り裂き猛烈な勢いで回転しながらものの見事に獣の顔面をとらえた。
火花と鈍い金属音が轟く。硬質化したその額に刺さることこそしなかったが、肉厚の刃はその皮膚の一部を削り取りあらぬ方角にはじけ飛ぶ。
衝撃に獣は悲鳴を上げる間もなく上半身と前脚を硬直させる。しかし、全力で駆けていた後ろ脚の勢いを止めることが出来ず、制御不能となった下半身が大地に突き立てた前脚を起点に跳ね上がり、勢いそのままにバランスを崩し滅茶苦茶に回転し、長い尾を振り回し、宙を舞いながら、舞台の基礎部分に激突する。
斧が命中したこと確認するや否や即座にジアの手を引き、舞台から離れようとしたキアラは獣の激突によって発生した激しい揺れに脚を踏ん張りながら背後の天幕をめくる。集まった巫女の従者たちの姿が見えた。
その中央でデレクがこちらを見上げていた。
「巫女様!」
「さあ、姫さん。はやくこっちへ」
キアラは天幕の裏の階段へとジアを促す。
ジアの足が一歩段差に乗り出した時、獣の咆哮と共に先ほどよりも激しい衝撃と轟音が足元を襲い、舞台そのものが大量の木片と共に弾け飛んだ。
気が付くとキアラの身体は宙にあり天地が逆様になっていた。
「キアラ!」
バランスを崩しかけたジアは思わずその長い両腕を伸ばし、宙を舞うキアラの身体を捕える。キアラの身体を庇うように抱きかかえると自らも足をけり出し宙へと跳んだ。
慌ててデレクと他の従者達が二人を受け止めようとするも、ジアの巨躯の落下の勢いを止めるに至らず、下敷きになるように皆横倒しになる。
それでも衝撃はかなり緩和され、キアラは体のどこを傷めることも無く素早くジアの腕の中から抜け出し、立ち上がることが出来た。よりによって護衛の傭兵の身を護るために、咄嗟に自分を犠牲にして体を張る巫女に呆れと感心とほんの少しの嫌悪を感じながら、それでもキアラはかすかな苦笑いをその顔に張り付けたまま、再びジアを護るために前に出る。
取り出した、小さなキアラの掌に収まるような小型の回転拳銃は今相対している脅威にはあまりにも小さく弱弱しく見えた。それでも両手で構えると、松明の炎が天幕に燃え移り、木片と砂塵をまき散らしながら崩壊を続ける闇夜に照らされた舞台を見据える。
獣は額を襲う爆発するような衝撃と激痛に一瞬気を失うと、身体を止める術もないまま木製の支柱をへし折りながら、舞台下に滑り込むようにぶつかっていた。
意識と身体の自由を取り戻す前に感情があふれ出し、牙をむき出し目の前のものに意味もなく食らいつく。それは舞台の支柱の一本だった。
怒りのままにそれをかみ砕きながら立ち上がり進もうとするも、余計に舞台の残骸が次々己の背中にのしかかり、視界を奪う。
焦燥を伴った極度の苛立ちの咆哮に呼応するように、その全身からマナの光が物理的な質量をもって爆発的に放出された。
自身の周りに空間が出来た刹那の間に獣は燃える木片で身体が傷つくのもいとわず、長年の鬱憤と怒りを原動力に獣は飛び出した。




