第三章 その儀式が呼び出したもの ④
「死者を除いて、一番悲惨な目にあっているはずのハルトが記憶を失くしていることに、私達は、一時は安堵していたけど、彼にどう接すればよいか分からなくなってしまった。被害の痛みを抱え復興に励む中、ハルトは貴女が知っているように、誰よりも明るくまっすぐだった。
でも、逆にその純真さが村人達にとって次第に煩わしいものになっていったの。
だからと言って一番の被害者が彼であることに間違いはなく、大人達は何も言えず、時が過ぎていった。
「やがてハルト自身も他人から距離ととられていることに薄々感じ始めたころ、ある男の子が言ったの。『ずるいぞ』ってね。誰よりも不幸なはずなのに誰よりも元気で明るく不公平だとね。
同じく両親を襲撃で失くしたその男の子は泣きながらハルトに殴りかかり大喧嘩になった。すぐに大人達に取り押さえられ、その男の子は烈火のごとく叱られたわ、そんな酷いこと言うものじゃありません、ってね。
でもその様子をみたハルトは気づいてしまったの。
「『ずるいぞ』それがなによりも大人達の本音なのだとね。それ以来あんなに人懐っこかったハルトは、この閉鎖的な村で他人に気持ちを向けられるのが怖くなってしまったの。例え優しさを向けられたのだとしても、それは彼にとっては過去の悲劇を忘れた自分を責める鎖となってしまった。
皮肉なものよね、あの子は自分自身を守るために記憶を失ったのに、そのせいでまた苦しんでしまった」
「……その、彼と大喧嘩したという男の子は」
「バズ・トロットのことよ。ある意味一番本音をハルトにぶつけ、一番彼を傷つけて、そして後に一番彼と仲良くなったの。大人が誰も出来なかったことを彼と同い年で、同じく両親を失くした彼がしてくれた。
彼と、そしてもちろん私の娘もいてくれたおかげもあってハルトはここまで成長した。でもやはり、私達、大人達とは、そして失われた過去とも決して埋められない溝があるままなのは間違いない。だから……」
そこでバルバラは温かく柔らかい両手でジアの手を包み込んだ。
「だから村の人間ではない、記憶を失う前のハルトを知っている貴女が、彼を襲った悲劇を通してではなく、貴女の過去の思い出のまま彼に接してほしいの。
沢山の重責を背負っているうえに、その、彼に忘れられてしまった貴女に頼むのは虫が良すぎるかもしれない。でももし、ハルトと出会ったことが貴女にとって少しでもよい思い出となっているのならば、それをそう伝えてほしい。
貴方の、ハルト・ヴェルナーの過去は決して悲劇だけなんかじゃなく素晴らしいものでもあったのだと」
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そうしようとしたのだけど、わたしは彼に避けられてしまったのですよ、バルバラさん。ジアは舞台上で視線を地面に落とす。マナの光に照らされ、暗い板の木目が揺らぐ。
誰かに言われるまでもなく、わたしもハルトに伝えたかった。貴方とこの村で出会えたことは、大袈裟な装飾と欲望と争いにまみれたわたしの半生で、わたしが生み出すどんなマナの光よりも眩しく輝いていたと。
でも彼に避けられた。
子供同士が他愛のない約束を違えたかのように、ただ単純に傷ついて拗ねているこの自分自身の心情が、ハルト・ヴェルナー本人よりもむしろ一番腹立たしい。
なによりわたしは、ハルトの中に、かつてのわたしである泣き虫だった普通の少女の姿を見出し、確かに存在していのだと確かめ、安心したかったという自分の浅ましく弱い性根に気付かされてしまった。
【世界樹の巫女】。確かに始めはこの身を守るためのその場しのぎの騙りにすぎなかったが、多数の年月と修羅場は否応なしにも平凡な商人の娘を肉体とともに変貌させたはずだった。世界樹の祝福を受け、他を圧倒する容姿をもち、マナを自在に操り、大多数の人間の希望と信仰の対象となる存在。だがその存在は、わたしにとっては、幼少期に数日会っただけの少年の思い出のなかに見出すはずだった少女の姿よりも、曖昧で無価値なものだった。
そして、その姿はハルトの中にはもういない。わたしはここにいるのに常に迷子だった。あなたの中にいないわたしは一体どこにいるの。わたしの中には、もうわたしを見つけることができない。
他人の過去に自己を依存していた故に背負えていたこの世界樹の巫女という役割が途端に重く、忌まわしい物ものとしてねばつき、纏わりついてくる。ハルトや彼の両親、そしてこの村に降りかかった悲劇を知ってなお、なぜこのわたしが、と己を憐れむ自分に嫌悪する。
なんて身勝手で哀れな悲劇のヒロイン気取りなのだろう。
いや悲劇のヒロインなのは間違いないが、その巫女役の女優の舞う舞台は自分が思っていたよりも、今自分の立つ湖畔の祭壇よりもさらに小さなものにすぎなかった。
身長198センチの身体の中にすっぽりと収まってしまう独りよがりな舞台。
それは自身で薄々感じながらも無意識に避けていた思い。レオナに伝えた『これもわたくしです』と言う自分自身にも向けた精一杯の手慣れた虚勢。
いつの間にか自分の歌と踊りはフィナーレを迎えていた。いつもの様に大衆の喝采と注目を浴びながら、いつもの様に誰よりも高い位置で人々を見下ろしながら、そして、いつも以上にジア・アーベルという己の小ささと孤独を噛みしめながら。
周囲に瞬くマナの粒子が段々とその明るさと数を減らし始め、それと同時に酔ったような村人たちの興奮も落ち着きを取り戻そうとするなか、ジアは一礼をし、舞台袖に下がろうとする。
その時不意に、闇夜に多数の銃声が空気を鋭く震わせ轟いた。
驚くジアに反応するように大気中の粒子が光を取り戻す。
誰もが騒めきながらその音のする方、村の方へと振り返ると、相当な重量がある筈の村の大門が弾かれるように開き、何か毛で覆われた巨大な物が唸り声とともに転がる様に飛び出してきた。
松明の明かりの範囲の外で、子細のよくわからないそれは、大勢の人間を前に一瞬驚いたように立ち止まると全身の毛を逆立てて咆哮した。
その生き物は暗闇でもはっきりとわかる、燃える様な六つの深紅の瞳をもっていた。
そしてそのマナを宿した瞳は世界樹の巫女を、わたしを見ていた。




