第三章 その儀式が呼び出したもの ①
巨大な漆黒の布を一面に広げたような宵闇と静謐さにあふれた夜の湖、そして瞬く星々の他は天との境界線が曖昧に滲む森林に挟まれた小さな広場は、乱雑に設置された多数の松明によってそこに集まった小さな村のほぼ総人口を占める人々の姿を照らし出していた。
人々の活動を照らす人工的な灯りは却ってこの地の孤立した寂寥感と周囲を取り囲む暗闇を際立たせていた。そのような中でも村人たちは家族で、恋人同士で、子供たちは友達同士、思い思いの集団で、めったに刺激のない地での一大行事を迎えようと沸き立っている。八年前のモンスター襲撃に苦い思いの大人達も、かつてとはまた趣の違う儀式の光景と無邪気に興奮する子供たちにあてられ、素直にのどかな田舎での非日常を娯楽として堪能しようとしていた。
およそ百人超の人々の騒めきは、緑の炎を上げる松明を手にしたローブ姿の人間達が巫女の祭壇となる舞台に登壇する姿を合図に徐々に静まってゆく。
ブルーノ・ホーファーを中心とした村の有志達によって組み上げられた、木組みの舞台は、昼間は素朴で無骨な様子だったが、星と月夜、そして揺らめく松明の炎、さらに巫女の従者達の緑の灯に照らされる様は、そこだけが夜の森のなかで幻想的に浮かび上がり、まるで村人全員が同じ夢を見ているように感じられ、吸い寄せられるように舞台上に視線が集まる。
パチパチと薪の燃える音すら大きく響き、一切の村人の私語が途絶えた瞬間、見計らったかの様に舞台上の緑の炎が消える。
次の瞬間まるで大気中から突然実体化したかのように、舞台上に跪いた姿勢の世界樹の巫女が姿を現した。
すべての村人の視線が集中するなか、淡い光の粒子が溢れる様にその身体から零れ落ちると、巫女は静かに立ちあがり、両手をひろげ、天を仰いだ。
明かりの消えた瞬間舞台の背後の黒い天幕から素早く現れただけの簡単な演出だった。しかし高い位置の、あえて多少狭く作られた舞台上で、自らの能力で胸の宝珠を中心にマナの光を輝かせ、己の身体を照らしながら立ち上がるその姿は、揺らめく松明の明かりの中で遠近感を狂わせ、途方もない巨人が突如現れたかのように見る者全てを圧倒した。
誰を見るともなく集まった民衆を深緑に輝く瞳で見渡すと、巫女はまるで水を振りかけるかのようにその腕を振りぬいた。重さを感じさせず、羽織の裾が優雅に翻る。その指先から放たれるのは水滴などではなく、煌めく光の粒子たち。
明暗を繰り返すその多数のマナの粒子は松明よりも明るく人々の顔を照らし出す。
人々に祝福を捧げるかのように舞台上を歩き回りながら白く長い腕を振りまき、まるで空いっぱいの星の瞬きを凝縮して、大地に顕現させたが如く光の粒で広場を満たしていく。
その光で照らされた空間のものすべてが世界樹の巫女、ジア・アーベルのものだった。彼女が王であり、母であり、神であった。
すべての催眠にかけられたかのようなの人間を睨め回しながら再び舞台の中央に立ち、深緑の瞳を閉じると、静寂と輝きの中心で巫女は歌いはじめた。その清涼でありながら力強い歌声を聞いた村人たちは始め意味を読み取れず異国の歌なのかと思われたが、それは意味をなす言葉ではなく、巫女の情動を声という形で表現したシンプルで力強い魂の叫びだと理解する。
やがてその肉声すらも直接には誰の耳にも聴き取れなくなる。ジアの口から発せられた歌声は、宙に浮かぶマナの粒子にぶつかると、まるで共鳴するかのように粒子が明暗し歌声を反射する。
反射されたマナを帯びた歌声は音階が変化し、また別の粒子にぶつかると、またそこで乱反射を起こし、波紋を広げるかの如く、広場中に浮かんだ粒子の海を、連鎖的に幾重にも重なり、響かせあいながら歌声で満たしてゆく。
粒子それぞれが独立した歌い手かのような、何重奏もの大地のコーラスと光の渦の中心で、舞台上の巫女は、始めは静かに、やがて大きく激しく力強く舞いはじめる。
巫女の長い腕が指揮者の様に振り上げられるごとに、大気中の粒子たちも大海を泳ぐ小魚の群れの如く、動きに連動して渦を巻く。それに合わせる様に、響きあう歌声達もまるでそれ自身が意識をもつ生き物のように互いに音色を共鳴させ、夜の闇を舞い踊る。まるで狂気を感じるほどに幻想的で美しい声と光の饗宴が空間を満たす。
村人達はその光景に魅せられ、そしてそれ以上に畏怖した。
無意識に大地に手をつき男達は妻を、子を抱きしめ、恋人たちは強く寄り添い、隣人の存在をつよく意識し、人々は人智を超えた強大な潮流に吞まれないように懸命だった。
レオナ・ホーファーもあふれるふれる内なる感情のざわめきを押さえるように、隣に座るバズ・トロットに寄り添い、彼の身体に強くしがみついた。普段ならば動揺して固まるだけだったであろう彼も力強く手を握り返し、誰よりも一番大事な人の肩をしっかりと抱いていた。
舞台上で激しく舞い踊りながらもジア・アーベルはそんな二人の様子を目ざとく見つけていた。他にも舞台袖に控える父と楽器を吹き鳴らす従者達、最前列でひそかに周りを警戒するキアラ・マイア、集団の中央に陣取るクラウス・バリー、最後方のリアム・パターソン、と、いつもの配置で護衛につく傭兵達。他にもホーファー夫妻やノール村長などの見知った顔に初めて見る沢山の顔、顔また顔。しかし、どこにもハルト・ヴェルナーの姿は見えなかった。
舞台上にあらかじめ置かれていた、世界樹の枝から削り出した杖を舞の振り付けの動作におり交ぜて拾い上げる。先端にマナを蓄えた結晶を装着した装具はまた新たな光芒の彩を生み出し、その神秘性をより一層盛り上げ、観衆を魅了する。
一見、我を忘れ、何かに憑依されたように振舞いながらも、ジアの内面は舞台のすぐ傍らの、月を映す湖の水面のように冷たく静謐そのものだった。くりかえされた、それ自体にはなんの効果のない見せかけだけの儀式の手順、どのように杖をうごかせばより華麗で優美に見えるのか、どのように声を出せば歌声はより響き渡るのか、そして身からあふれ出るマナの光をどう制御すればより美しく輝くのか。
神秘的な姿とは裏腹に、その機械的なまでに効率化した思考の果てにジアは冷淡に、そして客観的に己を見て、衆人観衆の中での孤独を感じていた。
幼き日のハルトもこうだったのだろうか。
自分の歌声すらもどこか遠くに聞こえて、先ほどホーファー家でバルバラに聞かされたハルトの孤独な半生が蘇る。




