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JEWEL SOUL ―――世界樹の巫女―――  作者: フロストマン


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第二章 ハルト・ヴェルナー ジア・アーベル ⑥

 その獣、【ケルベロス】は深い森を、怒りをその身に纏い彷徨っていた。

 孤独と平穏をもとめて、人里離れた静かな深い森に安住の地を見出したのだが、ある春の日、森に侵入者の一団が現れた。はじめはただ煩わしく思い、気配を隠して様子を探っていたのだが、不意に距離が近づいた時、彼らは躊躇なく撃ってきた。幼少期から数限りなく受けてきた鉄と火薬の匂いと大気を振るわせる炸裂音、そして身体に食い込む激痛の熱。

 ケルベロス自身もその身に宿す、マナを利用した武器ならば耐性もあり、物の数ではないが、人類のもつ前世紀より伝わるその射撃武器は、実際の肉体のダメージ以上の衝撃を獣に与えていた。痛みと恐怖で半狂乱になりながら人類と己の運命を呪い、咆哮する。

 

 森の侵入者達から距離を取ろうとあてもなくさ迷うなか、唐突に何か人間とはまた違う気配を感じ、神経を尖らせる。匂いでも音でもなく、純粋な波のようなエネルギーを全身で感じた。

 それはマナにより変異した動物たち、キメラが共通してもつ感覚意識。共振するかのようにはるか彼方にある自分以上に強力なマナの奔流に、止めどなく全身が震えた。夏の灯に惹かれる虫のように、無意識にその高エネルギーの源に脚が向う。

 偶然にも自分を追いかける形になっているケルベロスを撃った集団も、実は自分と同じようにそのマナの方向に向かっているだけなのだと考える余裕もなく、自分を殺すまで追って来ていると錯覚し、その追跡にますます苛立ちを募らせながら獣は疾走する。

 本能的に獣はそのマナに対して飢餓にも似た獣欲を感じていた。その高濃度のマナを手にし、そして喰らえばより自分は強くなれる。この身を常に蝕む痛みと怒りと恐怖も克服できると。

 普段のような慎重さもすっかり鳴りを潜め、森の中、土くれを跳ね飛ばし、他の小動物達を蹴散らしながら、地獄の番犬の名を冠する獣は猛進する。

 高エネルギーのマナの源、即ち、世界樹の巫女を目指しながら。

 

 ホーファー家の一室を借り、女従者二人の手によって巫女としての儀式用の装束に着替え、化粧も施したジアの空気ごと変えてしまうような存在感の激変は、ごく普通の民家内であっても人智を圧倒しており、しばしレオナは言葉を失い見惚れてしまった。

 小舟で到着した直後の移動用のシンプルなワンピースとヴェールによる儚げで神秘的な姿も、湯上りの裸同然の艶やかかつ野性的な色気を放つ姿も、友人として再確認した後ですら、同性として羨むことすら憚られるものがあったが、今現在同じ空間にいる事自体、自分が酷く矮小な存在に思えて居心地が悪くなるほどだった。

 ジアは世界樹の巫女としての説得力を最大限増すための、言わば商売上の演技、演出なのだと、自嘲気味に語っていたが、もとは幼い命を護るためデレクが精一杯施し、喧伝され、装飾されたその偶像は、長年の試行錯誤と命がけの研鑽の結果今やジア本人と完全に同調していた。  

 

 豊満な身体のラインをぴったりと際立たせながらも、着るというよりも纏うと表現するほうがしっくりとくる柔らかな絹状の純白の衣に、各所に光る洗練された装身具、そしてそれらが強調する胸部に光る深緑の宝石。レオナが初めて見る、恐らく世界樹由来の繊維で編まれた、信じられないほど薄く透明な、何重にも重なる羽織。

 宝石と同じ深緑の瞳を深紅のアイシャドーが縁取り、素顔ではやや野暮ったく感じられた太い眉も、鋭い目力と意思の強さに変換される。

 そしてなによりも、外見以上にジア・アーベル自身の内面が、数年ぶりに幼馴染に再会し、喜び、そして傷ついた少女から、異能を操り過酷な運命の流転の中で立ち続ける世界樹の巫女と成り代わっていた。その全身から醸し出される、ジアの半生で積み重ねられた歳月による演技を超越した凄味。

 道の真ん中で泣き出しそうなジアにレオナがしたように、こんどは逆にジアがレオナの頬に手を添え、大上段から射貫くような深緑の瞳で覗き込む。

「どうですか、これもわたくしです」

 声音すら大地の奥底から湧き上がる様に全身に響き渡り、レオナは強大な肉食獣に睨まれた小動物のように動くこともできず、頬の紅潮と激しい胸の鼓動を抑えることが出来なかった。

 

 ハルトはバズとともに大通りをホーファー家へと向かっていると、道の向こうから湖の桟橋で出会った緑色のローブを着た集団がやってくるのが見えた。先頭には今朝がたと同じく小柄な中年の男、そして集団の中には墓場で言葉を交わした傭兵の隊長、リアム・パターソンもいる。

 先ほどの疲れた顔と違い、今は油断のない兵士の厳めしい面をしている。

 巫女との事を思い出し、ハルトは少し気まずく歩調が鈍ったが先頭のリーダーの男はハルトと一瞬目を合わせるも言葉を発することはなかった。

 見計らったかの様に二者の間のわき道から一組の若い男女が現れた。

 黒髪の男と赤毛の女。同じく朝に出会っている若い二人組で、リアムと同じく護衛の傭兵だと聞いている。鼻息荒く警戒心を露にするバズを無視し、二人はリアム達と合流する。

 

 彼らがそろった意味を頭が理解する前に、視界の中に前触れもなく二人のローブの女性従者を連れ、長い杖をもった世界樹の巫女の、めかし込んだ壮麗な姿が現れた。

 底の厚い履物の効果もあり、距離をおいてなお、あるいはおいてあるが故に、その天をつくような長身のもつ風格が存分に発揮され、高貴な装束によってさらに高められた威厳あふれる存在感に道行く誰もが足を止め、目を奪われた。

 巫女は一切その歩みを止めることなく集団の先頭に立つと、ハルトの方へ、正確にはつい今しがたハルトとバズが通ってきた湖へと続く大門へと向かう。

 その儀式めいた化粧に覆われた顔と瞳は傲慢なまでに気高く強く、朝靄漂う桟橋での再会を喜ぶ、儚げなまでの泣き顔がまるで夢幻の如く感じられた。

 集団の後方にレオナとバルバラ母娘の姿も見え、彼女達はまるで自分の事の様に緊張した面持ちで、ジアとハルトの接近を見守っている。

 バズはいつの間にか一歩下がっており、道の真ん中、ハルト一人で世界樹の巫女と再び相対する形となっていた。

 その様子と、先ほどバズが不自然に湖に連れ立ったことから、ハルトの過去のことを、悲劇により、幼少期に出会いともに過ごした記憶が失われた事を、レオナ達がジアに言って聞かせたのだろうとは自然と察することが出来た。

 一隊を引き連れたジアがこちらの姿を認め、目を細める。

 傭兵リアム・パターソンに言われた。彼女に会ってほしい、それがハルトの為にもなるかもしれない、と。幼馴染の親友バズ・トロットに言われた。会って話そう、昔のように、と。

 そしてハルト自身も言った、もう一度直接会おう、と。

 この瞬間の為に僕は深緑の光によって、今日この日の目覚めを迎えたのだ。


 だがしかし、ジア・アーベルが瞳に何かしらの感情を浮かべ、口を開こうとした時、反射的にハルトは怯えるように目を伏せ背中を向けた。うつむいたハルトの耳にジアの息をのむ音が聞こえる。

 それを背にハルトは足早にその場を離れる。

 彼女にも分かっただろう、彼が対話を拒絶したことが。

 

 気丈にも彼女はペースを落とすことなくそのまま、多数の人間を引き連れて歩き去る。

 丸まった背中から、ハルトは痛いほど感じ取っていた。バズの、レオナの、そして若い二人の傭兵からすらも発せられる落胆の感情を。

 ほんの数刻前まで忘れていた。自分がこんなにも臆病だったことを。

 ジアがハルトの境遇を知ったのだと悟った時、ハルトは思い出したのだ。記憶を失くした幼少期、ハルトにとっては思い出の始まりの時に、大人たちに向けられた多数の同情と憐憫の眼差しに。

 その眼差しは、ハルトの視点では一切身に覚えのない過去を、重い鎖と変えて幼少期のハルトを縛っていたのだ。それは記憶から失われた両親の死などよりも、よっぽど具体的な痛みとして幼き心を蝕んだ。


 ハルトの足と心は、いつの間にか全力でジアの元から逃げ出していた。

 彼女が一体何を言おうとしていたのかはわからない。

 ただかつての村人達がそうしたように、世界樹の巫女に『かわいそうな存在』として見られることに、そしてその眼差しに、僕は耐えられそうになかったのだ。



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