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JEWEL SOUL ―――世界樹の巫女―――  作者: フロストマン


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第二章 ハルト・ヴェルナー ジア・アーベル ③

「今から約百二十年前、空から巨大な種が落ちてきてこの世界の環境を激変させた。その当時は戦乱の真最中でもあり、人々はその混乱の中でその種が、そしてその種が成長した世界樹が果たしてどういうものなのかを考える余裕もなかったわ。一世紀以上経った今もけっして落ち着いている世の中とはいえないけれど、それでも複数の思考と考察が合わさって一つの仮説が有力視されたの。すなわち世界樹の種とは、はるか異世界から漂流してきた箱舟であると」


――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


 その獣はごく普通の牧羊犬の子として生まれた。母犬は出産の激痛のなかに異質で鋭利な違和感を覚えたが、生き物の持つ最も純粋な本能に従い五つの新しい命を生み出した。

 まだ粘膜に濡れた仔犬たちは見えぬ目で母の乳を探し求めるなか、その獣は飢餓欲の赴くまま隣の兄弟の身体に齧り付いた。

 出産によって体力を使い果たした母犬は、それでも突然起こった生まれたばかりの我が子の悲痛な鳴き声に異常を感じ、目を向けると、途端に乳に吸い付く仔犬たちが引きずられるのも構わず、立ち上がり渾身の力で警戒の吠え声をあげた。

 母犬と同じ白い毛で覆われた仔犬の中に一頭、頭部に一切の毛のない異質なものが混じっていた。それは別の仔犬を喰っていた。

 先ほど間違いなく腹を痛めて産んだにもかかわらず母犬は、「それ」は野生の本能で別種の生き物だと、敵だと確信した。他の生き物が我が子を捕食しているのだ。

 唸り声とともにその獣をかみ砕くと、母犬は息も絶え絶えに体を引きずりながら生き残った他の三頭を咥えてその場を離れた。


――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


「始めはこの地球上に存在しない全く異質の動植物たちが多数、世界樹から産み落とされた。この地上のありとあらゆるエネルギーや人の感情にすら反応する、まさに生きるのに都合のいい、あつらえたかのようなマナの粒子を伴って。それはまるで別世界の生態系が丸ごと引っ越してきたみたいにね。【魔王】による秩序の崩壊で弱った世界ではすぐに人類はその新勢力に駆逐されると思われたけど、そうはならなかった。その新生物たちはたとえ個々の強さがあったとしても、彼らにとっての異世界、つまりこの地球での環境に順応して生きていくのはやはり並大抵のことではなかったのね。やがて人間や原生生物との勢力争いにも負け、世界樹から直接の加護を受ける植物類などを除いて、大部分がその姿を消したの」


――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


 母犬がその場を離れたのち、その獣は嚙み砕かれた身体ながらも傲慢なまでの生命力で辛うじて生き延び、残された兄弟の死肉で命をつないだ。おそるおそる立ち上がると六つの紅い複眼で世界を見た。

 獣が初めて学んだことは母親ですら自らの生命を脅かす敵である事、そして兄弟ですら血肉となす獲物になりうること。自身の方が彼らにとってはよっぽど危険な存在である矛盾に気づかず、母親にも兄弟にも敵愾心と恐怖を抱いた。そして血を分けた肉親ですら敵なのだから、存在する他の生き物はすべて己の敵なのだとその無機質な本能に刻み付けた。

 牧場主が翌朝、惨劇の後に気づいたころには獣は脚を引きずりながら森へと姿を消した。


――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


「やがて時が過ぎるとまたあらたな異形の生き物たちが生まれ始めた。それは異界の動物と地球産の動物の特徴を同時に併せ持ったものたち、すなわち【キメラ】がね。前と同じように世界樹から直接生まれもしたけど次第に自然界の動物からも普通の子供に交じって生まれるようになった。一説にはマナに生物の進化や変異を促す物質が含まれているとも言われた。そうして自然界の天秤のバランスが一気に壊れたかのように地球産の動物たちも急激な変異に晒されるようになったの。極端な例えだと、空飛ぶ魚や外骨格の鳥、二足歩行の虫なんかがね。それはまるで神様が、世界樹から得た新たな生き物の部品と旧来の地球の生き物の部品をごちゃまぜに混ぜ合わせて、この大地という作業台の上で様々な組み合わせを試行錯誤しながらまったく新しい生態系を作り出しているかのようにね」


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 獣は凶暴でありながらひどく臆病でもあったので、あまり人里や他の動物の群れに接触することなく、基本的には死肉や昆虫、魚などを捕食して生きていた。姿形は産みの親である白い大型犬に酷使していたが、成長に際限がなく数年で子牛程の大きさになっていた。頭部のみ明らかに犬科の特徴からはかけ離れており、首から上は毛が生えておらず、皮膚すら持たない外骨格の様相であり蛇の如く口は真横に裂け、鼻も耳もなかったが深紅の複眼が六つ、丸みを帯びた顔面の先端に横向きに並んでいた。大きさを無視し、その面相だけ見れば巨大な蜘蛛の顔の様だった。


――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


「人類と増え始めたキメラ達の勢力圏は次第に重なり始め、はじめは未知への恐怖から一方的に狩り尽くすばかりだったのだけど、世界規模の環境の流転には逆らえず、人間の中にも同じように多数の亜人が生まれ始めたこともあって共存、共生の道を歩み始めることを余儀なくされるわ。マナのエネルギーを生活に取り入れる様になるようにね。もちろんそれは穏やかなだけの変化ではなく、時には悲劇も生んだわ。人々が凶暴なキメラに襲われ命を落とすことも少なくなかった。ただ、それはかつての地球上の自然界でも時折起こっていたことで、羆や鮫なんかに襲われることと同じ事でもあったの。捕食のため、縄張りを守るためなどなどの理由があった」


――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


 同類にも会えず孤独に生きていた獣だったが、やむを得ず他の生物と出会うことは避けられなかった。そんな時獣は徹底的な攻撃をした。何しろ初めて出会った動物である母親は問答無用で命を奪いに来たので、猶更他者に容赦する必要も余裕もなかったのだ。何より無防備な胎児の時に受けた攻撃の痛みと恐怖は身体の芯まで刻み込まれており、攻撃の際、獣は常に怯えと混乱で半狂乱と化していた。

 その牙と爪と巨体の持つ攻撃力は凄まじかったが、獣は意外にもとどめを刺し、命を奪うことは不得手だった。効率的な狩りの方法なども誰からも習っておらず、本来動物が先祖累々受け継いできた狩猟本能なども突然変異の獣にはなく、力任せに暴力を振るうのみでしかなかったからだったのだ。


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「キメラ達の存在が人間世界に浸透し始めるなか、変異した動物の中でも更なる希少な変異種、一個種、一個体が主で、とくに決まった生活パターンや活動範囲を持っておらずその行動に予想ができないものが現れはじめたの。もちろん人に害をなさない大人しい種もいたけど、そうでないものもいた。その存在の一番の問題は他の肉食獣とちがって、人を襲うのに理由がないことだったわ。食べるためでも自衛のためでもない、守るべき縄張りや子を育てているわけでもない、ただ殺すために自分の意思で人間を襲ったの。かつて地球上にはそんな動物は人間の他にはいなかったわ。生態系の激変の中で歪み、生き物としての理を逸脱し、バランスを失ってしまった怪物」


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 獣の凶悪ながら稚拙な攻撃は時に人間にも向けられた。大抵の場合は出会い頭の一撃で人を死に至らしめるには十分だったが、獣にその死を確かめる余裕はなく、対象が死んだ後も怯えながらその死体が原型をとどめなくなるまで執拗に攻撃し、それ目撃した人々は通常の動物ではあり得ない憎悪ともとれる感情が渦巻く現場の凄惨さに恐怖した。当の獣自身がそれ以上の恐怖を抱いているとは決して知る由もなく。

 その六つの赤眼の獣の存在は次第に人々に知られることとなり、自衛のため、時には功名心にかられ何度も討伐隊が結成されたが、ことごとく失敗に終わり、その度に正視に耐えない姿の犠牲者と、孤独な獣のさらなる人間への憎悪を積み重ねていた。


――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


「そして人々はそれらを【モンスター】と呼んだ」


 そして人々はその獣を【ケルベロス】と呼んだ。


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