第一章 出会いと再会 ⑦
そして八年の歳月が過ぎていた。
世界樹の巫女は従者と護衛を引き連れ、木の大門をくぐりこのエカーアストの地を再び訪れていた。ハルト・ヴェルナーとの別れ以降、急成長した自らの高い視線による差異はあっても、木の大門の他は、村は変わらず穏やかな様子のまま変わっていないようだった。
桟橋での、白髪の少年との思わぬ再開の後、ジア・アーベルは一切の表情と感情を覆い隠すのに薄いヴェールはもはや必要としていなかった。
迎えの村人達も一行の後ろから皆ついてきたが、ハルトだけはいつの間にかどこかに姿を消していた。列の最後尾のリアム・パタースンの前を歩く、常に小言がとぎれないノール村長すらもそれについては何も言わずむっつりと押し黙ったまま、ハルトを誘ったブルーノ・ホーファーはとくにバツの悪そうに気まずい沈黙に耐えている。
そのホーファーが村の中央の道の先に見えるものにギョっと目を剥いた。
一行の進む大通りの真ん中に一組の男女が腕を組んで立っていた。ややくすんだ金髪をおさげに結び、分厚い眼鏡をかけ、農作業用の汚れた服装ながら知性と気の強さが伺える少女。
ジア程ではないが、かなり大柄で筋肉質な体躯の坊主頭の少年。
世界樹の巫女の圧倒的な長身と存在感に、やや気圧されながらも二人はむっつりと押し黙ったまま道を塞ぐ形となっていた。
クラウス・バリーとキアラ・マイアの若い傭兵二人は、護衛の任務に忠実に、即座にジアを庇うように進み出て、村の若者に相対しようとした。おさげの女と坊主の男は一瞬身体をこわばらせるが、無表情のままのジアが無言でスッと片手を挙げ二人の護衛の行動を含めて即座にその場を制した。それは命令を放ち他人を制することに馴れたものの所作だった。
固まっている二人にジアは一歩前に出ると一転子供のような明るい笑顔を作り、頭を下げた。
「お久しぶりです。レオナ・ホーファー。バズ・トロット。
子供時代よりまた再びの巡り合わせを世界樹に感謝いたしますわ」
「は、はあ」
「お、おう」
かつてこの村で一緒に遊んでいた小さな少女の、現在の姿の見た目の変化以上のものに圧倒されてしまい、ハルト・ヴェルナーの幼馴染ふたりの口から出た数年ぶりの再開の挨拶は、間の抜けたそれだけだった。
ブルーノの一人娘でもあるレオナ・ホーファーはハルトの一つ下である17歳。おとなしそうな外見に反し、我が強く、知恵も口も非常によく回り、村の若者たちの代表格でもあり、その性質は村の教師でもある母、バルバラの血を濃く受け継いでいる様子がうかがえた。そしてブルーノの家庭での肩身の狭さもまた同じくうかがえた。
18歳バズ・トロットもまた若者達のリーダー格でありながら、幼少期から内面の強さでレオナに勝つことは早々に見切りをつけ、もっぱら身体を鍛えることに精進した。短絡的でありながらも実直で勤勉であり、本人はいささか不本意だったがレオナの補佐役として適材であると信頼を得ていた。
この二人にハルト・ヴェルナーを含めた三人が村の若者世代の最年長組であり、それより上の人間は職をもつ大人として、その他はティーンエージャー含む子供として扱われている。
「お二人ともすぐにわかりました。他の村の方々と変わらずお元気そうでなによりです。私の方は大分変ってしまいましたよね。」
自分の後ろの従者達を振り返ると少し苦笑しながら、
「なによりこんな大仰な装いで、こののどかな景観を損ねてしまって申し訳なく思います」
ジアは村を一緒に走り回った少女の面影のない、大人びた丁寧な口調でありながらも、努めてくだけた世間話をするように、共にすごした【友達】との再会に素直に喜びを表明した。
それは諍いを起こさず場をおさめようとする大人の態度であることは田舎娘のレオナでも察することはできた。ひとつ息を吐くと高く見上げる自分の体勢に若干の居心地の悪さを覚えながらも同じく友達との再会を喜ぶ。
「わたしもまた会えてとってもうれしいよ、ジア。すごい立派になっちゃっておどろいちゃった。またこの村に来てくれることは知っていたんだけど、それがいつかは、大人たちが村の機密とか言っちゃって教えてくれなくって。歓迎できなくてごめんなさい」
バズは未だ腕を組んだまま、難しい顔でレオナの会話の合間に「ああ」だとか「おお」だとか合いの手になっていない合いの手を入れながら、傍にぴったりとつける傭兵たちに鼻息荒く時折威嚇の目線をむける。
その目線をふいに小柄な男が遮った。
「巫女様。そろそろ参りましょう」
提案ながら感情のこもっていない無機質な陰気な声。
「はい、お父様」
条件反射的な無機質なジアの返答。視線すらも無機質になりレオナを飛び越え宙にとらわれ、父親に手を引かれ歩き出そうとする。
「え、ちょっと…」
再開したばかりの友人の急変に面食らうレオナ。行列の後方に自分の父親がいるのを発見し、目線で何とかして、と訴えるもホーファーも弱るばかり。
「おい、ちょっとまてよ」
思わずバズが前に出ようとするも今度こそは進み出たクラウスによって足止めを食らう。
「さっきから、なんなんだお前」
無言の傭兵の態度に思わず八つ当たり的にけんか腰なる。
再び張り詰めだす空気にも、歩みを止めないアーベル親子。仲裁にあわててノール村長が列の最後尾からやってこようとする。
近所の屋根の上ではやせた猫が人々の諍いをまるで呆れたように見ていた。
「おやおや、ジアちゃん、久しぶり。ずいぶん大きく綺麗になっちゃってるじゃないの」
唐突に、大きなよく通る声がその空気をうち破るように道に響いた。
「お母ちゃん」
声の主はレオナの母であるバルバラ・ホーファーのものだった。教師でもあるが故大人数に伝えることに馴れた、大袈裟なジェスチャー交じりのその声は、デレクの足すらも止めた。
「船できたのですって?大変だったでしょう。あいかわらず外は物騒なのかしら。
ここは平和なだけが取り柄な所は変わってないわよ。まあのんびり落ち着くことはできるのじゃないかしら。」
その流れるような言葉に思わず苦笑を返すしかないジア。
バズも毒気が抜かれたように緊張をとく。
バルバラは笑顔のままではあるが少し真面目な口調で今度はデレクにむかって諭すよう言う。
「お父さんもお疲れでしょう。巫女さんの大事な仕事もあるでしょうが、一旦落ち着いて旅の疲れと埃を取ったらどうですか。ねえ、お連れの皆さんも」
「皆さん」の中に、自分達村の人間も含んでいることにはさすがにレオナも気付けた。
相変わらず表情は変わらないがそれでも静かにデレクは頷いた。
「そうですね、どうぞよろしくお願いします」
レオナとブルーノの父娘は同じタイミングで同じようにホッと安堵のため息をつく。いつの間にかキアラとクラウスはその場を離れていた。
目に見えて一同の緊張が解ける。
弛緩した空気に口の緩んだバズは何の気なしにジアに尋ねていた。
「そういえば姿が見えないが、ハルトとは会ったのか?」
聞いた瞬間に振り返ったジア、世界樹の巫女は、初めて隠すことのできないあふれ出る本音からの表情を見せた様だった。それは年相応の、あるいはより幼い少女の顔。レオナはその顔を見たことがあった。八年前の別れの朝の面影に重なったのだ。
今は、瞳がその機能を忘れてしまったかのように涙は流していないが、世界樹の巫女ジア・アーベルは悲しくて、寂しくて泣いているのだ。
ようやくレオナは、あのときの少女が帰ってきたのだと、心の底から実感がわいたのだった。
そばによると、背伸びとともに手を伸ばし悲しむジアの顔に優しく添える。
「お帰り、泣き虫さん」




