表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
7/10

決心のない夢

奥田が抱える自信のなさ、自作の小説を読んでもらうというのは、酷く怖いものだと思う。

「奥田さんが……小説を書いているなんて。とても驚きました」


彼女がこちらへ顔を向ける。

窓から差す薄い光に照らさた表情は、静かに笑っている―― けれど、その奥にふっと影が揺れたように見えた。ほんの気のせいかもしれないのに、なぜか胸に引っかかる。


その小さな違和感が喉につかえて、気づけば言葉がこぼれていた。


「あ、あの…どうかしました?」


「いえ、ごめんなさい、なんでもないです」


そう言う声が、どこか僕を気遣っているように聞こえて、逆に胸がざわついた。


(……もしかして、気を悪くさせた?)


急に不安が広がって、僕は場の空気を戻そうと、慌てて冗談めかしてみせた。


「はは…小説読まないのに小説家って、おかしいですよね。家族からも言われますし、自分でもそう思うんですけど…」


南條さんは、僕の言葉をそっと遮るように首を横に振った。


「そんなことありませんよ」


「…え。」


「苦手なものと得意なものが同じ場所にある人って……実は、すごく強いんです。

避けずに向き合っている証拠ですから。

私は、そういう人――かっこいいと思います」


「か、かっこいいですか……?」


「ええ、かっこいいです」


その言葉に、胸の奥がじんわりと温まった。

…けれど同時に、さっき彼女が、かすかに覗かせた寂しそうな顔が、ふと脳裏によぎる。


(今、聞いたほうがいいのかな……)


ためらいながらも、僕は勇気を振り絞って口を開いた。


「南條さ――」


「――お待たせしました」


言葉を遮るように、晴さんがそっとカップを置いた。頼んでいたブレンドコーヒーから、湯気と一緒に深い香りが立ちのぼる。


「ご注文のブレンドコーヒーです。」


「す、すいません。ありがとうございます」


「とてーもお熱いので、火傷しないように」


晴さんは、いたずらっぽく目を細めて言った。


「あ、やっぱり熱いんですか…」


「……もちろん冗談ですよ。僕の言ったこの嘘、ホットいてください…なんて」


「あ、あー……」


こういう時、どう返すのが正解なのか分からない。戸惑いながら返事をすると、周りの席からくすくすと笑い声が聞こえた。


自分が笑われているわけじゃないと分かっているのに、頬がじわじわ熱くなる。

――さっきまであった落ち着いた空気とはまるで違う、“場の恥ずかしさ”だけがゆっくりと全身に広がっていく。


僕は視線をそっとコーヒーへ落とした。

平常心を保ちたくて、湯気の立つ液面をただじっと見つめる。


そのまま、受け皿に乗ったカップを慎重に手に取り、静かに口元へ。

ひと口ふくんだ瞬間――すぐに違和感に気づいた。


(……良かった。そんなに熱くない。……ん?)


豆の苦味とは別に、妙なスースー感が広がる。

後味だけが妙に涼しくて、コーヒーのコクがどこかへ逃げてしまったようだ。

そのくせ、不思議なくらい爽やかなミントの香りだけが、すっと鼻を抜けていく。

顔に出さないよう、そっと喉へ流し込む。

その瞬間、不意にひとつの記憶がよみがえった。


(……あ。さっきミンティア食べたんだった。)


まったく関係ないところで、自分の間の悪さがじわりと込み上げてくる。


「うちのブレンド、美味しいでしょ」


「は、はい。とても、興味深い味です」


確かに“ブレンド”している。ミントが……。


「おお、興味深いですか。面白い表現しますね。ありがとうございます」


「晴くん、奥田さんはお客様なんだよ?」


「あ、また悪い癖が……すいません。よく距離近いって言われるんですよ」


「いや、僕は全然大丈夫です。いい経験になります」


「あは、いい経験になるって言われちゃった」


「い、いや、良い意味ですよ! ほんとに良い意味で!」


「わかってますって。冗談です、冗談」


晴さんはそう言って軽く笑った。

その柔らかい笑い方を見た瞬間、胸の奥で何かがひっかかった。

どこかで見たことがある——そんな既視感。


(あ。この人、新部さんと同じタイプだ)


初めて会った日の晴さんは、爽やかで穏やかで、どこかつかみどころのない好青年だった。

けれど今、こうして目の前で接してみると、その印象は微妙に変わる。


どこか新部さんを思わせる、いわゆる“陽キャ組”特有の距離の詰め方をしてくる。

こちらが話している最中でも平気で割り込んで、気づけば間合いを勝手に縮められている——あの、妙に押しの強い空気だ。


そう——

僕の、少し苦手なタイプだ。


別に嫌いなわけじゃない。むしろ明るくて好ましい人柄なのは分かっている。

ただ、僕とは性質が真逆だからこそ、どう関わればいいのか掴みきれないのだ。


それでも、彼らの善意も明るさも分かっているからこそ——余計に、難しい。


「晴くん、自分のお店でも、接客は丁寧にするんだよ」


南條さんは、彼を呆れ顔で見ていたが、その表情には、見守っている感じも感じた。


「結子さんに怒られちゃった。」


「ごめんなさい奥田さん」


「全然大丈夫です」


正直、二人の関係が無性に気になる。

だが、まだそこを聞けるほどの度胸は僕にはない。


「まだ二回目なのにすいません。お兄さん、なんか話しやすかったんで、ついベラベラと」


「え……は、初めて言われました」


「なんだろう、雰囲気かな? 喋りかけたいって思っちゃって」


その言葉に、彼女が小さく頷いたのを、僕は見逃さなかった。


「ありがとうございます……あの、ところで、さっき自分のお店って……」


「あー、ここ、自分の店なんですよ」


「そうなんですか!? えー、すごいですね」


「そんな、凄くはないですけど」


「いや、だってまだ若いのに」


「えー、そうですかねぇ」


晴さんは、満更でもない表情で口元を手で隠していた。


「なんか照れますね。いやー……仕事戻ります」


「え、あ、はい。頑張ってください」


「ごゆっくりどうぞ」


どこか満足げな顔で、晴さんはその場を離れていく。嵐は唐突に過ぎ去る——そんな印象だった。慣れない空気に触れると、どうしても疲れが出る。


「奥田さん、大丈夫ですか?」


「はい。大丈夫です」


「晴くん、いつもあんな感じなんです」


「そうなんですか……なんか、すごいですね」


「ええ、私もそう思います」


「あの……」


「はい?」


そのあと続けようとしていた「お知り合いなんですか?」が、喉の奥でつかえて出てこない。

流れに任せれば聞けると思っていたのに——その先の答えを知るのが怖いのか、別の言葉が口をついて出る。


「……晴さんって、いくつなんですかね?」


「たしか、二十五歳だったと思います」


(やっぱり、年齢も知ってるんだ……)


「僕の一個下なんですね……それなのに、すごいなぁ」


「あ、奥田さん、二十六歳なんですね」


「はい。叶わぬ夢を追いかけてる二十六歳です」


「……」


「僕と違って、晴さんは立派だなぁ」


「叶わぬ夢……ですか」


そう呟いた彼女は、静かにカップを持ち上げ、コーヒーを一口含んだ。

そして短い沈黙のあと、まっすぐ僕を見て言う。


「奥田さんの作品って、どこで見れるんですか?」


「え、僕の……ですか?」


「ええ。見てみたくて」


「いや、でも……南條さんに見せられるようなものじゃ……」


気づけば僕は、足元に置いたリュックを無意識に見ていた。今日、見てもらうつもりで原稿を持ってきた。願ってもない機会――本当は、ずっと欲しかったはずの瞬間。


それなのに、いざとなると足がすくむ。


「全然下手くそですし、文章なんてめちゃくちゃで、読めたもんじゃないと思うんです。話も途中ですし…」


「不安…ですか?」


「…はい。」


言えば言うほど、声だけがこの喫茶店の落ち着いた空気に反比例して震えていく。


「小説家って言いましたけど、正直……自信なんてないんです。中途半端な気持ちで、夢なんて、言えたもんじゃないんです。」


言葉が、ぽろぽろ零れるようだった。

頼んでもいないのに溢れてくる弱さを、南條さんにそのまま晒してしまう。

それでも彼女は、何も言わず、ただ静かに聞いていた。


「四年前ぐらいに、職場の人に、小説を書いてるって話したことがあって……」



――それは、僕が初めて小説を書き始めた22歳の年。コンビニで働き始めて二年が経った頃、バイト先の先輩・一松さんに、初めてそのことを打ち明けた。


「えー、小説書いてんの? すごいじゃん」


「はい。サイトで連載し始めたんですけど……あ、連載っていうか、投稿ですけど」


「いや、小説書けるなんてすげーよ」


「そんな……書いてるだけですし。…見てもらってもいないですから。……あ、たしか一松さんって、読書しますよね」


「うん、するね。まあ、大した量は読んでないけどな」


「あの……よかったらなんですけど、サイト教えるので、評価してもらってもいいですか?」


「お、まじ? 全然いいよ。教えて」


そう言ってくれた一松さんに、僕は投稿したサイトを伝えた。

同じシフトになったときに感想を聞こうと思っていたが、こちらから催促するようで気が引けてしまい、声をかけられなかった。

訊きたいのに、訊けない。そんな日が続き、気づけば一週間が経っていた。


ようやく同じ休憩になったタイミングで、僕は意を決して声をかけた――。

見ていただきありがとうございます!

毎週木曜〜土曜日に投稿致します!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ