出会い
売れない小説家「奥田」とレストランのスタッフ「南條」
2人の出会いが、伝説の小説を生み出す。
美しくも儚い恋愛ドラマを是非…
「もしもし。今どこに…はい……え、あ、はい」
右手には通話中のスマホ、左手には分厚い原稿の入った紙袋。片腕がじんわりと痺れてきて、思わず持ち替えながら歩く。前から来る人と肩がぶつかりそうになり、慌てて身をよけた。
「これお願いします!それもそこで!..あ!ごめんなさい。急に忙しくなっちゃって。」
電話の向こうから、バタバタと書類の音や人の声が聞こえる。慌ただしい空気が、そのまま受話口からこぼれ落ちてくるようだった。
「大丈夫ですよ。せっかく予約してくださったんですし、一人でも…大丈夫です」
「ホント?奥田さん人見知りですよね?」
「まぁ、そうですけ」
「あっ!これコピーですか?わかりました!
……あっ、ごめん。えーと、とりあえずまた連絡します!あそこ私のオススメのお店だから!ゆっくりして!じゃあ!」
ブチッ。ツー、ツー……。
そんな音だけが、しばらく耳に残った。
唖然としたまま、僕は人の流れの中で立ち尽くし、深くため息を吐いた。
初めて歩く街、横浜・みなとみらい。
どこを見ても光が溢れていて、見上げれば高層ビルのガラスが夕陽を反射してまぶしい。
バラエティ番組で見た人気の飲食店、ニュースで話題になっていた新しいファッションブランドのお店。どれもキラキラしていて、少しだけ遠い世界のように見えた。
気づけば、僕だけが時代の流れから取り残されているような気がした。
――僕は売れない小説家、奥田正人、二十六歳。
デビューして三年、鳴かず飛ばずのまま連載は一度も取れず、雑誌掲載も途絶えている。
それでも「次こそ」と言って支えてくれているのが、出版社の新人社員・新部さんだ。
彼女は僕の“育成担当”という名目でついてくれているが、歳が同じだからか、やたらと距離が近い。
明るくて、よく笑って、テンションの高いタイプ――人見知りの僕には、少し刺激が強すぎる。
僕はスマホのマップ案内を見つめながら、新部さんが予約してくれたという海沿いのレストランへ向かった。足取りは…重い。この街に似つかわしくない、冴えない自分の姿を、ガラス張りのビルが無言で映しているように思えた。
十分ほど歩くと、視界の先に海が見えた。夕陽が沈みかけた空はオレンジ色に染まり、その光を受けて水面がきらきらと揺れている。
その境目に、柔らかな灯りをともすレストランの看板が浮かんでいた。
――“Port Lumière”。
新部さんが言っていた、最近人気の創作フレンチの店だ。まるで映画のワンシーンのような外観に、思わず立ち止まった。
「え……本当にここ?」
ガラス越しに見える店内は、白いクロスのテーブルとキャンドルの光。スーツ姿の客やカップルが、静かに談笑している。完全に場違いな気がして、僕はスマホとお店を何度も見比べた。
何かの間違いじゃないか――そう思いたかった。
けれど、地図の青い点は確かにこの場所を示している。
「ぼ、僕は今日、死ぬのだろうか…」
しかし、せっかく新部さんが予約してくれたお店だ。ここで引き返すのも、なんだか申し訳ない。
息を整え、手と足の震えを押さえながら、僕は意を決して扉を押した。
――カラン。
鈴のような小さな音とともに、柔らかなピアノの旋律が耳に届いた。空調の風がひんやりと頬を撫で、ほのかにバターとハーブの香りが漂う。壁には温かみのある間接照明。
まるで異国に迷い込んだようだった。
思わず、手に持っていた紙袋をスッと背中に隠す。擦れた紙の音がやけに大きく感じて、余計に挙動不審になって、汗をかく。入口で立ち尽くしていると、すぐに店員の女性が笑顔で声をかけてきた。
「ご予約のお客様でしょうか?」
「えっと、多分、新部で?よ、予約して、」
「新部様ですね。ありがとうございます。
――失礼ですが、お客様は奥田様でいらっしゃいますか?」
「あ、はい。そうです」
「かしこまりました。新部様からご連絡をいただいております。こちらへどうぞ――」
案内係が一瞬だけ微笑み、僕を店の奥へ導いた。
「こちらのお席でございます」
案内されたテーブルは、窓際の二人掛け。外には、夕焼けを映す海が広がっている。
「お荷物をお持ちしましょうか?」
スタッフの女性が、僕の紙袋に目を留めて言った。
「あ、いえ、自分で――」
慌てて答えると、彼女は微笑んで小さな黒いスタンドを椅子の横に置いた。
「こちらにどうぞ。大切なもののようでしたので」
「す、すみません……ありがとうございます」
紙袋をそっと置きながら、僕は背筋を伸ばした。椅子を引かれ、腰を下ろすと、白いクロスの上に整えられたカトラリーが目に入った。
案内してくれたスタッフがナプキンを丁寧に膝の上へ広げる。
「どうぞごゆっくり」
そう言って一礼すると、女性スタッフは静かに去っていった。僕は緊張しつつも怪しまれない程度に周りを見渡した。
「うわ…窓際。よく見るプロポーズする席みたいだな…」
席に案内されてから、しばらくのあいだ、ぼんやりと海を眺めていた。窓の向こうでは、夕陽がゆっくりと沈みかけている。
オレンジ色に染まった海面が、やさしく波打ち、光を散らしていた。
この景色は、まさに“絶景”というほかないと思った。
――そういえば、新部さんが言っていた
「ルミエール・ディナーコース」。
どうやら赤ワインが合う料理らしい。ワインの銘柄なんて一つも知らないけれど、せっかくだから、と予約を任せたのを思い出す。
こんな場違いな場所に一人で座っているのが、なんだか滑稽に思えた。
そんなとき――
「失礼いたします。」
静かな声が耳に届いた。顔を上げると、さきほどまでとは違う女性スタッフが立っていた。淡い栗色の髪を後ろでまとめ、控えめな笑顔を浮かべている。彼女は深く一礼をして言った。
「本日、テーブルを担当させていただきます、南條と申します。どうぞよろしくお願いいたします」
それが《《南條さん》》との、初めての出会いだった。
彼女はメニューを僕の前にそっと差し出すと、やわらかな声で続けた。
「本日ご予約いただいておりますのは、“ルミエール・ディナーコース”でございます」
そう言って、彼女は軽くページを開きながら説明を続けた。
「前菜は“秋野菜と帆立のマリネ”。そのあと、お魚料理が“真鯛のポワレ”、お肉料理が“牛フィレのロースト トリュフソース”。デザートは洋梨のタルトとバニラアイスでございます」
耳に入る彼女の声は、落ち着いていてどこか温かい。その言葉ひとつひとつが、料理よりも美味しそうに聞こえた。この人がヒロインの小説を書いてみたい。それほどにお淑やかで美しい…。
「お飲み物は、お食事に合わせて赤ワインをご用意しております。お水はガス入りとガスなし、どちらになさいますか?」
「へっ……ガ、ガスって……?」
油断していた。頭の中が妄想で広がっていた。
ガスの意味がわからない。僕は思わず聞き返すと、彼女はやわらかく微笑んだ。
「はい、ガス入りは炭酸水でございます。少し口当たりが爽やかで、お料理の味を引き立てます。ガスなしは、ミネラルウォーターでございます」
「あ、えっと……すみません。どっちが、普通なんですかね」
「そうですね、どちらもお好みですが、初めてでしたらガスなしがよろしいかと」
その笑顔で受け答えをする姿に、胸の奥が少しだけざわついた。“優しいな”と、そんな当たり前のことを思ってしまう。
「あ、じゃあガスなし…?でお願いします」
「かしこまりました。では、ガスなしのミネラルウォーターをお持ちいたしますね」
彼女は会釈し、静かに立ち去った。
――その背中を見送るだけで、なぜか落ち着かない。一瞬、息をしていなかった気がした。
気づけば背中に汗が流れ、顔も火照っていた。
名前なんだっけ、名前...ダメだ思い出せない。緊張していたからすっぽり抜けてしまっていた。
――落ち着け、自分!
そう心の中で何度もつぶやきながら、テーブルの白布をじっと見つめた。自分の頬が赤くなっていくのがわかる。まるで、彼女の笑顔ひとつで照明が変わったみたいだった。
これが、噂の一目惚れ…初めての感覚だった。
もう一度、見られるだろうか――そんなことを思っていたその時。さきほどの彼女が戻ってきた。にやけてしまっているのが自分でもわかった。彼女の手には細身のガラスボトル。
「失礼いたします」
グラスに水が注がれる。「トクトク…」その響きが妙に心地よく、さっきまでの緊張が少しだけほどけた気がした。
「よろしければ、おしぼりをどうぞ」
「あっ、すいません」
受け取る瞬間、彼女の左胸にきらりと光る金色の名札が目に入った。
そこには――「南條」と、書かれていた。
(そうだ南條さんだ。…綺麗な苗字だなぁ。)
忘れないように、頭の中で何度もつぶやく。
なんじょう、なんじょう、なんじょう――。
気づけば、もう彼女の姿はなかった。
しかし、心の奥で彼女の声がまだ反響しているようだった。浮かれている自分が、恥ずかしい。
――数分後。
「失礼いたします」
声の方を見ると、南條さんが再び現れた。
今度は両手に小さな白い皿を載せたトレーを持っている。その所作があまりに美しくて、思わず息を呑んだ。ものすごく絵になる――芸術だ。
胸の奥から、何かを創りたくなるような衝動がふっと湧いた。
「前菜の“秋野菜と帆立のマリネ”でございます」
皿の上には、オレンジや深緑の鮮やかな野菜、そして淡い白の帆立。ふわりと香るレモンの匂いが、胸の奥をくすぐる。
(うわ……なんか、一気に緊張してきた。これ、どうやって食べるのが正解なんだろ)
「どうぞごゆっくりお召し上がりくださいませ」
「あ、すいません……ありがとうございます」
彼女は控えめに会釈して静かに下がっていった。
何度でも見られる気がした。いや、また見たい――そう思ってしまった。
正気に戻り、目の前の皿を見る。
左側に並ぶフォークが三本。
……どれから使うんだこれ。
とりあえず真ん中のを取って、恐る恐るひと口。柚子の香りがふっと広がり、潮の香りと重なって消えていく。舌の上に残る酸味と甘みが……
なんて、偉そうなことを言ってみたい。実際のところ、緊張しすぎて味なんてほとんど分からなかった。
けれど、頭の中では職業病みたいに“食レポ風”の言葉が並び始めていた。
「柚子香る秋の海、余韻に微笑む――」とか。
思わず自分で苦笑して、グラスの水を口に含んだ。
「うまっ」
いつも水道水を飲んでるからか、ただの水が前菜より美味しい。こんなことを思う自分がものすごく恥ずかしい。
「はい。かしこまりました」
また――あの人の声だ。足音が近づいてくる。
「南條さん」。よし、しっかり覚えてる。
心が跳ねるのが、自分でもわかる。
声のした方を見ると、南條さんがワインボトルを手に、ゆっくりと近づいてくる。その所作は品があり、丁寧で、どこか儚い。気づけば、目で追っていた。きっと、周りから見たら不自然に見えるだろう。
――それでも、目が離せなかった。
「失礼いたします。こちら、グラスワインをお持ちしました」
――しかし、その時だった。
「……っ!」
かすかな音とともに、グラスが傾いた。
赤いワインがテーブルを伝って、クロスの上に花のように散った。その飛沫は、僕の袖や胸元にまでかかっていた。
「あっ……!だ、大丈夫ですか南條さん?」
「…は、はい大丈夫です。あっ!大変申し訳ございません……!お召し物が……」
青ざめた顔で言葉を詰まらせながら、南條さんはすぐにナプキンを取り、僕の袖を押さえた。
その指先が小さく震えているのが、はっきり見えた。彼女の動きがどこか必死で、思わず僕の方が息をのむ。
その時、奥から年配の男性スタッフがすぐに駆け寄ってきた。
「お客様、お怪我などはございませんか?」
「え、はい、怪我はないです。」
「申し訳ございませんでした!もしよろしければ、控え室にてお着替えをご用意いたします」
「えっ、いえ、そこまでしてもらうのは……」
「お気になさらず。すぐにシャツをお持ちいたします」
落ち着いた声でそう言われ、断る間もなく立ち上がる。廊下を歩く途中、ふと振り返ると、
南條さんが他のスタッフに支えられて立っているのが見えた。その姿が、なぜか妙に脳裏に焼きついて離れなかった。
案内された先は、白いクロスのかかった小部屋だった。そこには、清潔な白シャツが丁寧にハンガーに掛けられている。
整った空間と柔らかな照明が、さっきまでの騒ぎが嘘のように静かだった。
見ていただきありがとうございます!
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