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寿司屋、それはアトランティス

 我はバールを握り直し、再びエスカレーターへと向かった。

 5階のホビー・おもちゃフロアは、床に散らばるプラモデルの箱が悲しい。6階のCD・楽器フロアも、見る影もなかった。聖地が、我の思い出が、次々と汚されていく光景に胸が痛むナリ…。


 そして我々は、8階にたどり着いた。

 そこは、時間が止まった世界だった。テーブルの上には食べかけのパスタやステーキがそのまま残され、レストランの入り口に置かれた食品サンプルだけが、やけに色鮮やかにかつての賑わいを伝えている。


『複数の和食店を確認。どこを調べる?』

「ふん、こういうのは勘だにゃん」


 我はフロアを見渡し、ひときわ高級そうな店構えの寿司屋に目星をつけた。


「この…『うまい鮨勘』とかいう店、いかにも最高級の米を置いてそうだにゃん…!忍び込むぞ、先輩!」


 我々は、静まり返った寿司屋の厨房を目指し、音もなくのれんをくぐった。



 のれんの先は、我の想像を絶する光景が広がっていた。


「な…なんだ、ここはにゃん…!?」


 そこは寿司屋などではない。まるで、文明が海に沈んだ後の海底都市だった。

 店内の床は、くるぶしの上まで透き通った水で満たされている。どこからか差し込む非常灯の光が水に乱反射し、あたりは青白く、幻想的な深海の様相を呈していた。客席のテーブルや椅子は、奇妙な形の岩礁のように水面から顔を出し、壁にかけられた魚の絵は、古代遺跡の壁画のようにぼんやりと浮かび上がっている。


 そして、その水中都市を支配していたのは、夥しい数の海洋生物たちだった。


「うおっ!ヒラメ!アジ!うまそうだにゃん…!」


 店のシンボルであった巨大な生け簀が破壊されたのだろう。解放された魚たちが、足元を我が物顔で泳ぎ回っている。イカの群れが頭上をかすめ、ウニがカウンターの隅で棘を動かし、タラバガニが威嚇するようにハサミを振り上げていた。


『メインの大型水槽が、怪獣の衝撃で破裂したとみられる。排水システムもダウンしているため、フロア全体が水没した状態だ』


 KTZW先輩のドローンが冷静に状況を分析する。


『スキャンによると、ウツボやオコゼなど、危険な生物も多数確認できる。厨房へ向かう際は、足元に十分注意しろ』

「ちっ…面倒なことになったナリ…米は、あの奥の厨房にあるはずだにゃん…」


 我はバールを杖代わりに、慎重に水の中を進み始めた。目標は、店の奥にある厨房の扉。そこを抜ければ、米が保管されている倉庫があるはずだ。


 だが、我々の進路を阻むように、ひときわ大きな影がぬらりと姿を現した。

 カウンターの向こう側、かつて板前が腕を振るっていた場所から、巨大なタコがその巨体を持ち上げたのだ。生け簀の主だったのだろう。8本の太い触手をうねらせ、ぬめぬめと光る知的な瞳が、侵入者である我々をじっと見据えている。


 その巨体は、厨房へと続く道を完全に塞いでいた。


「タコの分際で、この我の道を塞ぐとは良い度胸だにゃん…!」


 恐怖よりも先に、怒りがこみ上げてくる。


「今夜はたこ焼きパーティに決定だナリ!まとめてかかってこいやあああ!」


 我はバールを握りしめ、海底都市の新たな支配者と対峙した。



「その安っぽい足を、まずは一本いただくナリ!」


 我は水しぶきを上げて突進し、目の前でうねる巨大な触手の一本にバールを叩きつけた。だが、ブニョリ、という鈍い感触が返ってきただけだった。ゴムのような弾力を持つ筋肉が、衝撃を吸収してしまったのだ。


「なっ…硬い!」


 次の瞬間、別の方向から飛来した触手が、鞭のように我の胴を打ち据える。

「ぐふっ!」

 水中で体勢を崩した我の目の前で、タコは大量の墨を水中へと吐き出した。一瞬にして、透き通っていた海底都市は、視界ゼロの暗黒世界へと変貌する。


『前川、視界を奪われたな。ドローンのサーマルビジョンに切り替える。お前のイヤホンに、ソナー音で敵の位置情報を送る!』


 KTZW先輩の冷静な声。すぐに、イヤホンから断続的な電子音が聞こえ始めた。右、左、上。墨の中でも、巨大なタコの熱源と動きが手に取るようにわかる!


「サンキューだにゃん、先輩!」


 だが、状況は不利なままだ。暗闇の中から、椅子や皿、果ては装飾用の坪などが、触手によって次々と投げつけられる。すべてを避けるのは不可能だ。


『タコの弱点は、外套膜と両目の間にある神経節だ。だが、この装甲のような筋肉では、バールの一撃は通じんな…』


 クソッ!打撃が効かないならどうしろと!

 その時、我の脳裏に、この海底都市に足を踏み入れた時の先輩の言葉が蘇った。


 ――『ウツボやオコゼなど、危険な生物も多数確認できる』


 そうだ、危険な生物はタコだけじゃない。そして、レストランの生け簀には、時折そいつらもいるはずだ!


「先輩!デンキウナギだ!生け簀にデンキウナギはいなかったのかにゃん!?」

『…!待て、スキャンする…いたぞ!3時の方向、テーブルの下に2匹!おそらく観賞用に飼育されていたものだろう!』


 いた!最高の武器が!

 我はソナー音を頼りに、タコの攻撃を避けながらテーブルへと向かう。そして、バールで水面を叩き、テーブルの下に潜むデンキウナギを挑発し、巨大なタコの方へと追い立てた!


「行けぇ!必殺、エレキテル・スプラッシュだにゃん!」


 追い詰められたデンキウナギが、パニックになってその体に蓄えた電気を放出する!

 バチバチバチバチッ!


 凄まじい放電が、導電性の高い水を通じてフロア全体に広がり、巨大なタコの体を直撃した!


「ギイイイイイッ!?」


 巨体が痙攣し、暴れる触手が無差別に周囲のものを破壊する。墨も吐けず、ただ感電の苦しみにもがいている。


『神経系がマヒしている!今だ、前川!弱点を叩け!』


「今だニャアアアアアアアア!」


 我は痺れる体を再生能力で押さえつけ、感電で動きの止まったタコの目の前へと突進する。そして、KTZW先輩が示した弱点、眉間の神経節ど真ん中に、ありったけの殺意を込めて、バールを突き立てた!



 ズブリ、という生々しい感触が手に伝わる。バールの先端は、巨大なタコの神経節を完全に貫いていた。

「ギ…ギ…」

 巨体は最期の痙攣を起こし、やがてその巨体から力が抜け、だらりと水中に沈んでいく。勝利だ。


「フン…我の敵ではなかったナリ。所詮は軟体動物。骨のあるやつを連れてこいってんだにゃん」


 バールに付着した体液をカウンターの残骸で拭い、我は勝利の余韻に浸る。周囲に漂っていた墨も、破壊された壁から流れ込む水流によって徐々に薄れていった。


『見事な判断だった、前川。デンキウナギを利用するとはな。お前のそういう、常識にとらわれない発想は評価しよう』

 KTZW先輩からの珍しい賛辞に、我は少しだけ得意になる。

「当然だにゃん!この我にかかれば、水族館は巨大な電池パックに過ぎんナリ!」

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