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「どうする、二軒目いくか? それこそ日吉さんの店とか」
時刻は十時。
どうやら二時間近く飲んでいたみたいだ。二軒目にしろ、解散にしろ、この店を出るにはちょうどいい時間だった。
「あー、今日はアルケミー貸切らしいんだよ」
「マジか、じゃあ別の店にするか?」
飲み足りなくはある。学生時代だったら間違いなく二軒目を選択するだろう。
「いや、今日はやめておくよ」
「……やっぱり事業の方がかなりキツイのか?」
「おいおい、二軒目断ったくらいでそんな」
「治が一軒目で帰るなんてどう考えても異常事態だろ。次の日、彼女とディズニーランドに行く約束をしていたのに飲みオールのせいで大遅刻。集合場所で顔面に跳び膝蹴りを喰らった話を忘れたとは言わせないぞ。どんな予定よりも飲みを優先してきた男だろ、お前は」
くっ、古傷が痛むぞ。ちなみにこの話には続きがある。
跳び膝蹴りをされた後はとにかく平謝り。とりあえずは日程を翌日にズラすことで事なきを得た。
しかし、その翌日の予定も別の飲みオールの影響で集合時間に間に合わなかったのだ。
はい、終わったー。死を覚悟した俺はメッセージで一言。
――――ごめん、俺たち別れよう。
よーし、これで安心だ。二度寝しようとしたら、玄関がガチャリと開く音。
いっけねー、合鍵渡してたの忘れてたー。
鬼の形相の元カノ。あれはもう般若。そして、マウント体制からの顔面殴打。
いやーあいつ、いいパンチ持ってる。世界狙えるわ。そういえば、その元カノは最近結婚したらしい。おめでとう。
「古い付き合いだと、ちょっとした事でも色々バレるから敵わん。ま、お察しの通りですわ。もうちょっと頑張って探偵業を続けたいと思ってな」
「今回はやけに頑張るな。もしかして、お姉さんの捜索も兼ねて――」
まったく、付き合い長いってのは本当に困るな。
とりあえず言い訳だけしとくか。図星って思われるのは癪だしな。
「そりゃ違うって。姉貴が家出してもう六年か? 普通なら死んでるんじゃね、って思うところだけどさ。たぶん、あの人は大丈夫。俺が言うのもあれだが、姉貴は俺より変人だぞ。いきなり坊主にしたり、背中に和彫入れたり、ノリでアフリカとか行っちゃう人だから」
姉貴は俺の六つ上。歳が離れていることもあるが、幼少期に母親を癌で亡くしている俺にとっては、姉でもあり母親代わりでもあった。
学校からの呼び出しは、親父より姉貴が来た回数の方が間違いなく多い。
そんな姉貴は俺が十七の時に失踪した。
姉貴が二十三の時だから、ちょうど今の俺と同じ歳ってことになるのか。まったくどこで何をしているのやら。姉貴のことだから楽しくやっているんだろうけどさ。
一昨年死んだ親父は、最後まで姉貴のことを心配してたな。ったく、親不孝者め。
いや、人のことは言えないが。
そんなこんなで、野老澤治は天涯孤独だったりするのだ。
「改めて聞いてもぶっとんだ人だよな。治がマトモに見えるくらいだ」
「だろ? だから姉貴のことは全然心配してない……ってのは嘘になるけど、案外ひょっこりと戻ってくるんじゃないかと思ってる」
「そっか、了解。邪推して悪かったな」
邪推どころか大正解なんだけどな。
俺の人生目標の一つに『姉貴を見つける』が、確かに存在しているのだから。
「心配性すぎると将来禿げるぞ」
「うっせーよ! んじゃ、今日はこのくらいにしとくか。金は貸せないけど、なんか困ったことがあれば言ってくれ」
「今一番の困りごとは金がないことです」
金があれば、大抵のことは解決すると思う。貧乏経営者が言うんだから間違いない。
「まずはタバコとギャンブルをやめろ。じゃ、また暇な時に声かけてくれ」
耳が痛い正論を残し、颯太はスタスタと歩いて行ってしまった。そして、金曜夜の賑やかな街の中に溶けてその姿は見えなくなる。
「さむっ」
不意に寒さを感じた。十月の夜は思いの外冷える。
なにか温かいものが食いたいな。
飲み足りなかったし、コンビニで酒とつまみを買って帰るか。
じゃあ颯太と飲めばいいじゃないか、と思われるかもしれないが、二人だと考え事はできないからな。今は色々と考えることがある、本当に色々と。
繁華街を歩く人々の流れに逆らうように、一抹の寂しさを感じながら家路についた。
俺の自宅……兼事務所は、東中野駅から少し歩いたところにある。飲みや買い物で利用する中野駅から電車で一駅、歩いて二〇分くらい。
これがまた絶妙な距離なのだ。
気分が乗らなければ電車、気分が乗れば歩きがちょうどいい距離。今日の気分はやや良いくらい。迷った挙句に中野から歩くことにした。
いつもと同じ道ではつまらないので、入り組んだ住宅街を気の向くまま歩く。
途中でコンビニを発見したので、九%のストロングチューハイを二本、レトルトご飯、ベーコン、刻みネギ、気になった新作おつまみを購入。
レジ袋をぶら下げて、また歩き出す。
「こんなところに公園あったんだ……っていけね、独り言」
俺は昔から独り言が多い。
親父や姉貴、颯太をはじめ色んな人に指摘されてきた。しかし、三子の魂百までとはよく言ったもので、なかなかこのクセは直らない。
「ま、誰かに迷惑かけることもないし、いいだろ別に。なになに……へぇ、さくら公園って言うんだ、ここ」
看板には『さくら公園』と記載されていた。滑り台と砂場があるだけの簡素な公園。
名前から推察するに、春になったら桜の花が咲くのだろうか。
「ちぇー、ブランコでもあれば遊んでいこうと思ったのに――――って、あれ?」
公園の隅にダンボール箱が置いてある。
そして、そのダンボール箱からは白い耳らしきものと尻尾のようなものが見えた。
「犬じゃないよな、猫か?」
秋夜の肌寒い中で捨て猫か、ふむふむ。
特段、動物が好きなわけでもない。いつもだったら放置していると思う。
だというのに、それは酔いのせいなのか、一人になった寂しさのせいなのか、俺はらしくないことをしようとしていた。
ダンボール箱に向かって、ゆっくり前進していく。
「ん、なんか縮尺合わなくないか」
思ったよりダンボール箱が大きい。この大きさだと、中に入っている猫の大きさはとんでもないことになるぞ。縮尺がバグっている。
「え、は……?」
箱の中身が見えた。さて、これは見間違いなのか。
念のため、近くで確認してみよう。もう四、五歩だけダンボール箱に近づく。
「うーん。どう見えても、美少女だよな。何これ、コスプレ?」
箱の中にいたのは、胎児のポーズでうずくまる美少女だった。
すでに状況が普通ではないのだが、拍車をかけるようにおかしな点が三つほどある。
まずは、雪のように真っ白な髪。
街を歩いていたら間違いなく目立つが、作り物感がなく自然な色合いだった。
「アルビノってやつなのかね」
次におかしいのは服装。
どう見ても、日本人が普段着る衣服とはかけ離れすぎている。
これはなんだ。民族衣装……異国のドレスと表現すればいいのか。やや黒っぽい青を基調として、袖や裾に金色の刺繍が散りばめられたドレス。
見るからに高そうで、やんごとなき人が身につけていそうな服だった。
「けど、めっちゃくちゃ汚れてるな」
その美しいドレスは所々汚れており、高貴さと見窄らしさが共存していた。
――――最後に、これが一番の驚き。
なんとこの美少女、頭からは猫の耳、臀部の辺りからは猫の尻尾が生えている。
ただのコスプレなのかもしれないが、少なくとも頭の耳はカチューシャのようなもので留められている形跡はない。
パッと見では一体化しているように思える。
尻尾の方は脱がせてみないと分からん。いや、さすがに自重しますけど。
「うーん、どうしたものか。とりあえずはあれだな。一応、生存確認ってやつかね?
おーい、生きてるかー?」
果たして、これが最初に取るべき行動なのか。その辺も全く分からない。
あまりにも未知との遭遇すぎる。きっとこの世界の誰にも正解は分からないだろう。
「……!?」
俺の呼びかけに猫耳美少女は目を覚ました。
大きな眼をこれでもかと見開き、飛び起きるようにして距離を取る。
「一応、怪しいものではないんだけどなー」
「っ!」
互いに睨み合うような形になる。
にしても、めちゃくちゃ美少女だな。顔とか小さすぎんだろ。しかもその割に目はクリっと大きく、鼻や唇はこじんまりとしてバランスが良い。
歳はハタチ前くらいかね。まだあどけなさを隠しきれない、そんな感じだ。
ただ、胸が小さいのが残念。おまけにチビだし。
うーん、俺の好みではないなー。揉めば分かる、やっぱ巨乳が最強よ。
「ほらほら、取って食ったりしないから……って、おいおい」
猫耳美少女は少しずつ後退り、適度に離れたところで駆け出してしまった。
地味にショックだ。初対面の女の子から嫌われたこと、あんまないんだけどなー。
けど、なんか色々とワケありそうだし仕方ないか。トラブルに巻き込まれなくてよかった、とボジティブに考えよう。
なんてすっかり日常モードに切り替えようとしたのに――――バタンっ!
「####……」
日本語ではない言語で何かを呟いて、猫耳美少女は地面に倒れてしまった。
「おい、大丈夫か!?」
慌てて駆け寄って肩を揺らすが反応はない。一応息はあるのだが、どうやら気絶してしまったらしい。外傷もなさそうだし、疲労か何かだと思うが……。
「さて、どうするか」
とてつもなく面倒なことになる予感しかない。
自分のことでも手一杯なのに、わざわざ火中の栗を拾うようなことをするのは――――でも、あれだな。猫の恩返しみたいなさ。なんかほら、ここで助けたら恩返ししてくれるかも。それで事務所の経営も上向いてさ。情けは人の為ならず。人に親切にすれば自分にも返ってくる、なんて言うじゃないか。
あとはなんだろうなー。美少女を助ける俺カッコいい!
えー、他になんか理由ある?
あ、死んだ母ちゃんが、困っている人を助けなさいって言っていた気がする。うん、ここは助けよう。それしかないな、助ける理由があるんだから仕方がない。
全く、やれやれだぜ。
「よっこらせ。あー、やっぱ胸ないなー」
猫耳美少女の上半身を起こして背中にのせる。女性特有の柔らかさはあるが、残念ながら胸の感触は一切ない。
「この太ももだけで我慢してやろう」
これは体を支えるために必要な行為だ。救護活動の一環である。仮に訴えられてもきっと負けないはずだ。なので、このまま太ももの柔らかさを堪能したいと思う。
「なるべく人通りのないところ、ちょっと遠回りになるが……よし行くか」
最短で行けば一〇分くらいのところを、倍の時間をかけて事務所にたどり着いた。
もちろん、ここは大都市・東京。
誰ともすれ違わないなんてことはなかったが、特に見咎められることもなかった。視線は感じたけど、現場を押さえられなければセーフということで。
「えーと、鍵、鍵」
野老澤探偵事務所は雑居ビルの二階に位置している。
入口の扉に長方形の白いマグネットを貼り付け、『野老澤探偵事務所』とデカデカした文字で存在をアピールしているのだが、この扉を開けた客は二桁もいない。
まさしく閑古鳥である。
「ただいまー」
誰もいないのに挨拶は欠かさない。無言で家に帰るのって寂しいじゃん。
暗闇の中を探るようにして壁のスイッチに触れる。
電気をつけると、見慣れた事務所の光景が広がった。
家賃九万、一◯帖のワンルーム。玄関を開けると正面と右側に扉があり、正面の扉を抜けた先には事務所兼居住スペース、右側の扉の向こうには脱衣所とユニットバスがある。
事務所兼居住スペースはパーテーションで二つのエリアに区切っている。
キッチンやベッドのある居住エリア。
ソファー、ローテーブル、仕事机を配置した事務所エリア。
しかし、最近では客が全く来ないことから、区切りなど関係なくあらゆる場所にゴミや脱ぎっぱなしの服が乱雑に放り投げられていた。
この部屋の主は、衛生観念が欠如しているといっても過言ではない。
まぁ、俺なんですが。はい、すみません。昔からお片付けが苦手でした。
「よーし、下ろすぞー」
猫耳美少女は変わらず気絶したままだが一応確認を取る。
もちろん返事はない。では、勝手にやらせてもらいます。背中から降ろして体を横にさせると、猫耳美少女は「うっ」と顔をしかめる。
遅れるようにして、ぐぅぅぅぅと結構大きな音で腹を鳴らす。
「あー、なるほどね」
しばらく起きなさそうだし、酒と食材だけ冷蔵庫に入れて買い出し行くか。