97話 培ってきたもの
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がんばれ魔奇さん。
わたしは家に飛び込み、地下へと続く階段を転げ落ちるようにおりると、息を切らしながら厳かな雰囲気が充満する部屋に目を向けた。
魔奇家、書物庫。数多の魔法書が収められた無数の棚が並ぶ地下室。魔法で温度や湿度が均一に管理され、部屋の周囲には結界魔法が張られている。
祖母や母、それより以前から魔奇家の人間が収集した世界の魔法書が眠る場所。先人たちの教えが凝縮した叡智の集まり。
幼少期から、わたしはここで魔法書を読み漁った。もちろん、読めない言語の本や内容が難しくて理解できない本ばかりで、いつも母がかいつまんで解説してくれた。
わたしが読めそうな魔法書を選び、それを教材にして魔法を学んできた。成長し、知識や言葉を知るにつれて挑戦したものの、何度も敗北して棚に戻した。
わたしの知らない世界がいくつも残っている書物庫。魔法の名前を知っても、使う姿が想像できなかった。それだけ、魔法使いが培ってきたものは深くて遠い。わたしには何もかもが足らないのだと思い知った。
……でも、今はそんなことを言っている場合じゃない。
わたしは魔法を使って片っ端から本を引っ張り出し、開いて床に置いた。こどもの頃に読んだ魔法書の中に、わたしが求めている魔法がある。
先人たちに憧れて、祖母から道を得て、母に学んだ魔法の教え。空想の中では、ありとあらゆる魔法を使う立派な魔女だったわたしは、素敵に人々を救っていた。あんな風になりたい。なれたらいいな。そう願った少女は、願うことをやめて本のページをめくり続けた。
あんな風に、かっこよく魔法を使えなくてもいい。ただひとつ、わたしが求める魔法が使えればいい。
シロツメは何も言わず、わたしが違うと放り投げた本を棚に戻していた。使い魔である彼女には伝わっているのだろう。わたしが何をしようとしているのか、何を求めているのか。それがどれだけ、難しいことなのか。
わたしは半人前の魔女。使い魔にも笑われるようなこどもの魔女。理想を抱き、叶える為に生きてきた幼い魔女。けれど、魔法が使えることにかわりはない。
魔法が使える者には、相応の責任が伴う。どんなに幼くても、知識がなくても、魔力を持っているというだけで世界が変わる。それだけ、魔法が持つ力は強大だということ。
何度も何度も祖母が言っていたことを思い出す。
強い力は、使い方によって善悪が決まる。『世界に平和を』と志しても、誰かにとっては悪かもしれない。だから、知ることが大切なのだと。
相手を知り、世界を知り、自分の見ている光景を広げる。それでもまだ、気持ちが揺らがないのであれば、迷わず進む。たとえ、その道が悪だったとしても、止まらずに進むこと。もしものことがあれば、培ってきた何かがあなたを止めてくれるでしょう。
わたしは、祖母の言ったことをすべて理解しているとは思えない。まだ足りないものが多いのだと思う。
しかし、わたしの絵空事の理想を『素敵だね』と言ってくれたきみなら、どんなに突飛な魔法でも笑顔を浮かべてくれると信じている。魔法を使えないきみだからこそ、もしもの時は鍵となるのだろう。他でもない、わたしの鍵に。
世界中に存在する幾千、幾万、幾億の魔法。書物庫にあるのは、ほんの一部。
「どこ……、どこにあるの……」
立派な魔女だったら、すぐに適した魔法が思い浮かぶのだろう。息をするように使えるのだろう。でも、わたしは違うから、必死に探すところから始めるしかない。
「見つからない……。絶対に見たのに!」
ページをめくるたびに増していく焦燥感。地下に押し潰されるような感覚に陥り、息が詰まる。
「落ち着きなさい、スペル」
ふと、手の甲に触れた柔らかな感触。ふわふわの小さな手が乗っていた。
そこには、彼女が贈った星屑柄の絆創膏。わたしとシロツメの縁を結んだ証。なんだかんだ言いつつ、シロツメのお気に入りになっている絆創膏を見て、ふっと心が凪いだような気がした。
「感情のコントロールよ。ゆっくり、はやく、求める魔法を探しなさい」
「……うん。ありがとう、シロツメ」
浅くなっていた呼吸を整え、本に向き直る。謎の文字列に見えていた文章がすっと脳に入ってくる。
これは違う。こっちも違う。これじゃない。これは……。
「見つけた」
一言つぶやくと、わたしは本を抱えて飛び出した。救急道具の入った鞄に本を仕舞うことも忘れ、外に出るとほうきに飛び乗った。
木々の間を縫うように進むわたしは、髪が乱れるのも気にせずスピードをあげる。肩にしがみついたシロツメが落ちないように爪を立てた。
飛びながら周囲を見渡し、彼女の姿を探す。
「平良さん、いたら返事して!」
呼びかけに応えるものはない。いつも賑やかな森の中が、妙に静まり返っている。嫌な想像ばかりが思考を覆い、何度振り払っても這い上がってきた。
片手でほうきを握り、もう片方で開いた本のページに目を落とす。そこに書かれている魔法の使い方を脳に叩き込み、鞄に仕舞った。
他にもいい魔法があるのだと思う。でも、今のわたしに落ちてきたのはこの魔法だった。
なんでもいい。彼女が見つかるのなら、どんな魔法だっていい。
ほうきを握る手に力がこもる。
もし、もし万が一……。最悪の結末が目の前をかすめていく。
「………………」
ポケットの中に手を入れると、指先にふわりとしたものが当たった。あの時からずっと持っているもの。わたしにとってあまりに大切なもの。
「平良さん……」
考えたくはないけれど、もしもの時は、わたしは。
幼い頃から何度も聞かされた『魔法使いが絶対に知っておかないといけないこと』。到底わたしなどでは発動できない魔法の名前が、やけに鮮明に脳裏に浮かんでいた。
お読みいただきありがとうございました。
魔奇さんが見つけた魔法とは一体。




