91話 受け継いだもの
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ちょっと久しぶりの魔奇さん。
「こわい話はここまで。さて、志普ちゃんに魔女っぽいところを見せて楽しんでもらおうかな」
両手を合わせて音を出したすまさんは、透明なケースからいくつもの植物を取り出して小鉢に放り込みます。軸のついた車輪状の道具を見せると、小鉢に設置します。
「これは薬研という道具でね、薬剤などをひいて粉にするんだよ。今日は植物だけど、それっぽい気がしない?」
一見すると薬の調合風景ですが、大きな三角帽子のおかげで一気に怪しさを増していました。すまさんの不敵な笑みも、雰囲気作りに一役買っているようです。
「すり潰しながら魔力を使い、調合していく。見ていて」
すまさんを中心に出現した光の波が、小鉢を包み込んで光の粒が弾けました。小さくなっていく植物が混ざり合い、次第に色を揃えていきます。やがて、薄緑色の粉だけが小鉢に残りました。
ふわりと鼻をかすめる自然の香り。嗅いだことはないのですが、どこか懐かしい気分を抱きました。
「苦手な香りではないかな?」
「はい。好きな香りです」
「よかった。これを小さな巾着に入れて、はい、香り袋の完成だよ」
差し出されたそれを、私は両手を皿のようにして受け取りました。巾着も花柄でかわいらしく、ストラップにして使えるようにボールチェーンもついています。
「できれば肌身離さず持っていること。この香りは、志普ちゃんに移った魔力の残り香やヒトならざるものの存在を隠してくれる。加えて、鼻のきく相手から志普ちゃん自身を隠す役割もあるからね」
「ありがとうございます、すまさん」
「でも、完璧じゃないから過信はしないように。魔法が使えれば撃退できるけれど、志普ちゃんはできないからね。困った時は、ちゃんと頼ること」
すまさんは私の両肩に手を添え、目線を合わせて言いました。
「頼ることは悪いことじゃない。自分の持っている絆をうまく使って、必要な時は求めることを迷わないようにね」
「私は助けられてばかりですね」
「そうでもないよ。すぺるを見てごらん」
魔奇さん? どうして彼女がここで?
「ド田舎出身のすぺるが、てんやわんやでも高校生活を送れているのは、志普ちゃんが助けてくれているからでしょう?」
「助けるなんてそんな、大したことはしていませんよ」
「でも、すぺるにとっては大事なこと。だから、助けてもらったら、今度は助けてあげて。情けは人の為ならずってやつさ」
他者にかけた情けは、巡り巡って自分に良い報いが戻る。あまり実感はありませんが、すまさんが言ったことは、以前魔奇さんが言っていたことによく似ていました。
私がどう思おうと、相手が『助かった』と思っているのなら、とやかく言う必要はありません。
「すまさん、私にできることがあれば言ってください。魔奇さんだけじゃなく、すまさんの力にもなりたいです」
「あらあら、志普ちゃんったら」
嬉しそうに笑う彼女は、「そうだねぇ……」と口元に手を当てます。
「志普ちゃんは、あの話を聞いてもなお、魔女であるわたしたちの力になりたいと思うんだね」
あの話……。禁忌魔法のことでしょうか?
たしかに恐ろしいとは思いましたが、魔奇さんと離れる理由にはなりません。それに、使う場面も思いつきませんでした。普通に暮らしていれば、禁忌魔法と関わることはないでしょう。
「志普ちゃん、きみに話があるのだけれど」
「なんでしょう」
「すぺるの力になりたいといった言葉に嘘はない?」
「はい」
私はしっかりと頷きました。何かを決めた様子のすまさんは、ややあって口を開きます。
「きみに覚悟があるのなら――」
私は魔奇家の廊下に置かれた収納棚の前に立っていました。棚の上には写真立てがあり、年老いた女性と幼い少女が映っています。
「それ、わたしのおばあちゃん」
空になったカゴを手に、三角帽子を被ったままこちらに歩いてきました。シロツメちゃんがくつろいでいるカゴを廊下に置くと、三角帽子を両手で持ちます。
「この三角帽子の元の持ち主だよ」
その言葉通り、同じ帽子を老女が被っていました。しかし、先端にはチャームがついているようです。星型のチャームでした。
「自分にとって意味のある何かをチャームにして、三角帽子は完成する。わたしの帽子はまだ未完成なんだけど……」
彼女は穏やかに微笑んで顔を隣に傾けます。ほのかに赤い彼女の黒い瞳が私を見つめました。
「近いうちに完成する気がするんだ」
「魔奇さんにとって意味のある何かを見つけたの?」
「そうだね。そうかな? うん、きっとそう」
一人で問答しつつ、彼女は可憐な笑顔を浮かべました。そして、また写真の中に目をやります。
「わたしが魔女として生きようと思ったきっかけはね、おばあちゃんなんだよ」
「何かあったの?」
「特段珍しいことじゃないよ。わたしにたくさんの魔法を見せてくれた。ただそれだけ」
けれど、『ただそれだけ』が彼女にとって、とても大きな意味があったのでしょう。
「幼い頃は、魔法の怖い部分なんてわからなかったから、きらきらして素敵なものだと思ってた。もちろん、勉強した今でもそう思うよ。それに……」
彼女は写真をそっと手に取ると、優しい目をして眺めます。
「あの時見た世界は、いつまでもきらきらしていると思うの。どんなことがあっても、手を伸ばしたいと思うくらい。おばあちゃんも、魔法は世界や人を素敵にするって信じてた。魔法の持つ『よい力』を伝え続けてた。だから、わたしが守るって決めたんだ。魔法はなんでもできるけど、それゆえに世界には悲しい物語がたくさん残っている。魔法によって壊されたきらきらがたくさんあるの」
悲しげな瞳は一瞬だけ。すぐに強い光が宿ります。
「魔法は素敵なものだって伝えたい。魔法で誰かを傷つける人は許さない。立派な魔女になって、魔法使いもそうでない人も、みんな幸せに過ごせる世界にしたいんだ。これがわたしの理想」
「素敵な理想だね。魔奇さんはやっぱりすごい人だ」
「へっ? そ、そうかな? えへへ」
私は、なりたいものは見つからないし、すごい力もない人間です。だから余計に、彼女がきらきらした存在に見えて仕方がありません。こうして隣にいることすら、少し恥ずかしくも思うのです。
でも、私にしかできないことはきっとある。しばらくは、それを探しながら生きるのもいいと思いました。
「でもね……」
ふいに、彼女は声を落とします。「最近、ちょっと不安なんだ」
「不安?」
「うん。一人暮らしを始めて、高校生活を過ごして、わたしは今まで見てきた世界がどれだけ小さかったのかを知った。それはとても嬉しいことだったけれど、同時に少し怖くて……。わたしの理想って、もしかしたらすごく甘いんじゃないかって思うようになったんだ」
「魔奇さん……」
かける言葉が見当たらず、彼女の続きを待ちました。
「……わたし、自分の理想を叶えられるのかな」
小さく発せられた言葉は、私だけに届いて消えていきます。三角帽子を握る両手に力がこもり、かすかに震えているように見えました。
「力になれることがあったら言ってね。私、がんばるから」
当たり障りのないことしか言えませんでしたが、言うべきだと思いました。
「平良さんはもうじゅうぶん、わたしの力になっていると思うけど……。そ、そうだなぁ、ええと、し、し……、ししししし……しほちゃ……げふんごほん!」
急に態度がおかしくなる魔奇さん。どうしたのですか。
「し、しし、しほ、司法と立法についてなんだけどさ!」
司法と立法? なんで急に?
「教科書だけだとよくわからなかったから、平良さんに解説してほしいかも⁉」
「いいよ。でも、その範囲って夏課題に入っていないような……」
「いいのいいの! よろしくお願いします!」
「わかった。ログハウスに戻ろっか」
「う、うん。……ねえ、し、ししし、しほちゃ……げひゃん!」
聞いたことのない咳に、驚いて彼女を見ました。大丈夫?
「ご、ごめん。さっき、四方八方から木々に襲われて、ほうきで飛ぶのが大変だったものだから……」
「引っかからないように気をつけてね」
「う、うん。……ええと、し、しし、しほち、えうっ、しほちゃ……ごひょん!」
「魔奇さん、風邪ひいたの? 今日はもう休む?」
「ちちち違うよ! ええと、あれ! 資本金はいくらにしようかなって考えてて!」
会社でも作るんですか。
「最近、公民の勉強をがんばっているもので!」
「なるほど。いいね」
「でしょ。……う、ううん。うーむ……」
得意げに胸を張りつつ、なぜか唸る魔奇さん。様子のおかしい彼女に、私は風邪薬をもらってからログハウスに行こうと決めます。
「こういう時、コアがいると話が進むのよね」
揺れるカゴの中で、シロツメちゃんが大きなあくびをしました。
「も、もうちょっとだと思うんだけど……」
なにやらぶつぶつつぶやく魔奇さんの背中を見つめながら、私はあることを心に決めました。
どれだけ甘い理想だとしても、誰かが抱かなければ存在すらしないのです。それがあなただというのなら、私は全力で応援したい。受け継いだ理想が理想論で終わらないように。
彼女が握る三角帽子。幼い頃に誓った決意の背を押す為に、私は。
お読みいただきありがとうございました。
香り袋の香りはご想像にお任せします。いつも読者様の想像力頼り。
【調合魔法】
自分の魔力を使って薬草やその他いろんなものを調合する魔法。得意不得意が非常にわかれる魔法であり、すまは得意。すぺるは苦手。魔力によって薬の効果に差が出る特性や才能による影響が大きい為、魔法使いの中には調合魔法を専門に扱う者もいる。
難易度:非常に個人差があるが、比較的簡単な魔法




