84話 義理堅き者
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もふもふはいくらあってもいいと偉い人が言っていました。
私のそばに座った大型犬のような獣は、こちらを見上げながらもふもふのしっぽをゆらゆらと動かします。
「それにしても、災難だったな。こんな山奥で魔法生物に目をつけられるとは」
「助けてくれてありがとうございました」
「なんの。これくらい容易いさ」
どう見ても犬っぽいのに、聞こえてくるのが低くて渋い素敵な声なので、頭が混乱してきそうです。
「あなたも魔法生物なんですか?」
「そうさ。よく犬みたいと言われるが、れっきとした魔法生物だ」
ゆらり。動いた尾がかすかに私に触れました。……ううむ、毛の感触も犬みたい。
「敬語は使わなくていい。その方が話しやすいだろう」
「でも、年上かなって」
「だいぶ上だが、可愛がってもらおうと思ってな」
いたずらっ子のように言うので、さらに恐怖は消えていきます。等間隔の低い声は、おそらく笑い声でしょう。鋭い牙が覗きましたが、助けてもらった経験があるので怖くはありません。
「さっきの奴だが、もう二度と会うことはないから安心するといい」
「それは……」
意味を訊こうとして、やめました。なんとなく理解できたからです。
「こちらにはこちらの世界がある。あいつを肯定するわけではないが、魔力を持たないお嬢さんが来るにはちと危険であることは確かだ」
「……魔女でもないのに魔法生物の匂いをつけていると言われたの。あなたたちからしたら、私は土足で踏み入るならず者に見えるのかな」
「魔法生物や魔法を使う者の中にもいろんな考え方の奴はいるさ。共存しようとする者、魔力や魔法を特別だと考えてそれ以外を下に見る者、安寧さえあれば立ち入ろうとしない者」
「あなたは?」
獣は赤色の目をきらりと輝かせました。
「俺は、自分で決めたことを守っているだけだ。難しい話じゃない。お嬢さんからみれば遠い昔のこと、俺は人間に助けられたことがあるんだ。魔力もなにもない、ただの人間に」
上げていた顔を私の足に乗せ、落ち着いた様子で話す獣。ふわふわを感じ、つい頭の上に手を伸ばしました。ぴくりと三角耳が動きましたが、ゆったりと下がるのでそのまま撫でます。可愛がってもらうとは、こういうことでしょうか?
「俺は人間に恩義がある。それを返しているだけのこと」
「でも、とても昔なんだよね」
「ああ。もうずいぶんたくさんの人間を助けたな。うっかり魔法生物に襲われた者も、道に迷って遭難した者も、何らかのトラブルに巻き込まれた人間をたくさん」
その内のひとりが私。かつて人間から助けてもらったことで、こんにちに至るまで人間を助け続けた魔法生物。なんて義理堅いのでしょう。
きっと、もう義理は果たしたはずです。それなのに、まだ手を差し伸べるなんて……。
私は尊敬の念を抱かずにはいられませんでした。立派という言葉では足りない彼の行動。私も彼のように誰かを助ける人になりたいと思いました。助けられてばかりではなく、助ける人に。
鈍い痛みが足首に走ります。いつになったらそうなれるのやら。私は、何の力もないただの人間だというのに、願いを抱くことは傲慢でしょうか。
「情けないなぁ……」
「情けない? 何がだい?」
知らずのうちに、声に出ていたようで咄嗟に口に手を当てます。しかし、赤い目に見つめられて手を放しました。
「私、友達と一緒にここに来ているんだけど、その友達はみんな自分らしい何かを持っていて、立派なんだ。でも、私は本当に普通で、秀でたものなんか何もない。ここにいるのだって、野うさぎを追いかけて足を滑らしたの。恥ずかしいよね」
「野うさぎを追いかけて落ちたって? なんてこったい、お嬢さんはアリスだったのか」
そういえば、アリスは時計うさぎを追いかけていたんでしたっけ。私の場合、落ちた先は不思議の国ではありませんでしたけれど。
「残念ながらアリスじゃないよ。私、志普っていうの」
「そうか、いい名前だな。そしてシホ嬢、自分を卑下することはないぞ。まだ生まれたばかりだろう?」
「十五年ほど経っています」
思わず敬語で答えました。
「俺たちからすればさっきみたいなものだが、そうだな……。俺は人間じゃないから適したセリフは言えないが、深く考えることはないと思うぞ」
「深く考えることはない……」
「シホ嬢は今日、山奥で攻撃的な魔法生物に襲われた。だが、同じ魔法生物である俺がこんなに近くにいるのに普通に会話してくれている」
「それは、あなたは助けてくれたから……」
「ひとつ質問をしよう。シホ嬢、君はこれからも魔女や魔法生物と関わりたいと思うかい?」
私は迷わず頷きました。
「うん。私の友達にも魔女と魔法生物がいるの。大事な人だから、これからも仲良くしたい」
「こちらの世界のことをもっと知りたい?」
「魔力のない私が知ってもいいのなら、知りたい」
「その気持ちがあるのなら、シホ嬢は胸を張ってもいいと思うぞ」
「えっと……、どういうこと?」
いまいち理解できず、獣に問いかけます。彼は低く笑うと、「俺が言うのもなんだが」と牙を見せます。
「あんな体験をした後で、そんなことを言う奴はだいぶマジカルだぜ」
「えっ、私マジカルなの?」
「かなりな」
楽しそうに笑うと、「シホ嬢」と名を呼びました。
「知らないことは怖いだろう。だが、知ることも怖いことなんだ。それでも、君は『知りたい』と言った。だから、そんなに心配しなくていい。君が動けば、周りもついてくるさ」
「あなたは少し曖昧な言い方をするんだね」
「その方がミステリアスでモテるんだよ」
「意外とおちゃめなんだ?」
「そうさ。俺はおちゃめなんだ」
場所と見た目と声に似合わぬ言葉に、私は声を出して笑いました。先ほどとは違う理由で視界が滲みます。
獣がふすんと鼻を鳴らしました。
「さて、そろそろよさそうだ」
「えっ?」
「もう安心だということだ。ほら、俺の背中に乗るといい。上まで連れて行ってあげよう」
「大丈夫?」
「お嬢さんの重みは命の重み。ありがたいじゃないか」
「セリフが紳士だね」
イギリスから来たのかな?
「喜んでいただけて嬉しいよ」
足首をかばいつつ、そっと獣の上に乗ります。
「しっかり掴まっているように」
そう言われたので、首に手を回してしがみつきました。次の瞬間、身体がふわりと浮いて土の匂いが鼻先をかすめます。と思ったら、視界があっという間にひらけました。
「どうぞ、シホ嬢」
「ありがとう」
瞬く間に地上に戻ってくると、彼は三角耳を動かして頷きます。
「それじゃ、足元には気をつけて。楽しく過ごすんだよ」
さっと身を翻すので、咄嗟に「待って!」と呼びとめました。顔だけ振り返る彼。
「お礼がしたいの。私にできることならなんでも」
「シホ嬢、女の子が『なんでも』なんて易々と言うもんじゃないぞ」
「でも……」
ふわふわの尾が揺れます。「大丈夫さ」彼は大きな口の端をにっと上げました。
「貸しはすぐ返すことになるだろう。礼はそれで」
「どういうこと?」
「流れに身を任せればわかるさ。じゃあな、シホ嬢」
そう言うと、彼は森の中に消えていきました。曖昧な言い方をするので、いまいち理解ができませんが、お礼は近いうちにできるのでしょうか?
その時、背後の方から私を呼ぶ声が聞こえました。
「平良さーーーん! どこーーーーー⁉」
「しほーーーーー!」
魔奇さんときとんが森の中で私を探しています。手を挙げて「ここだよー」と答えると、二人は物凄い速さで駆け寄ってきました。
「無事⁉ どこに行っていたの?」
「たんどくこうどう、だめ!」
「ご、ごめん。ちょっと足を滑らせちゃって……」
「ケガしたの⁉ どこ! 見せて!」
魔奇さんの勢いに負け、捻った足首を示しました。杖を取り出した彼女はすぐさま魔法と発動します。魔法陣に包まれた足首から、ずきずきとした痛みが引いていきました。
「簡単な治癒魔法だけど、どうかな?」
「ありがとう。もう痛くないよ」
笑顔で応えますが、二人はじっとり私を見つめます。きとんなんて私の腕にしがみついて至近距離から上目遣い。
「な、なに?」
「捻挫程度で済んだからいいけど、もうひとりでどこかに行かないで」
私の手を包み込んだ彼女の指は、かすかに震えていました。きとんの力も強まります。私の軽率な行動で二人を不安にさせてしまったのです。
「……心配かけてごめんね」
「もりのなか、いろんなにおいあってしほさがすのむずかしい」
「途中で匂いが途切れたって言うから、わたしびっくりしちゃって」
「ほんとにごめんね」
空気が沈んでしまったので、切り替えようと「そういえば」と声のトーンを上げます。
「埋蔵金は見つかった?」
「ううん。手がかりすら、なーんにも」
「とちゅうでしほいない。まいぞうきんどうでもいい」
「あはは……、ですよね」
きとんにじろりと睨まれました。対して、シャベルを持っていた魔奇さんは嬉しそうに頬を綻ばせています。不思議に思っていると、「埋蔵金は見つからなかったけど」と話し始めます。
「平良さんが見つかったからいいかなって」
心配をかけたのに、そんなことを言ってくれるなんて。お礼を言うべきところなのに、私の口からは何も出てきません。
かわりに、誰にも顔を見せたくなくてうつむきました。覗き込んでいるきとんが、「んにゃ」と笑みを浮かべます。
「平良さん、大丈夫? 他にもどこか痛い?」
「い、いや……。平気。なんともないよ」
「でも、なんか様子がおかしいよ」
「それは重々承知……」
「やっぱりケガしてるの⁉」
「し、してない。してないから、大丈夫だから!」
攻防を繰り広げる私たちに、腕から離れたきとんに移動したシロツメちゃんが「それはそうと」と耳を揺らします。
「埋蔵金は欲しいわね」
「しろつめ、くうきよめ」
お読みいただきありがとうございました。
この作品にはもふもふが足りないかもしれない。




