81話 駄菓子屋『ヤドリギ』
閲覧ありがとうございます。
駄菓子屋を見るとテンションが上がります。
魔奇家から歩くこと三十分強。日頃から使う道ということで、歩きやすいものの山道であることに変わりはない為、慣れていない私はかなり疲れを感じていました。
真夏の気温が体力を奪いますが、さわさわと揺れる木々のおかげで心地よい涼しさもあります。
それとなく整備された道を逸れると、一気に森の中。
陽が出ている間でも薄暗いところがあり、すまさんの忠告が脳裏で再生されました。もちろん、敷地内を出るので魔法をかけてもらっています。加えて、魔奇さんも一緒かつ行き先が見知った場所なので、すまさんの心配は小さいものでした。
「結界魔法はありがたいが、自分の周りだけ涼しくなる魔法はないのか?」
夏用パーカーを着る小悪ちゃんが汗を垂らしながら問いかけます。進みが遅いので、後ろから勇香ちゃんが背中を押していました。
「あるにはあるけど、温度調節が苦手で……」
魔奇さんは顔を背けながら頬を掻きます。「昔、お父さんを凍らせちゃったんだよね」
「あの、なんだ、その、えっと、今の話はなかったことにしてくれ」
青ざめた小悪ちゃんが身体を震わせます。
「涼しくなったようでなによりですね」
「ゆうか、すずしいのいみちがう」
誰もツッコまないのできとんがその役を担いました。私も理由が明確な涼を感じながら、同じような風景が続く道を歩いていきます。
「あ、着いたよ。ほら、あのお店」
ふいに、魔奇さんが指をさしました。木々ばかりだった道の脇に、平屋の建物が見えます。突き出したトタン屋根が日除けとなり、その下には無数の陳列ケースと塗装が剥がれたカラーベンチが数台置かれていました。
そばには古ぼけた犬小屋もあります。『ポチ』と書かれていますが、中に犬はいないようです。
切った木を組み合わせて作られた『ヤドリギ』の文字は、いくつかの破片がなくなっていますが、どこか温かいものを感じさせます。
鳥や虫の鳴き声、風に揺れる植物の音、足音、どこかで枝が割れる音。様々な音が入り混じる世界で、軒先にさがる風鈴がどこまでも透き通る音色を奏でています。
「暑かった~。みんなでラムネ飲もっ」
伸びをしながら店に近寄る魔奇さん。その時、店内から出てきた人物がいました。カゴを抱えていたその人は、ぞろぞろとやってきた集団を見て目を丸くします。
「えっ、なんでみんなが……?」
「それはこっちのセリフだよー! 夜魔地方に来てるなら言ってくれればいいのに」
「僕は魔奇さんがいる方が驚きなんだけど……」
「聞いたぞ、明杖。おぬし、ここでバイトしているそうだな?」
「二週間くらいの短期間だけどね」
「いつからここにいるのですか?」
「四日前だよ」
「あきづえ、それ、らむね?」
「うん。補充しようと思って持って来たところ。冷えたラムネが欲しければそこだよ」
彼が視線で示したのは大きな樽。店の裏から伸びているホースが入ったままのそれは、こぼれそうなくらいの水で満たされています。
浮かんでいるプラスチック製の桶に数本のガラス瓶が寄りかかり、きらりと光る氷によって冷やされているようです。樽には手書きの文字で『一本百円』と書かれていました。
「明杖さん、ラムネ六本お願いします」
「お買い上げありがとうございます」
お互いにお辞儀。みんなが百円玉を渡すごとに一本受け取る一連の流れを見守ります。獲得した人から順次、そばのベンチに腰をおろしました。最後に私が百円玉を二枚手渡します。受け取った二本のうち、一本を彼に差し出しました。
「休憩の時にどうぞ」
「えっ、そんな悪いよ」
断る彼に、「高いものでもないから」と付け足そうとした時でした。
「厚意は素直に受け取るといい。うまく生きていく為には必要だぞ、明杖」
杖をつきながらこちらに歩いてくるおじいさんが、ゆっくりと私たちに目礼します。木製の椅子に腰かけると、隣のテーブルに置いてあった箱を手に取ります。
軽く振って中身を出すと、細長い白い棒を口にくわえました。一瞬、たばこかと思いましたが、火を点けることはありません。よく見たら、たばこに似た砂糖菓子でした。
「あ、鳥じい~。ひさしぶり! ポチはどこ?」
ラムネを持つ手を掲げる魔奇さん。鳥じいと呼ばれた男性は、ほのかに微笑んで頷きます。
「ひさしいな、すぺる嬢。夏休みの帰省か。ポチは山の中だろう」
「そっか。今回はね、学校でできたと、とも、友達を! 連れてきたんだ。ふふん」
どうしても『友達』のところで呂律が怪しくなりますね。
「初めまして、お嬢さんがた。おれは柏木鳥平。ここらの人は『鳥じい』と呼ぶ、ただのじじいだ」
魔奇さんにラムネの栓を開けてもらっている小悪ちゃんが「ただのじじは言わんでもわかる」と口角を上げました。
「すぺる嬢が通っている学校はどこだったかな」
「不津乃高校だよ。お母さんが、そこならいいって言うから」
「不津乃か。たしか、明杖も同じ学校だったか」
話を振られ、明杖さんは顔を向けます。「はい、そうです」
「不津乃から遠く離れた夜魔で学友と会ったのも縁。少し早いが、休憩にしなさい」
「わかりました」
答えたものの、彼は鳥じいこと柏木さんの言葉の意味を察知し、おずおずと視線を私に戻します。
「休憩なら飲んでも平気だよね」
「そ、そうだね」
「ラムネ苦手?」
「ううん、平気」
じゃあ、と再度差し出した私に、彼は根負けしたように頭を下げました。
「ありがとう。いただきます」
「どういたしまして」
一台のカラーベンチには魔奇さん、小悪ちゃん、勇香ちゃんが座っています。まだスペースはありますが、あまりくっついても暑いのでもう一台の方へ。
きとんが足をぶらぶらさせながら、ラムネの飲み口をぺろぺろと舐めています。
「炭酸は大丈夫?」
「んにゃ。しゅわしゅわする」
隣に座ると、立っていた明杖さんに手招きします。暑い中、日向にいたら熱中症になりますよ。
なんともいえない顔でベンチの端の方に座る明杖さん。私はラムネのキャップを取り外して入口にセットし、力を込めて押しました。以前、ラムネ瓶の飲み方はテレビで観たのでばっちりです。しかし、何度やっても栓が開きません。純粋に硬いのです。意外と難易度が高い飲み物なのかも?
「きとん、よく開けられたね」
「すぺるにやってもらった。らむねのことならひゃくせんれんま」
「そっか。でも、タイミング逃がしちゃったから言いにくいな」
あと、あまり貧弱だと思われるのも恥ずかしいので。これまで経験したことのないラムネ瓶の開栓、いざ勝負!
「……全然開かない」
だいぶ戦いましたが、ぼろ負けです。悲しくなってきました。その時、隣から「開けようか?」と声がしました。見かねた明杖さんが手を差し出しています。
ぐっ……。絶対に貧弱娘だと思われた……。でも、このまま挑戦し続けてもラムネがぬるくなるだけ……。
「……お、お願いします」
「任せて」
そう言うと、本当にあっさり栓を開けるではありませんか。私の戦いはなんだったのか。
空気が入って勢いを増した炭酸を落ち着かせ、「どうぞ」と渡してくれます。
「ありがとう」
とはいえ、ラムネゲットです。一口飲むと、弾ける炭酸が暑さで火照った身体を冷やしてくれる気がしました。瓶を傾けるたびに、ビー玉がころんと転がります。ガラス瓶に当たる音が、風鈴と共鳴して爽やかな空気を運んでくれました。
少し離れたところから、彼女たちの賑やかな声が聞こえます。暑さをもろともしない元気な歓声が青々とした山に飛んでいきました。
穏やかで優しい時間。生まれた地から離れているのに、とても安心した気持ちになっています。ひとりだったら不安だったでしょうし、来ることはなかったでしょう。けれど、私の周りにはマジマジのみんながいるのです。何も心配いりません。
「四日前に来たって言ってたけど、調子はどう?」
炭酸のしゅわしゅわに目を白黒させるきとんの様子を窺いながら、明杖さんに問いかけます。
「最初は緊張したけど、今は少し慣れてきたよ。柏木さんは寡黙だけど、聞けばちゃんと教えてくれるし、お客さんも……」
彼は店の前を通る道を眺めます。「そんなに来ないからね」
「ひとりでさみしくない?」
「大丈夫だよ」
「そういえば、星奈さんが駄菓子屋の仕事の他に『おつかい』もあるって。どんなおつかいなの?」
「柏木さんに頼まれたことをやるから色々かな。薪を割ってほしいとか、倉庫から道具を持ってきてほしいとか。あとは家事だね」
「ご飯とか洗濯とか?」
「そう。手伝いに来ていた人が、用事で二週間くらい来られないんだって。柏木さん、足がちょっと悪いから、お手伝いさんがいたみたいで」
なるほど。そういう事情で短期バイトの募集があったのですね。たしかに、柏木さんは杖をついていましたし、年齢のことも考えると、山で一人暮らしは大変でしょう。
「明杖さん、ご飯作れるんだね」
「ネットのレシピを見ながらなら。でもここ、電波がさ……」
乾いた笑みでため息をつく明杖さん。脳裏で圏外マークが踊っています。
「買い物とかで山をもう少し下りた時に、レシピをひたすらメモしているよ」
「ご飯は柏木さんと一緒?」
「うん。空いている部屋を借りているし、短期ホームステイみたいなものかな」
それを聞き、内心ほっとしました。そういう環境なら、完全に孤独でもないはずです。
「自然と早寝早起きだから健康にいいし、三食作っているから自炊も慣れてきたし、駄菓子屋の仕事も忙しいわけじゃないから、なんだか……」
空になった瓶が揺れ、ころんと軽やかな音が鳴ります。
「すごく平和……」
どこか遠くを眺める明杖さんは、ぼんやりとそうつぶやきました。風鈴を揺らす風が私たちの間を通り抜けていきます。私が口を開きかけた時でした。
「うぴゃあぁああああぁぁぁぁあぁぁ!」
小悪ちゃんの悲鳴が森に響き渡りました。驚いて見ると、彼女の持つラムネ瓶から勢いよく炭酸が噴き出しているではありませんか。
「もー、炭酸は振っちゃだめだよ」
ラムネシャワーを浴び、逃げ遅れたことを悟った魔奇さんが一周回って冷静に言います。
「と、止まらないのだ! うわわわわわわ!」
必死に抑えようとするので、上空に飛んでいたラムネが向きを変えます。
「何事も経験ですね」
顔面にラムネビームをくらいながら、勇香ちゃんが深く頷きます。二人とも、今からでも逃げた方がいいと思うよ。
「タオル持ってくるから待ってて」
明杖さんが店の奥に消え、すぐさま数枚のタオルを手に戻ってきました。てんやわんやの彼女たちを横目に、私は空になったラムネ瓶を回収して柏木さんの元へ。滑って転んだらケガをしますからね。
「すみません、ラムネ瓶はどこに置けばいいですか?」
「そこの瓶ケースに入れておいてくれ」
「わかりました」
軒下に置かれたプラスチック製のケースに一本ずつ並べていると、「お嬢さん、名前はなんていう」と訊かれて振り返ります。
「平良志普です」
「そうか。志普嬢、これからどこか行くのかね」
「特に決まっていませんが、自然の中を探索してみたいなと」
「道があるように見えても空洞になっている場所も多い。気をつけなさい」
「わかりました」
それだけ言うと、またお菓子の棒をくわえる柏木さん。私は『あらら』と困ったように笑う明杖さんに近寄り、「平和はどこへやら」と顔を傾けます。眼前ではラムネまみれになった少女三人がホースで水遊びして新たな惨事を作り出していました。
水のシャワーが高らかに舞い、小さな虹が見えました。きらきら輝く七色に、明杖さんは「でも」とつぶやきます。
「賑やかな方が楽しいね」
お読みいただきありがとうございました。
ラムネ瓶のビー玉と格闘したおもひで。




