8話 購買チャレンジ
閲覧ありがとうございます。
魔奇さん、購買に挑戦するの巻。
姿勢を低くし、壁からそっと顔だけ覗かせる怪しい人物がいました。私です。
通りすがりの生徒たちがひそひそと私を見ていますが、今はそれどころではないのです。
「魔奇さん、大丈夫かな……」
お昼休み。
みんながお昼ご飯を食べたり体育館で運動したり、思い思いに過ごす時間。
なんてことない穏やかな時のはずですが、私は厳しい表情でかの場所を見ていました。
どこかって? それはもちろん、購買です。
「心配で仕方がない……」
私はお弁当を持参しているので、まだ購買を使ったことがありません。しかし、使い方は知っています。店の前を通ったこともあるので、何が売られているかも把握していますが、彼女はどうでしょう。
「遠いな……?」
購買に集まる集団からかなり離れた場所に魔奇さんはいます。お財布を持ちながら微動だにしません。
「あ、違う。小刻みに震えている」
初めて買い物に来たこどものようでした。一歩踏み出しては戻るを繰り返しています。
「頑張れ……! 頑張れ……!」
小声で応援します。背後のひそひそ声など聞こえません。
「おやっ」
機械のような動き方で進み始めた魔奇さん。足と手が直角です。
まだ生徒たちが多く、購入するには彼らの間を分け入らなければなりません。かなり緊張している魔奇さんにできるでしょうか。
「ん?」
小刻みだった震えが尋常じゃないレベルに発展しています。病気?
「えっ⁉」
突然、魔奇さんが猛スピードでこちらに走ってくるではありませんか! なんで⁉
「ハッ、いけない!」
私も走り出し、かつてない速さで駆け上がります。踊り場の手すりを掴み、滑らかなターン。これなら私も湯屋でかけっこできそうです。
開いている扉から剛速球のごとく滑り込み、自分の席に座りました。次の瞬間、息を切らした魔奇さんが教室に戻って来ます。
「ど、どうしたの、魔奇さん」
私も息が切れています。本来ならおかしいのですが、頭の中が購買でいっぱいであろう彼女は疑問に思わなかったようで、「あ、あの……」と口を開きました。
「買えた?」
それとなく訊きます。私はここで待っていたから買えたかどうか知らないのです。本当ですとも。
「ええっと……、そ、その……」
「……?」
魔奇さんは私がお弁当を開かずに待っているのを見つけました。
「先に食べてていいのに」
「せっかく一緒に食べるんだもん。待ってるよ」
「……うん。平良さん、もう少しだけ待っててくれる? わたし、頑張る!」
「頑張って」
にこやかに手を振る私。お弁当が手つかずなのは魔奇さんを見守っていたからですが、教室で待っていたにしても食べていなかったでしょう。だって、私も楽しみだったから。
「さて、行こう」
第二ラウンドです。足音を極力なくし、先ほどと同じ場所を陣取りました。
生徒の数はまだそこそこ。ゆっくり食べる時間を確保する為には、それとなく間に入る必要がありました。いけるか、魔奇さん。
「何の動き……?」
集団から離れたところで謎の動きをする彼女。魔法でしょうか?
「気合を入れているのかな」
何度も小さなガッツポーズをしています。まだ買えていないよ、魔奇さん。
「あ、動いた。頑張れ……!」
獲物を仕留める蛇のような動作です。女子高校生にあるまじき。髪が真っ白なので、余計に怪しさと神聖さが増していました。
ふと、彼女の近くにいた生徒が顔を動かします。目線の下にいた白蛇……否、魔奇さんに気づき変な声をあげました。そりゃまあ、びっくりしますよね。
生徒の声に他の生徒も首を動かし、魔奇さんの存在がどんどん知られていきます。すると、不思議なことが起きました。
みるみるうちに購買への道が開かれるではありませんか!
「諏訪湖の御神渡り?」
なぜか道ができたものの、まだ挙動不審な魔奇さん。多数の生徒が一歩下がり、最初に声をあげた生徒が『どうぞ』と手で示しました。
お辞儀のような、これまた謎の動きで感謝を表した様子の魔奇さん。初めての購買に視線をあっちこっちに飛ばし、やがて何かを手に取りました。
お金を払おうとお財布を開けますが、緊張から小銭が出ません。わたわたしていると、盛大に小銭が吹き飛びました。
しかし、黙って見ていた生徒たちが、素早い動きで小銭を回収します。訓練された隊員?
「もう少しだよ、魔奇さん……!」
思わず熱くなり、こぶしを握っていると、
「頑張れ……!」
「初めてのおつかい……!」
「君ならできる……!」
「やればできる子……!」
私の背後及び頭上に複数の生徒たちがたむろしていました。不審者の私を見てひそひそ話していた人たちです。何をしているのですか。
「頑張れ……! 頑張れ……!」
魔奇さんを応援しているようでした。なるほど、仲間ですね。
視線を購買に戻すと、ようやくお金を支払ったところでした。商品を受け取り、喜びのあまり高らかに掲げる魔奇さん。周囲で拍手が起こりました。あ、彼らも見守り隊?
ハッピースマイルを浮かべて階段に向かう魔奇さん。
「ハッ、いけない!」
慌てて不審者軍団に手を振ります。
「解散!」
「はい!」
学年も名前も知らないのですが、彼らは素晴らしい団結で散っていきました。私も滑らかなターンを決め、席につきます。息が苦しい。
「平良さん、ただいま!」
緊張からか、走ったからか、それとも別の理由か、彼女の頬はいちごのように赤く染まっていました。
「お待たせ、ご飯食べよ!」
それはまるで、小さな子が初めてできたおつかいの話をするようでした。
「おかえり。何買ったの?」
「えっとね、『転がるコロッケと戦うパン』と『甘すぎて十三人が気絶したいちごミルク』だよ」
「独特なネーミングセンスだね」
「普通じゃないの?」
「うーん……」
私はお弁当を広げながら思います。魔奇さんにとって、この学校は特別な場所。ずっと一人だったところから広がった世界。でも、少しずつ彼女の普通になっていく場所です。ならば。
「普通かな」
「あ、やっぱり?」
得意気な彼女は、私と一緒に「いただきます」を言いました。こちらをチラチラ見ているので何かと思いましたが、一口目を合わせたいようです。
同い年なのに、かわいい妹の気分でした。
彼女は転がるコロッケと戦うパンを一口。私は卵焼きを一口。
「おいしい!」
「転がりそう?」
「思ったよりちゃんと挟まってるみたい」
「じゃあ、心配しなくて大丈夫だね」
「心配してたの?」
「だって、コロッケが転がったら魔奇さんのお昼ご飯がなくなっちゃう」
「たしかに」
中身のない会話ですが、なんだかとても楽しいのです。ほんのりとずっと上がったままの口角に気づきながら、私はお弁当を食べました。
入っているおかずは見知ったもののはずなのに、今までで一番美味しく感じたのはなぜなのでしょう。なんて言ってみますが、その理由が隣の席にあることは、私だけの秘密です。
お読みいただきありがとうございました。
たいへんよくできました。