74話 明杖と六等星の夜
閲覧ありがとうございます。
たまには登場しないと忘れられそうな名誉部員。
じりじりと肌を焼く太陽光から逃れ、塀が作る影の中に立つ私。わずかに塀に寄りかかりながら、携帯の画面を見ていました。
地図と店のURLが添付されたメッセージ。相手からは『了解』と手を挙げるスタンプが送られています。
息苦しさをも感じる猛暑。ふうと息をはきながら辺りに首を動かします。
「……あ」
曲がり角からこちらに歩いてくる人がいました。相手は私を見つけると、小走りになります。
私の前まで来ると、心配そうな顔を浮かべました。
「ごめん、お待たせ。暑いから店の中で待っていてよかったのに」
「案内するのはお店とは違うところだし、急に呼んだのは私だから」
「気にしなくていいのに……」
目が眩むほどの光が辺りを照らしますが、彼、明杖さんの表情は暗いままです。日陰にいたから大丈夫なんだけどな。
「とりあえず、涼しいところに行こ」
私は鬱蒼と緑が茂るレンガの塀にはまるアンティーク調の門扉を開きます。誰もいない路地にひっそりと現れたそれに、明杖さんはわずかに眉をひそめました。
私に続いて喫茶店の敷地内に足を踏み入れると、夏の花々が彼を迎えます。六等星は今日も営業中。店内には涼を求めてやってきたお客さんがいるでしょう。
星奈さんには事前に連絡を入れてあるので、喫茶店には寄らず中庭を通り過ぎていきます。絵本に出てきそうなかわいらしい家。例のごとく、鍵は開いています。
定型の挨拶をつぶやきながら、私は室内へ。木目が見える靴箱に靴を入れ、ふわふわの絨毯を踏みます。明杖さんは家の中の様子に無言で驚いているようでした。躊躇いがちに入ると、「すごいね」とつぶやきました。
「話には聞いていたけれど、実際に見ると本当におとぎ話の世界だ」
「素敵なところだよね。マジマジの活動じゃなくても自由に使っていいって」
なんとなく家にいたくない時、なんとなく一人になりたい時、なんとなくどこかに行きたい時。きっと、人にはあるのでしょう。
そんな時、ふと思い浮かぶのがここであれば嬉しい。私とのメッセージの中で、星奈さんはそう言いました。文面上でありながら、彼女の優しい顔が思い浮かびます。
「今日はマジマジ活動ではありません」
宣言する私に、明杖さんは「えっ?」と声をあげました。
「違うの? そういえば、他にメンバーがいないね」
「うん。どこかのタイミングで六等星の夜を明杖さんに教えておきたくて。地図は送ったけれど、ちょっとわかりにくいから」
それと、もうひとつ。私は別の目的をそっと胸に閉じ込めます。
「六等星にはすんなり来られた?」
「うっ……」
目をそらす明杖さん。あ、もしかして迷ってたな?
「なかなかマジマジで揃わないから、今日会えてうれしいよ」
「うっ……。ご、ごめんね」
さらに目をそらす彼。……あ、責めたわけではないのだけれど。
「謝らないで。それぞれ事情があるんだから。今日は来てくれてありがとう」
「ちょうど外に出ていた用事があって。時間もあったから」
明杖さんは持っていたトートバッグを揺らします。用事とは?
「切り絵に使っていた材料を切らしちゃって」
久しぶりに聞いた単語に、思わず目を輝かせました。
切り絵! 文化祭以来です。
「どんな材料を使うの?」
「珍しいものじゃないよ。画用紙とか和紙とか。切る道具もカッターでやる人もいるみたい」
「明杖さんは何を使っているの?」
「デザインナイフっていう、ペンのような形をしたカッターだよ」
「デザインナイフ……。そんなのあるんだねぇ」
「……えっと、見てみる?」
あまりに私が好奇心でいっぱいになっていたからでしょうか。彼はそれとなくトートバッグを傾けました。
「いいの?」
「ナイフは危ないから触らないでね」
「わかった」
道具を広げる場所を探す彼に、私はとあるスペースを示しました。六等星の夜の奥、広いエリアから遮られるように設置された畳。机も置いてあるので、静かな作業にはうってつけではないでしょうか。
「ここはどう?」
「いいね。本を読むにもよさそう」
ひとり用の机にバッグの中身をひとつずつ並べていく明杖さん。見慣れた画用紙もあれば、図画工作の授業以来のカッターマットもありました。布に巻かれているのがデザインナイフでしょう。どうやら、切り絵道具の一式が揃っているようです。
「違う場所で作業することもあるから、こうして大体の道具を入れてあるんだ」
「そうなんだね」
ふと、使いかけの画用紙から何かがはみ出ていることに気がつきます。指でつまむと、切り取られた形が残っているようでした。
「これ、チューリップ?」
「うん。春に咲いていたのを見て切ってみたんだ」
「私も見たよ。三駅先の公園にたくさん咲いていて。他にもいろんな花があったなぁ。そうだ、シロツメクサの花畑もあったよ」
「平良さんの好きな花だよね」
「うん。どこにでも咲いている花だから目に留まらないかもしれないけど、実はすごくかわいいんだから」
うさぎのしっぽのようで、大変キュートなのです。花畑になったら、うさぎ軍団のしっぽパラダイス。想像しただけで頬が緩みます。
「お花の切り絵はよく作るの?」
「うん。無料で使える図案は花が多いし、上達が一目でわかるって言われて」
どことなく遠い目の明杖さん。どうしたんだろう?
「……切り絵、楽しくない?」
「えっ? ううん、そんなことないよ。……でも」
首を横に振りつつも、彼は浮かない顔で画用紙を手に取ります。切り取られた空白に咲くチューリップは少し歪な形をしていました。
「なかなか上手くならないなぁ……って」
「最初はそんなものじゃないかな?」
「だといいけど……。昔よりは自分で机に向かうようにはなったんだけどね」
その言い方から察するに、自分で始めたことではないのでしょうか。以前、手先の訓練の為に切り絵をしていると言っていました。親御さんからそうしろと言われているのでしょうか。……ふうむ。
「ねえ、このスペースを使って切り絵するのはどう?」
唐突な提案に、彼は目を開きました。
「でもここ、マジマジの第二活動場所……」
「明杖さんはマジマジメンバーでしょ」
顔に『そうだった』と書いてあります。忘れないでよ。
「第二活動場所といっても、いつも使っているわけじゃないから。でも、いつも開いているの。星奈さんに言わずに使っていいみたいだけど、気になるなら一声かければ大丈夫だよ」
「そ、そう……」
ぎこちなく頷く明杖さん。
「たまにはいつもと違うところで作業するのもいいんじゃないかな」
「……うん。ありがとう、平良さん」
「みんなに会いにくかったらグループトークを確認してから来るといいかも。集まる時は事前に連絡し合うことがほとんどだから」
すると、彼は不思議そうに首を傾けました。
「会いにく……?」
「えっと、マジマジのメンバーって明杖さん以外みんな女子だから、その中に混じるのは恥ずかしいんじゃないかって言われて……。私、全然そんなこと考えなくて、毎回活動に誘ってたから、次に会った時に謝ろうと思ってて……。マジマジに入る時から、ずっと気を遣ってくれていたんじゃないかって――」
言いかけた私の声は、彼の小さな笑い声を聞いて止まりました。
「ああ、ごめんね。平良さんがおもしろいこと言うからおかしくて」
「私、おもしろいこと言ったかな?」
「言った言った。たしかに、平良さんたちに混じるのはちょっと気恥ずかしい部分もあるけれど、『みんなで楽しく』って考えてもらっていることは知ってる。その中に、僕も含まれていることも」
笑みを湛えながら話す彼は、ほんのわずかに目を伏せます。
「いつも断るのは、本当に全部僕の事情なんだよ。僕の方こそ、いつも誘ってもらっているのに行けなくてごめんね」
「……私が毎回マジマジ活動に誘うのって、その……、迷惑になってない?」
メッセージですら今まで訊けずにいたこと。思い切って尋ねました。
今日のもうひとつの目的。明杖さんに六等星を知ってもらうこと。そして、これまでの私の行動のこと。
何らかの事情で行けないサークル活動の様子を見るたびに、迷惑に思われていないでしょうか。何か活動するたびに誘われて、嫌気がさしていないでしょうか。名前を書いたのだって、本当は入りたくないのに、お願いされて善意で書いただけなんじゃ……。
「なってない」
明杖さんは静かに、そして穏やかに、もう一度「迷惑になんて、なってないよ」と繰り返します。
「みんなが送ってくれる写真とか動画とか、本当に嬉しいんだ。いつも元気をもらっている。平良さんが毎回誘ってくれることも、すごく嬉しいよ。毎回断るから、申し訳ないけれど……」
「謝らないで。ありがとう、それが聞けてよかった。……私も嬉しい」
途端に胸に広がる安堵と諦念の感情。
よかった。たとえ、それが優しい嘘だとしても。私は愚かに騙されたまま、またマジマジ活動に誘うでしょう。
どこかさみしい気持ちを抱きつつ、ほっと息をはいていると。
「平良さん、何か勘違いしてない?」
珍しく怒ったような様子で私の顔を除く明杖さん。
「へっ? か、勘違い?」
「波風立てないように僕が優しい嘘を言ったとでも思ってそうな顔してたから」
「ぎくっ」
超図星、平良志普。
「お、思ってないよ」
顔の前に手を出しながら、ふいっとそらします。
「僕は、嘘は言わない」
これまた珍しく強気な明杖さんは、そらした先に顔を近づけました。
広いスペースから遮られたここには、大きな照明の光はほとんど届きません。月や星のライトが照らす淡い光だけ。だからでしょうか。紫色のはずの彼の瞳が、とても鮮やかな青色に見えました。
ふっと微笑む彼は、「いつか」とつぶやきます。
「いつか、僕がマジマジに行ったら、歓迎してくれると嬉しいな」
「それはもちろん。みんな喜ぶと思うよ。でも、いつかって?」
「僕の個人的な事情が落ち着いたら?」
なぜか、明杖さんも小首を傾げながら言いました。あなたにもわからないんですか?
「わかった。いつでも待ってる。あと、懲りずに何度でも誘うね」
「ぜひ。平良さんが送ってくる招待メッセージのレパートリーが尽きる前には行けるようにがんばるよ」
「ああ、あの……」
いつも、今日はこんな活動をするから来ないかと訊くメッセージとともに、『魔奇さんが空中散歩しているよ』とか『小悪ちゃんが床にココアをこぼして現代アートができたよ』とか、一言付け足していたのです。気を遣って来られないのなら、来る言い訳にできると思ったのです。
「幸い、マジマジメンバーは愉快な人たちばかりだから、当分は大丈夫そう」
「実は、あれも結構楽しみだったりする」
小声で言う彼に、「その為に来ないのはナシだからね」と釘をさします。もう、来てほしいって言ってるのに。
くすくす笑う明杖さんは楽しそうです。笑顔に絆され、まあいいかという気持ちになりました。
穏やかな空気が流れていた時でした。
「こぉぉんにぃぃちはぁぁぁぁ~! お元気かしら、マジマジの少年少女たちぃ!」
六等星の夜に響き渡る元気いっぱいの声と扉が揺れる音。後ろから追い付いてきた天河さんが「ノックもナシに開けるとは。嫌われても知りまセン」と冷たい目をします。
「あらっ、ごめんなさいねぇ。レアキャラ明杖くんが来てるって聞いて居ても立っても居られなくなっちゃってぇ!」
勢いに押された明杖さんは、なぜか私の前に出て手を横に伸ばしていました。私を庇う姿勢です。
「……ごめん、敵襲かと思って」
どんな世界で生きているんですか。
「初めまして、明杖と申します」
深々と頭を下げた彼に、星奈さんと天河さんも倣います。次の瞬間、ばっと上げた星奈さんの顔にはとびきりのスマイルが。
「二人ともぉ、まだ時間はあるかしらぁ?」
私と明杖さんは顔を見合わせ、小さく頷きます。
「大丈夫ですよ」
私が答えると、星奈さんの笑みがさらに深くなっていきました。ちょっと怖いのですが。
彼女はくぐもった笑い声をこぼしつつ、緩慢な動作で手を揉みます。
「そうこなっくちゃぁ~……!」
笑い声はさらに深く大きくなっていきます。いや、怖いって。
お読みいただきありがとうございました。
出番が短くとも爪痕を残すタイプのマスター。




