46話 中間テスト
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はやく帰れるので定期試験期間は割と好きでした。
黒板に書かれた時限と教科名。
時計の針がカチコチと鳴る音がやけに大きく聴こえる教室では、誰もが黙って問題を解いていました。紙がこすれる音とシャープペンシルの芯を出す音が耳に届きます。
ちらりと隣を見ますが、そこに魔奇さんはいません。少しだけ寂しい気持ちになりますが、残る問題へと意識を移します。
今日から三日間、高校生になって初めての定期試験。午前中で終わるので、学校に残って勉強していく生徒も多いです。中学時代、私は家で勉強していましたが、今日はどうしましょう。
考え事をする余裕があるのは、そこそこ得意だと感じている古文のテストだからでしょうか。まだ終わっていませんが、時間はだいぶ猶予があります。難しいと思う問題もなく、スムーズに解けています。いい点が取れそう。
古文の時間が終わり、休み時間になると、生徒たちは思い思いに行動し始めます。次の教科の勉強をする人、お菓子をつまむ人、軽く体操する人、誰かとおしゃべりする人、そして。
「…………ああぁぁあぁ~……」
真っ白な髪のせいで元から白い魔奇さんが、今にも消えていきそうな声を出して棒立ちしています。
「大丈夫?」
思わず近寄って声をかけます。
「だいじょばない……」
「己の不甲斐なさを嘆くのは構わんが、数分後には次のテストだぞ」
やれやれと頭を振りながら、授業内容を書いたノートを見る小悪ちゃん。
「そう言う小悪ちゃんは解けたの?」
魔奇さんの絶望が深くなります。一緒に補習を受けた身としては、自分だけ出来なかったのはショックでしょう。しかし、小悪ちゃんはけろっとした顔でこう言います。
「解けたわけなかろう」
「自信満々に言うことではありませんよ、小悪さん」
「だって、事実なんだから仕方ない。嘆く暇があったら次に備えるべきだ。ショックだろうとテストはやってくるのだからな」
「解けてないくせに、なんかかっこいい……?」
魔奇さんの頭の上にはてなマークが浮かびます。消えてしまいそうな雰囲気がなくなったので、おしゃべりも大事ですね。
「しーほっ」
がんばって背伸びをし、私の肩に顔を乗せるきとん。ノートを持つ手を片手に変え、空いた手で彼女の頭を撫でました。
満足そうに目を細めるきとんですが、勉強しなくていいのかな?
「ノート見る?」
「しほのノート? みる」
「あ、我も見てよいか? 自分のノートより、志普の方が丁寧にまとめられているから見やすいのだ」
「いいよ。魔奇さんもよければ」
「ありがとう救世主平良さん!」
謎の枕詞をつけながら、私たちは塊になってノートを見ます。輪に入らず、様子だけ窺っている勇香ちゃんは、わずかに微笑むと教科書に視線を落としました。
「くせ者たちの真ん中にシホがいる光景って、ちょっと愉快ね」
テスト中は教卓の上でくつろいでいるシロツメちゃんは、今は魔奇さんの頭の上であくびをしています。疲れた時は少しだけ顔を上げるのです。そこにはふわふわでまんまるなシロツメちゃんが――。
ずしっ。肩にかかる重力が急に強くなったような気がしました。
「…………うにゅぅ」
ぷっくりほっぺのきとんが眉をへの字に曲げて私を見ていました。どこか難しいところでもあったかな?
「わからないところあった?」
「ない」
「じゃあ、そろそろ教室に戻ろうか。次のテストもがんばろうね」
「んにゃ……」
ほっぺがぷくぷくのきとん。また魂が抜けている魔奇さん。一周回って胸を張る小悪ちゃん。特段なんの問題もなさそうな勇香ちゃん。一眠りの準備に入るシロツメちゃん。それぞれが席につき、二限が始まります。
それを繰り返し、中間テスト一日目は終わりました。まだ昼食にははやい時間、生徒たちは各々行動していきます。
明日の科目の教科書を広げる人もいれば、お昼ご飯を食べる人もいる教室にて。私はお弁当の用意をしていないので、帰る準備をしていました。
「しほ、かえろ」
きとんの昼食も私の親が用意してくれています。ひとり分もふたり分もそんなに変わらないそうですが、そんなものでしょうか?
「志普ときとんは帰るのか」
チョコレートを頬張る小悪ちゃんは自分の席に座ってくつろいでいます。帰る様子はありません。
「小悪ちゃんは残って勉強していくの?」
「うむ。勇香に教えてもらう……のだ」
なぜか目を逸らしました。
「教えてもらうというか、詰め込まれるというか……。まあ、これから戦なのだ」
「せめて赤点回避を目指しましょうね」
教材を持って来た勇香ちゃんは穏やかに微笑みました。しかし、目が笑っていません。勇者がしていい表情なのでしょうか、これ。
「は、はいっ……」
背もたれに寄りかかっていた小悪ちゃんが一瞬で背筋を伸ばします。
「志普さんときとんさんは帰るのですね。また明日。テストがんばりましょうね」
「んにゃ、またにゃ」
「そういえば、魔奇さんどこに行ったか知ってる? 挨拶しようと思ったんだけど、もう帰っちゃったかな?」
「すぺるさんですか。彼女ならそこにいますよ」
「そこ?」
「はい」
勇香ちゃんは人差し指を立てると、ゆっくりと天井に向けました。指先に注いだ視線がつられていきます。
「……ま、魔奇さん⁉」
天井の隅っこに真っ白な魔奇さんがいるではありませんか。ほうきに掴まり、震えながら身体を小さくしています。
「すぺるさん、勉強しますよ」
「あ、あああぁ……、あああああぁぁああぁ……」
本で読んだ化物の声にそっくりです。じゃなくて、大丈夫でしょうか?
「赤、点、回、避」
勇香ちゃんが言葉を句切るようにゆっくりと言います。魔奇さんの震えが強まったと思うと、枯れ葉のように下に落ちて――否、降りてきました。
「よろしい。では、始めましょう」
「私、何か手伝おうか?」
「お昼の準備をしていないでしょうから、大丈夫ですよ。お気持ちだけ受け取ります」
「わかった。助けが必要だったらいつでも言ってね」
勇香ちゃんは目をぱちくりと開くと、嬉しそうに笑顔を浮かべました。
「はいっ」
「じゃあ、みんな。私たちは帰るね。また明日」
これ以上は勉強の妨げになります。私も明日に備えないといけません。軽く手を振って帰ろうとした時、地の底から響くような恐ろしい音が聞こえました。
「ケテ……タスケテ……」
魔奇さんでした。本で読んだ化物に襲われた人の声にそっくりです。
「タイラサン……タスケテ……」
悪夢に出てきそうです。やっぱり残ろうとかと足を止めた時、勇香ちゃんの素敵な笑顔が教室で光を放ちます。
「助けましょう。あなたのテストを」
まるで聖女のようでした。本物は見たことがないので、これも小説の知識ですが。
「救いの為に勉強がんばりましょうね、すぺるさん」
「ヴッ……、ハ、ハイ……」
苦虫を嚙み潰したような歪んだ顔でかすかに頷きます。私と視線が合い、必死に綻ばせた顔には『助けて!』と書かれていたような……。
「また明日、平良さん」
震える声。その隣には、放心状態の小悪ちゃん。すでに挨拶できる余裕はないようです。非常に不安ですが、私は教室をあとにしました。
浮かない顔のまま帰宅すると、簡単に昼食を済ませて教科書とノートを広げます。文章を読んでいても、二人が気になって頭に入りません。自分に鞭を入れてしばらく勉強しましたが、いつもよりはやい時間に休憩することにしました。
一階に下り、リビングに入るとソファーにきとんがちょこんと座っています。私を見るとパッと笑顔を浮かべます。
「しほ、べんきょーおわった?」
「ううん、まだだよ。ちょっと休憩しようと思って」
飲み物を入れたコップを二つ。きとんに渡し、隣に座ります。小さめの音量でテレビを観ていたらしいきとんですが、勉強は大丈夫なのでしょうか。見る限り、教科書やノートが置いてあるわけではないようですが……。
「きとん、明日のテストは大丈夫?」
「んにゃ。へいき」
「テスト範囲のノート貸そうか?」
かなり遅れて加わった彼女はほとんど授業を受けていません。私のノートを貸して内容を説明しましたが、それだけでは不十分なはず。今日もじっとノートを見ていたし、わからないところがあるのだと思いましたが、きとんは首を左右に振ります。
「へいき。テストはんい、はっさいにはおわってる」
「……んん?」
「こうこーのはんい、じゅっさいまでにおえる。だいたいそう」
一体どういうことでしょう。十歳までに高校で習う授業を終えている? そんなことできるのですか? では、きとんに勉強の必要って……。
「でも、休み時間に私のノート見てた……」
「みてた。しほのノート」
「そうだよね。確認したいところがあったからじゃないの?」
「きとんがみてたの、しほのノート。ないようとちがう」
ノートの内容じゃなくて、ノート自体を見ていたのですか? い、意味ある?
「しほ、べんきょーおわったらあそぼ」
「遊ぶ……。うん、いいよ。もう少し待っててね」
息抜きは大事です。勉強はメリハリです。たぶん、きっと、おそらく。
「何で遊ぶの?」
「これ」
どこから出したのか、てのひらサイズの箱を掲げます。
「カードゲーム?」
「そう。さかなのゲーム」
箱を開け、数枚のカードを見せてくれました。半分には魚偏、もう半分には組み合わせる漢字が書かれています。イラスト付きです。
スーパーで見かける簡単なものから、見たこともない漢字まで様々。ゲームといっても、かなり頭を使いそうです。もはや漢字の勉強ですね。
「きとん、これとくい」
「昔からやってるの?」
「んにゃ。さんさいくらいから」
聞き間違いかな? そうだといいな。
「しほ、これよめる?」
提示された二枚のカード。イラストと漢字をじっくり眺め、私はにっこり笑って言いました。
「全然読めない」
お読みいただきありがとうございました。
謎の多い化け猫。




