33話 動植物公園の動物園
閲覧ありがとうございます。
動物園行きたいです。
不津乃動植物公園に到着すると、浮足立った生徒たちがパラパラと広場に散らばりました。引率の教師が遠足の注意点を説明し、いよいよ解き放たれた生徒たち。放牧で見たことがあるな、と思っていると、ふいに肩を叩かれました。
「平良さん、一緒に行動しない?」
基本的に、遠足は自由行動なのだそうです。その為、各々グループを作って園内に向かって行く生徒がほとんど。
ひとりで回るのは寂しいので、すぐに首肯しました。
「うん。ぜひ」
「小悪ちゃんも行こ」
ぽつんと立ち止まっていた小柄な少女がびくりと身体を震わせました。小走りで近寄って来ると、「よいのか⁉」と上目遣いで訊きます。
「わたし、勝手に三人で回ると思ってた」
「そ、そこまで言うなら断るわけにはいかぬな。危険な動物も多かろう。我に任せれば安心だぞ」
「柵があるから大丈夫だと思うよ? わたし、魔法使えるし」
「わ、我だって強いぞっ。ほら、時間は有限だ。はやく行こうではないか」
がんばって大股で歩く小悪ちゃんに続き、私たちも園内の奥へと歩いて行きます。
「まず、どっちから行く?」
魔奇さんが動物園と植物園のゲートを指さします。
「小悪ちゃんがライオン見たそうだったよ」
「そうなんだ。じゃあ、動物園から回ろうか」
「よいのか?」
「そんなに確認しなくてもいいのに」
魔奇さんはおかしそうに笑いました。
「だめなんて言わないよね」
「うん。時間的に無理そうならそう言うから、気にしないで見たいもの教えてね」
「すぺる……。志普……」
目を潤ませた小悪ちゃんは、カーディガンの袖でごしごし拭くと、こぶしを突き上げて「では、ゆくぞ!」と先陣を切りました。その様子を見た魔奇さんは、ふと小声で話しかけます。
「なんかさ、高校一年生にしてはこどもっぽいよね。あ、変な意味じゃなくて……」
「言いたいことはわかるよ。目を離せない感じ」
「そうそう。庇護欲っていうのかな。……って、言ったそばからもういない!」
慌てて駆けだした彼女の後を追います。魔奇さんが言ったことはよく理解できますが、私としては……。
「すぺる、めちゃくちゃかわいいのがいるぞ!」
「ちょっと、乗り出したら危ないよ。落ちたらどうするの」
「でも、めちゃくちゃかわいいのだ。見てみよ」
「もー……。うわっ、めちゃくちゃかわいい! なにあれ!」
「めーあきゃっぷだ、という動物らしい」
「聞いたことない。さすが動物園……!」
懸命に背伸びをし、動物に歓声を送る二人。私の目には幼子が二人はしゃいでいるように見えて仕方がありません。
首を振りながら幻覚を払い、私は「ミーアキャットだよ」と説明しながら隣に立ちます。小さな生き物が二本足で立ちながら首をきょろきょろと動かしています。つぶらな瞳がかわいらしい。
「あっ、向こうには超でかいやつがいるぞ、すぺる!」
「こら、急に走り出さない。ぶつかったらケガするでしょ」
「でも、超でかいやつがいるのだ。見てみよ」
「もー……。うわぁ、超でかい! さすがに知ってる、ゾウだ」
「ナウマンゾウか?」
「違うと思うけど……」
今度はゾウの前であれこれ言う二人。私はまた、その様子を目で追いながら歩いて近づきます。
まず小悪ちゃんが駆け出し、それを咎めつつも好奇心が勝る魔奇さんが続き、最後に私が後を追う。それを繰り返すこと十数回、私たちは遂にあの場所にやってきました。
「すぺる! 志普! あれを見よ!」
「あれって……、わあっ! わたし、本物初めて見る!」
「ようやく出会ったのだ、百獣の王に。我は嬉しいぞ!」
「見たいって言ってたもんね」
「できれば配下にしたいのだが」
「動物を従わせる魔法があるけど……」
「そんな魔法があるのか?」
「昔、失敗した魔法使いが食い殺された話を聞いてからは絶対に使わないって決めた」
「ライオンの前でする話ではないぞ?」
青い顔の小悪ちゃんは、「恐ろしや……」と柵を握りながら縮こまります。元から小柄なので、さらに小さく見えました。二人の会話を聞いていた私は、これなら丸呑みされちゃうな、などと思いましたが、もちろん口には出しません。
「かっこいいねぇ」
「実在するってわかっているのに、実際に見るとびっくりしちゃうよ」
「その気持ちわかるよ。わたしも入学式の時、大勢の生徒を見て『ほんとにいる!』って思ったから」
悲しきかな、全校生生徒魔奇さんオンリー時代。
「ライオンを配下にできれば、我はもっと強くなれるのだが……」
ぼそりとつぶやいた小悪ちゃんは、どこか寂しげでした。
「強くなりたいの?」
柵に手をかけたまま、魔奇さんが訊きます。
「うむ。そうすれば、我のやりたいことも守りたいものもすべて叶う」
「やりたいことって?」
「我が我らしく生きることだ」
「守りたいものは?」
「我を慕う配下たちだ」
「今のままじゃだめなの?」
「だめだ。もっと強くならねばならん。我は魔王だから、強くなければならんのだ」
魔奇さんは質問をやめ、何か考えているようでした。しばらくして、「詳しい事情はわからないけれど」と沈黙を破りました。
「小悪ちゃんと出会って、わたしは楽しい日々を送ってるよ。今日もそう。わたしと平良さんと小悪ちゃんの三人で、動物園に来れてうれしい」
「我と一緒にいて楽しいか?」
「うん。黒主語録にも慣れてきた」
「なんだそれは」
「きみの独特な言葉遣いのこと」
「変な名前をつけるでないぞ」
「最初に言い始めたのは平良さんだよ?」
「志普、おぬし!」
顔を真っ赤にする彼女は、まったく痛くない力加減で私をぽこぽこと叩きました。くすぐったくて身をよじりつつ、「私も楽しいよ」と彼女を止めます。
「ほあ?」
「高校生活が始まる前は、楽しみだったけど不安もたくさんあった。でも今は、毎日学校に来るのが楽しみで仕方ないよ。だって、クラスメイトたちがいて、魔奇さんがいて、小悪ちゃんがいるから」
先ほど、寂しそうにつぶやいた彼女に適した返答かどうかはわかりません。けれど、伝えるべきだと思いました。
「そ、そうか……。すぺるも志普も楽しいのか……」
「きみはどう?」
ライオンから視線を外し、魔奇さんは彼女を柔らかい眼差しで見ていました。
「きみは楽しい?」
「我は……」
柵の前にしゃがみこんでいた小さな魔王さんは、すっくと立ち上がって目線を合わせます。
「めっちゃ楽しいのだ!」
とびきりの笑顔が咲いていました。
「じゃあ、よし!」
魔奇さんにも笑顔が浮かびます。
「とりあえず楽しもう。せっかく来たんだからね。次はペンギンを見に行こ」
「うむ。あ、その前にライオンを手懐けたいのだが」
「まだ配下にするつもりだったのね。まあまあ、あとで売店に寄ってあげるから」
「売店に何があるのだ?」
「ライオンのぬいぐるみ」
「ぬいぐるみで誤魔化そうということか! まったく、すぺるのやつめ……。まあ、ぬいぐるみは買うが」
買うんだ。
「平良さんも行こう」
「あ、うん。……ごめん、やっぱりちょっと待って」
「どうかした?」
私は視線を腕の中に落とします。そこには、私があげたカーディガンにくるまったシロツメちゃんの姿がある……のですが、完全に潜り込んでいるので見えません。ただ、丸まったカーディガンがぷるぷると震えていました。
「シロツメ、どうしたの?」
魔奇さんがそっとカーディガンをめくります。その瞬間、
「ひゃあああぁぁぁぁぁ!」
「きゃあああぁぁぁぁあ!」
「うぴゃああぁぁぁぁぁ⁉」
使い魔、魔女、魔王の悲鳴が綺麗に揃いました。私は耳を押さえることもできずにすべてを受け、一瞬視界が白くなりました。
「な、なになになになに⁉ 大丈夫、シロツメ?」
「べ、べべべべべ別に平気よ。あああああたしを誰だと思っているのかしら」
「シロツメだと思っているけれど……。顔色悪いよ?」
「いいいいいいつもこんな感じよ」
「そんなわけないじゃん……。平良さん、何があったの?」
「えっとね……」
私は動物園のゲートを潜った時を思い返します。バスからずっと私とともにいたシロツメちゃんは、柵に近づくたびに小刻みに震えていました。最初は寒いのかと思いましたが、次第に違うとわかりました。彼女は……。
「は、はやく別の場所に行ったらどうかしら。別に、怖いから言っているんじゃないのよ。そ、そうね。あたしの使い魔パワーでライオンが気絶したら困るから言っているの」
目をぐるぐるさせながら、誇り高き使い魔はまくしたてます。
「…………ほお」
合点がいった魔奇さんは、私、シロツメちゃん、小悪ちゃん、ライオンを順番に見ると、「あ、あー、ペンギンは寒そうだから、温かそうな植物園に行きたいかもー」と素晴らしき棒読みで言いました。目線が明後日の方向に飛んでいます。
怪訝そうな顔で黙っていた小悪ちゃんに鋭い光が貫きます。名探偵もびっくりの察知能力を発揮したのでしょう。
「そ、ソウダナー。我もあれだ、植物園にイキタイナー」
魔奇さん以上の棒読みでした。
「じゃあ、移動しようか」
ガクブルのシロツメちゃんを優しく撫でながら、私は植物園ゲートの方へと向かいます。ふと、袖を引っ張る力を感じました。
「……なあ志普」
「なに?」
「すぺるの使い魔は動物が苦手ということで間違いないか?」
小声で問いかけてきたので、私も声を潜めて「たぶんね」と答えます。動物といっても、肉食動物に対して震えていました。本能でしょうか?
「では、売店は寄らない方がよいか?」
質問の意図がわからず、小首を傾げます。小悪ちゃんは真剣な表情でこう言いました。
「我、ライオンのぬいぐるみを買うつもりなのだ。やめた方がいいだろうか?」
私は、自分の中に湧き出るあたたかなものに気づきます。それは、全身を巡り、顔までやってくると微笑みとなって表に現れました。
「大丈夫だよ。ライオンのぬいぐるみ、買ったら見せてね」
彼女は不安そうな色をみるみるうちに変化させ、満面の笑みで頷きました。
「もちろんなのだ!」
守りたい、この笑顔。
お読みいただきありがとうございました。
動物園の売店のなんともいえない古さは一体。




