23話 あと二分
閲覧ありがとうございます。
まだコラボカフェに着きません。
ゆっくりと深呼吸を繰り返し、私は改めて口を開きます。
「摩訶不思議な生き物がしゃべってる!」
隣で魔奇さんが「その反応待ってた」と深く頷きます。
「なんで……? どういうこと?」
「この生き物は魔法生――」
「あなたが知る必要はないわ」
魔奇さんの言葉を遮り、わずかに刺を感じる声が耳に届きました。
「あなたは人の子。あたしたちが見えるというだけの、ただの人間。こちらの世界に入ってこないでちょうだい」
「ちょっと、助けてくれた人に対してその態度はどうなの」
不満そうに生き物を見る魔奇さん。
「お礼は言ったわ」
「そうだけど」
「あたし、人間は嫌いなの」
「わたしも人間だよ」
「魔女は別よ。こちらの世界により近い存在だもの」
「人間が嫌いなくせに、なんで人間がたくさんいる場所にいたの?」
その質問に、生き物は目を伏せました。
「……色々あるのよ。治療してくれてありがとう。それじゃ」
去ろうとした生き物は、魔奇さんの膝の上から地面に足をついた時に小さく呻きました。考える前に手が出ていました。
「ちょっと、あなた……」
咄嗟に支えた私に、生き物は眉をひそめ……眉がどこかわかりませんが、おそらくそういった感情を抱いたようでした。
「勝手に触ってごめんね。でも、まだケガが少し痛むんじゃない?」
「あ、治癒の魔法しか使ってなかった。痛み止めの魔法もかけるね」
「い、いいわ。もう平気よ。ほら」
ふわふわの手を振る生き物ですが、途中で「うっ」と顔をしかめ……、たぶんしかめました。
誰だって痛いのは嫌です。自分も、相手も。人間が嫌いだと言った彼女――おそらく女性だと思います――だとしても、放っておけません。
「これ使って」
私は放り出していた鞄の中から絆創膏を取り出しました。
高校に上がる前の春休みに買った星屑模様の絆創膏です。無地のものより値段はしますが、ケガをした時の気持ちが少しでも明るくなればと思って買ったのでした。まだ出番はなかったのですが、今こそ使う時でしょう。
「傷が目立たなくても、意外としみたりするから」
絆創膏を差し出しますが、謎の生き物は小さな口を開けたまま何も言いません。おや、と思って魔奇さんを見ると、彼女も首を傾げて不思議そうな顔をしています。
「平良さん、この子は魔法動物だから、それはたぶん使わなくても大丈夫……かな」
「あたし、普通の生物じゃないからケガはすぐ治るわよ」
ほとんど同時に言われ、私は己の行動の愚かさに気づきました。
いや絆創膏って! 絆創膏ってなに! 魔法が使える魔奇さんがいるのに絆創膏って!
しかも、身体がもふもふだから絆創膏の意味たぶんない! そもそも、人間以外に絆創膏って効果あるのかどうか、というか使っていいのかどうか。少し考えれば、おかしな行動だとわかるのに、私は、私は……。
「…………すみません、何も聞かなかったことにしてください……」
顔を両手で隠し、ダンゴムシのように身体を丸めてうなだれました。額に地面が触れます。自分で穴を掘って埋まろうかな……。
ふと、つむじに柔らかいものが当たるのを感じました。
「なんて格好をしているのかしら。服が汚れるわよ」
顔を上げると、すぐそばに生き物の顔がありました。どうやら、鼻先で私をつついたようです。Y字型の鼻がひくひくと動いていました。うさぎみたい。
「……あたし、いらないとは言ってないわ」
「えっ?」
「だから、ケガはすぐ治るけど、ちょっと痛いのは事実よ。……さっきはちょっと強がっちゃったけど」
拗ねたように顔を背ける生き物。彼女の言葉の意味を察し、私は思わず正座しました。
「じゃあ、えっと、絆創膏つけておくね」
「そうしてくれるかしら」
そっぽを向いたまま、ケガをした手だけを差し出す生き物。隣で魔奇さんが「お願いする態度じゃない」と頬を膨らませていました。
私は小さなもふもふの手に星屑柄の絆創膏を丁寧に巻きました。おそらく、治癒の促進などの医療的な意味はまったくないでしょう。でも、他の意味ならある。その確信を持つことができました。なぜなら、絆創膏が巻かれた腕を見て、生き物の顔が綻んだように見え……はい、見えたような気がしました。幻覚ではないです。見えました。
「悪くないわ」
少々上からのセリフですが、わずかに弾んでいます。気持ちが少しでも明るくなれば……。どうやら、その役目は果たされたようです。
「はい、こっち向いて」
若干雑な声色で杖を持った魔奇さんは、「痛み止めの魔法かけるね」と魔法を発動しました。
「はい、おっけー」
息をはいた彼女は、なんだかむすっとしているようです。気になってつい見ていると、バツの悪そうに視線を揺らした彼女が「魔法はしっかりかけたよ」と、よくわからない発言をします。しかし、小首を傾げる私に、次第に顔が俯いていきました。
「……ごめん」
「なんで謝るの?」
「えっと……、その子が平良さんによくない態度を取っているから……、むっとしちゃってわたしまで雑な態度になっちゃったから」
「大丈夫だよ。人間が嫌いって言うわりには、ちゃんとお礼も言ってくれたし、私は気にしていないから。魔奇さんだって魔法をかけてくれた。これで一件落着だね」
私が言うと、魔奇さんは安心したように微笑みました。謎の生き物も落ち着いたようで、辺りに穏やかな空気が流れました。
なんだか、一仕事終えた気分です。さて、帰ろう。あれ? そういえば、私たちはなんでここに……。思考が遡っていき、大切なことを思い出します。
「コラボカフェ!」
叫んで携帯を見ると、予約時刻までもう二分もありません。ま、まずい。ここからどんなに急いでも十分はかかります。うさ之助のコラボカフェは大人気ゆえ、当日席はありません。トラブル防止の為、予約時刻を過ぎたら入れないルールになっています。
それに、予約後に確認したところ、すでに日程がすべて埋まっていました。別日に予約し直すということもできません。
「どうしよう、間に合わない……」
今からでも間に合う方法を考えます。
全速力で走る? いえ、それでも二分では着きません。
タクシーを捕まえる? 公園から出てすぐに見つかるとは思えませんし、やはり二分では到着しないでしょう。
こうして考えている間にも、時間は刻一刻と過ぎていきます。ふと、状況を理解できていない魔奇さんが目に入ります。コラボカフェに行けないかもという絶望に、口から不透明な何かが飛び出していました。
「魔奇さん!」
「は、はいっ!」
飛び出していた何かを吸い込み、びくりと震える彼女に最後の手段を提示します。
「転移魔法だよ!」
「えっ、えっ、でもわたし、それ苦手で……」
「それ以外に方法がないよ。お願い、魔奇さん!」
「で、でも、わたしひとりでも成功するかわからないのに、平良さんも一緒なんて……」
首を左右に振る彼女。魔奇さんがそう言うのなら、私はもう何も言えません。魔法のことを詳しく知らない以上、口出しできないのですから。
穏やかだった空気は消え、辺りに重いものが満ちました。じんわりと広がる悲しい気持ちに気づき、私はゆっくり息を吐きました。
せっかく、初めて二人で休日に出かけてきたのです。コラボカフェには行けなくても、ショッピングを楽しむことはできます。楽しい思い出を作って帰ろうと言おうとした時、「つまり」と地面の方から沈黙を破る高い声がしました。
「転移魔法を使ってコラボカフェとやらに間に合えばいいわけね?」
「そうだけど……」
訝しげに頷く魔奇さんの肩に飛び乗った謎の生き物は、「手伝ってあげる」と青い目を見開きました。
「手伝うって、きみ……」
「助けてくれたお礼よ。ほら、時間がないんでしょ。はやくしないさい」
「あ、うん。平良さん、手を」
差し出された手を取り、ぎゅっと握ります。
「よし……行くよ!」
「頑張って、魔奇さん」
片手に私の手を、もう片手に杖を握り、魔奇さんは叫びます。
「飛べーーーーっ!」
まばゆい光が私たちを包み込み、思わず目を閉じます。耳鳴りが遠くで響くような感覚に襲われ、彼女の手をさらに強く握りました。
「平良さん……」
魔奇さんの声が膜を破り、知らずのうちに止めていた息とともに目を開きました。
そこは、迷わないようにと事前に確かめておいたカフェの近くでした。角を曲がればカフェがあります。
「で、できた……。わたし、転移魔法できちゃった……」
ぼんやりとつぶやいた魔奇さんは、「時間!」と叫ぶと、私と手を繋いだまま走り出します。
外観のうさ之助に目もくれず、彼女はカフェのドアを勢いよく開けました。短い距離を走ったことではない理由で息が絶え絶えです。
店員が近づいてきて「ご予約のお客様ですか?」と訊きます。ぶんぶん頷く魔奇さんの隣で、私が「はい。平良です」と予約時の名前を伝えました。もう携帯の時刻を見る余裕はありません。過ぎていないことを祈り、店員の言葉を待ちました。
「二名様でご予約の平良様ですね。お待ちしておりました。こちらのお席へどうぞ」
にこやかに言う店員に、私たちは二人とも大きな息をはきました。ま、間に合った……。
なんだかどっと疲れましたが、メインイベントはこれからです。思う存分、楽しみましょう。
そう意気込んだ時、店員が魔奇さんを見て「お客様」と声をかけます。
「もしかして、わたしだけタイムオーバー⁉」
小声でショックを受ける魔奇さん。私より先に入店しているので、それはないと思いますが……。
「当店はペット同伴不可でございまして……」
申し訳なさそうに肩に目をやる店員。
「ペット?」
不思議そうに横を見た魔奇さんは、次の瞬間文字通り飛び上がりました。時間に気を取られて見えていませんでしたが、彼女の肩には満足そうにくつろぐ謎の生き物がいました。
「うわー!」
他のお客さんの迷惑にならない程度に叫んだ魔奇さんは、目をぐるぐるさせながら「ち、違います!」と弁明します。
「ぬ、ぬいぐるみです!」
「ぬいぐるみ……ですか?」
「はい。うさ之助と一緒に写真を撮ろうと思って持って来たんです」
必死の言い訳に、店員はあっさりと頷きました。その時、どこかでシャッター音が聞こえました。見ると、お客さんがコラボメニューとうさ之助ぬいぐるみを近くに置き、写真を撮っているようです。ぬい活ですね。
「大変失礼いたしました。あ、こちらのお席でございます。それでは、うさ之助コラボカフェをお楽しみくださいませ」
店員が去り、席についた私たち。
「…………」
「…………」
顔を見合わせると、
「やったー!」
二人でハイタッチをしたのでした。
お読みいただきありがとうございました。
やっとコラボカフェに着きましたね。




