19話 マスコット
閲覧ありがとうございます。
二人の好きなものが満を持して登場します。拍手でお迎えください。
四月も中旬に入り、少しずつ新しい生活に慣れてきた頃。
隣の席に彼女がいることが私の普通。隣から声が聞こえることも普通。隣を見れば赤みがかった黒い瞳と視線が交わることも普通。
特別だったものが普通になっていく日々。今日もそんな一日になる……はずでした。
「…………」
朝から魔奇さんの視線が私に注がれているのを感じていました。私だけではありません。机や通学鞄までじっと見つめているようです。
何か気になることでもあるのかと思い、「どうかした?」と訊きましたが、彼女は「……なんでもない」となんでもなくなさそうな顔で言いました。
言いにくいことでもあるのでしょうか。もしかして、靴下が左右で違うとか、制服のスカートがめくれているとか、お弁当を忘れているとか……。
「……いや、靴下は一緒だなぁ」
「靴下がどうかした?」
「ううん、なんでもない」
休み時間に鏡で確認しましたが、顔も身なりもいつもと変わったところはありません。ハッ、もしかして、見た目ではない場所におかしな点があるのでしょうか。身なり以外で自分では気づかない……、匂い?
昨日の夕飯が匂いの強いものだったかと訊かれると、そうでもないような。ご飯とみそ汁、焼き魚と卵焼き。あと漬物もありましたね。魚の匂いがするのかなぁ。
まだ四月なので、制汗剤は鞄に入れていません。常備しておけばよかった。
他に可能性があるとすれば……。私は通学鞄を机の上に置きました。お菓子が特売だったということで、お母さんが大量に買ってきたものを持って来たことくらいです。
お昼ご飯の時に魔奇さんにも渡そうと思い、かなり多めのお菓子を鞄に詰め込んできました。一番多いのはチョコレート菓子です。甘い匂いが漂っているのかもしれません。
鞄に顔を近づけ、犬になったつもりで鼻を動かしました。しかし。
「なんにもしないなぁ……」
私の嗅覚では嗅ぎ取れないようでした。もうお手上げです。さっぱりわかりません。やはり、もう一度魔奇さんに訊いてみましょう。
そう決めた私は、昼休みにお弁当を広げながら切り出すタイミングを見計らっていました。
購買で買ってきたであろうパンを食べる彼女は、この時も鋭い目をして何かを見ていました。
それとなく視線の先に目をやると、あったのは私の通学鞄。機械的に咀嚼する魔奇さんは鞄を凝視して動きません。謎の不安感が私を襲いました。
体調が悪い……ような気はしませんが、何かおかしいことは確かです。箸を止めて声をかけようとした時、鞄にくぎ付けになっていた視線がゆっくりと私を捉えます。
「ひゃいらはん…………」
「な、なに?」
獲物を仕留めようとする獣の如き緩慢な動きに、私の声は若干上ずります。
「…………」無言で咀嚼する魔奇さん。
「…………」無言で彼女を見つめる私。
しばらくして、口の中のものを飲み込んだ彼女が「ずっと訊きたかったことがあるんだ」とまっすぐに目を見ました。あまりに真剣な表情に、思わず持っていたお弁当箱を机の上に置きました。魔奇さんもパンをランチョンマットの上に置くと、両手を太ももに添えます。つい、私も同じ姿勢を取りました。
賑やかなお昼休みだというのに、どこか張り詰めた空気が両者の間に漂っています。
「平良さんって…………」
これまでになく強い光のこもった目。吸い込まれるような漆黒に、ごくりと息を呑みます。次に出てくる言葉がどんなものでも受け止めようと心に誓い、その時を待ちました。
魔奇さんの唇が開きます。
「…………うさ之助、好き?」
「……………………はい?」
予想外の質問に、私の口から呆けた声が出ました。
「う、うさ之助?」
「そう。知ってるよね」
妙に強い圧を感じます。知らないとは言えない圧。というか、知っているので否定する意味がないのですが、端整な顔立ちの魔奇さんに射抜かれるように見られているので、咄嗟に言葉が詰まりました。
「知……ってるよ、うん」
「好きなんでしょ?」
なんだか、やけに押してきますね。
「どうなの、平良さん」
前のめりになって訊く彼女。私は身体の前に両手を出しながら「知ってる知ってる。好きだよ」と答えます。このままでは、押されて後ろに倒れかねません。
「…………」
私の返答を聞いた魔奇さんは、ゆっくりと表情を緩めていきます。やがて、謎を解き明かし、犯人を見つけた名探偵のように得意げな笑みを顔いっぱいに広げました。
「やはりね……。謎はすべて解けた」
高校生探偵魔奇すぺる?
「ずっと訊きたかったの。平良さんの連絡先のアイコン。通学鞄につけられたぬいぐるみストラップ。ハンカチもそう。お弁当箱と箸もセット商品だと思われる。ここから導き出される答えは一つ……。平良さん、きみはうさ之助がかなり好きだね⁉」
ミステリー小説のクライマックス。探偵が鮮やかに謎を解き明かす場面の如く、彼女は声高に言いました。
名探偵魔奇すぺるに追い詰められた犯人こと私は、罪を自白することにします。
「はい、私はうさ之助が好きです」
「やっぱり!」
とても嬉しそうな魔奇さんが「アイコンのうさ之助めちゃくちゃかわいい! あ、そのストラップってどこで買ったの? 日用品うさ之助グッズ最高……」と矢継ぎ早に話を続けます。
うさ之助。幅広い年齢に人気のうさぎをモチーフにしたマスコットキャラクター。秘密結社ウサ・ワールド……という名前のクリエイターによる創作キャラ。『世界をうさぎでいっぱいにするぞ』という野望を掲げ、日々活動している。実際に、人気が出たので様々な分野で商品を展開し、世界がうさぎでいっぱいになりつつある。らしい。
「わたしが住んでいたところ、田舎すぎてグッズが買えなかったし、周りにうさ之助を好きな人もいなくて寂しかったんだよ……」
「じゃあ、こっちに来てから驚いたでしょ?」
何に驚くのか。それは。
「もうびっくり! コンビニにはうさ之助のくじ引きが置いてあるし、ゲームセンターののぼりにはうさ之助がおっきく描かれているし、恐竜堂に行ったらうさ之助のコラボパッケージ洗濯用洗剤が売ってたんだよ⁉ なにあれ天国⁉ まだ洗剤残ってたのに買っちゃった!」
そう、うさ之助の商品展開は幅広く、おかげでさらに老若男女問わず知名度を得ることに繋がっているのでした。
「しかもしかもしかもしかも!」
興奮で赤くなった頬も気にせず、ずいっと乗り出しながら彼女は携帯の画面を私に見せます。
「コラボカフェが近い~~~!」
「あ、それってたしか、明後日から開催されるうさ之助のコラボカフェだよね」
「そう! これまでは画面を眺めるだけだったけど、今なら実際に突撃することができるんだよ。なんてことなの……、夢みたい……」
うっとりと携帯を抱きしめる魔奇さん。コラボカフェですか。行ってみたいとは思っていましたが、ひとりで行く勇気が出なくて流してきたのです。ただ、私ももう高校生。いろんなことに挑戦してもいいかもしれません。
というより、魔奇さんもうさ之助が好きならば、一緒に――。
「ねえ、平良さん。一緒にコラボカフェ行かない?」
「へっ?」
「平良さんはうさ之助が好き。わたしもうさ之助が好き。つまり、コラボカフェに行く!」
かなり強引なような気がしますが、言いたいことは伝わりました。今しがた同じことを思っていたと言おうとした時、突然、魔奇さんが頭を下げました。なにごと?
「平良さん、一緒にコラボカフェに行ってください」
「どうしたの、急に」
「いや、その、わたし……、こういうイベントって初めてだし、勝手もわからないし、それに……」
口ごもる魔奇さんは、意を決したように「電車の乗り方もわからなくて!」と叫びました。
そういえば、コラボカフェの開催場所は少し遠く、電車に乗らないと行けません。車でもいいですが、免許はまだ持てませんし、家族の予定が合うかどうかもわかりません。徒歩で行くこともできますが、私が嫌です。何キロあると思ってるんですか。嫌です。
「自転車っていう手もあるけど」
ほど良い移動手段を忘れていました。自転車なら、多少距離があっても問題ありません。しかし、魔奇さんは首を左右に振りました。
「わたし、自転車持ってなくて……」
「そうなんだ。うん、いいよ。電車で行こう」
「ほんと?」
「私もコラボカフェ行ってみたかったから」
「よかった。……えへへ、楽しみにしてる」
「私も」
予約優先の為、その場でうさ之助コラボカフェホームページより希望の日時を選択して席を確保しました。
土曜日。コラボカフェ開催初日。奇跡的に空いていた席を勝ち取り、『ご予約完了しました』の文字を二人で眺めます。
「楽しみだね」
「ね」
こくこくと頷く魔奇さん。
突然舞い込んだ休日の予定に、心臓がやっと高鳴り出します。学校帰りにどこかに寄ることはあっても、休みの日に出かけるのは初めてです。何を着ていこう。何を持って行こう。
途端に騒ぎ出した心を落ち着かせ、「えへへ~」と身体を揺らしている彼女に視線をやりました。そういえば、と話題を変えます。
「そういえば、魔奇さんが今日ずっと私の方を見ていたのって、うさ之助のストラップが気になったから?」
「うん。あまりにかわいくて、つい」
「近くで見る?」
「ぜひっ」
通学鞄を渡すと、彼女は机の上に置いてじっと眺めます。元々大きくてはっきりとした目がさらに大きくなりました。
呼吸すら忘れて見入っていた魔奇さんは、数分後、ぽつりと言葉をこぼしました。
「やはりな……」
名探偵魔奇すぺる再び?
「あまりにかわいすぎる……。むり……。もう意味わかんないくらいかわいい……」
そう言うと、両手で顔を覆って天を仰ぎました。名探偵、撃沈。
お読みいただきありがとうございました。
世界がうさぎでいっぱいになれ。




