106話 続・夏課題をやろう
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宿題を最後まで溜めているタイプの人はそろそろ青くなる頃かと。
冷房の効いた六等星の夜には、何冊もの参考書や教科書、ノートが散乱していました。放り出された文房具を踏まないように足を運び、自分の席へと戻ります。慎重にトレイをテーブルに置くと、カップをみんなに配ります。
「ありがとう、志普ちゃん」
「どういたしまして。進捗はどう?」
「ばっちりだよ」
彼女は輝く笑顔を浮かべたのち、「もう全然だめ!」と爽やかに言いました。
「きらめきながら言うセリフではないぞ、すぺる」
「でも事実だし」
「はあ~……、夜魔から帰ってきて数日、なんで我らは六等星の夜で課題をやっているのだ。もっとこう、余韻とかないのか?」
「かだいおわらないとあそべない」
「そうなんだが! そうなんだがそうじゃなくて!」
「なにもちがわない。あ、こあ、このもんだいちがう」
「がんばって解いたのに!」
問題集を天高く放り投げる小悪ちゃん。落ちてきたそれは私の脳天に突き刺さる前に空中で静止しました。
「こら、危ないでしょ」
杖を持ったすぺるちゃんが頬を膨らませます。
「志普ちゃんにケガさせたいの?」
「すまん、志普……」
「いいよ。すぺるちゃんもありがとう」
浮いたままの問題集を小さくなってしまった魔王さんに返却。頭にのぼった血が落ち着いたのか、大人しく受け取ってくれました。
「せっかく志普ちゃんときとんちゃんが先生役を買って出てくれたんだもの。がんばろ?」
「うむ、がんばるのだ……」
今日は勇香ちゃんはいません。申し訳なさそうに返事がきましたが、マジマジは元より自分のペースで活動するサークルです。謝る必要など欠片もないので、『大丈夫だよ』とうさ之助スタンプを送りました。
私も課題をしつつ、もうずいぶん落ち着く場所になった六等星の夜を見回します。
赤点常習犯の汚名を返上すべく、必死に夏課題に取り組むすぺるちゃんと小悪ちゃん。拙い話し方で的確な指導をするきとん。クッションの上でぷうぷう眠るシロツメちゃん。
いつの間にか、当たり前になっている光景に微笑まずにはいられません。みんなと一緒にやれば、夏課題も楽しいものでした。これなら、あっという間に終わって遊びにいけるかも。そんなことを思っていた時。
「おい、なんだこれは」
訝しげな声に顔を向けると、夏課題の一覧が書かれた用紙を睨みつける小悪ちゃんがいました。
「どしたの?」
すぺるちゃんが首を伸ばします。
「これ見てみろ」
「んー? なになに、『絵日記は忘れず描きましょう』」
「小学生かっ!」
「ていうか、文字ちいさっ。誰も気づかないよ、これ」
私もびっくりしています。絵日記が夏課題なんて、何年ぶりでしょう。
慌てて用紙を凝視すると、他にも何か書いてあることに気がつきます。
「あ、でもよく見て。夏休みの日々をクラスメイトみんなで作るんだって。だから、ひとり一ページってことみたい」
「なにそれ、ちょっとおもしろそう!」
途端に前のめりになるすぺるちゃん。
「おぬしはこういうの好きそうだよな」
「好き! みんなで何かやるのって大好きだよ、わたし」
「うおっ、きらめく笑顔。そんな素敵な顔で我を見るな」
「どうして? マジマジのみんなも大好きだよ?」
「なんかあれだな、浄化されそう。我、魔王だから」
「聖なるパワーなんて持ってないけど」
「それよりも格段に効くんだ。我いま、すごく穏やかな気分」
「大丈夫? 熱中症? 冷たい紅茶あるよ」
「いただきますなのだ」
ぐびぐびと飲み干した彼女は、どこか晴れやかな顔で「絵日記の話題など一つしか思い浮かばんな」とカップを置きます。
「わたしも。今年の夏休みの思い出はあれだよね」
「そうとも。我の海馬に刻み込まれたあれだ」
「あの熱い気持ちの数日間!」
「気合と根性で乗り切った情熱の日々!」
「記憶に残り続ける素敵な出来事!」
「忘れることなどできない深い時間!」
二人は声を揃えて叫びます。
「夜魔での七日間!」
「地獄の夏季補習!」
二人は顔を見合わせます。
「今のは揃うはずじゃん」
「そういう雰囲気だったな」
「どきどきの夜魔じゃないの?」
「どきどきの補習だったようだ」
「うそぉ……」
がっくりと項垂れる彼女に、小さな魔王様は「まあ聞け」とティーポットから二杯目の紅茶を注ぎます。
「夜魔の思い出はたしかに素晴らしいものだが、経験者が数人いるとなると被るおそれがある。我はそれを回避しようとしたのだ」
「でも、七日間あるから日付を変えれば被らないよ」
私の言葉に、「それはそうなのだが」と腕を組みます。
「夜魔での出来事を絵日記にしようとするたびに、夏季補習が顔をチラつかせるのだ。『あんなに刺激的な日々だったのに、あたしのことは描かないの⁉ ひどい、遊びだったのね!』とな……」
「深夜ドラマで聞いたセリフだ」
小さくつぶやくすぺるちゃん。ドラマも観るのですね。
「決して遊びなどではない。我は本気だった。心の底からな……」
静かにカップを傾ける彼女。その顔には強い光がありました。
「少しでも気を抜いたらまた赤点! 追加補習! 消える夏休み! 遊びでできるかあんなもん!」
悲鳴のような叫びが六等星の夜に響き渡りました。驚いたきとんは三角耳がぴょこん。
「言うまでもないが、夜魔での七日間はすごく楽しかった。もはや大前提だ。それを踏まえ、夏季補習の思い出を綴ることでささやかな抵抗をしようと思うのだ」
「抵抗? なにに?」
私の質問に、彼女の瞳がきらりと光ります。
「地獄のスケジュールを組んだ教師陣に」
顔を歪めたのも一瞬、「まあ、時間を割いて補習や再テストをしてくれた彼らには感謝している。それが仕事だとしても、ありがたいことに変わりはない」と表情を戻します。
「学校の先生ってすごいよね。いろーんな仕事があって、めちゃくちゃ大変そう。わたしにはとてもできないな」
「すぺるみたいな問題児を教育せねばならんからな」
「誰が問題児よ」
「解説の理解ができずに口から抜け出た魂みたいな魔力を教室中に放出した時の先生の顔といったら」
「あ、あれは、その……」
「脳が限界に達して窓から飛んでいった時、魔法も使えない先生が必死に連れ戻しに行ったな」
「う、うぐっ……」
「再テスト中に頭がパンクして寿限無を唱え始めた時は優しく頭を撫でてくれた先生もいたな」
「あの時は本当にすみませんでしたぁ‼」
全力で土下座する魔女に、魔王様は愉快そうに肩を揺らします。
「ほらな、夏季補習も思い出がいっぱいだろう」
「ほとんどスペルの黒歴史だけどね」
お昼寝中だった使い魔が呆れた声でとどめを刺します。
「さて、描くとしよう。六割くらい話を盛って」
意気揚々とペンを持つ小悪ちゃん。もうじゅうぶんワンダフルな内容だと思いますが。
「し、志普ちゃんはいつの話を絵日記にする? 被らないようにするから教えてほしいな」
目をぐるぐるさせながら話題を変えたすぺるちゃんは、そそくさと場所を変えて私を見ます。ふと、何枚も広がっている絵日記に首を傾けました。
「あれ? たくさん描いているんだね」
「提出するのは一枚だけど、他にも思い出があるから描くだけ描いておこうと思って」
夏課題だからと嫌々やるより、写真とは違う残し方をするのもよいでしょう。自分で書いた文章と絵から伝わるものもあると思いました。
いつか、絵日記を描く今日も思い出として蘇る日が来るのです。
「これはきとんちゃんだね。おうちで過ごしている何気ない日々かな」
彼女は微笑みを浮かべながら私の絵日記に目線をやります。三人だった風景にきとんが加わった大切な日常を絵にしたものです。
「これは勇香ちゃんだ。あっちこっちに走り回っているみたい」
勇者の日常を垣間見た、とある日。誰かを助ける為に駆けていく彼女の姿はとてもかっこいいものでした。
「文化祭のおばけもいるし、空乃さんのUFOもある。あ、キャンドルナイトの絵も! すごい、マジマジ絵日記だね、志普ちゃん」
とても嬉しそうな彼女は、先ほどの黒歴史大暴露など頭から消え去ったのでしょう。きらきらした顔で「わたしも描こうっと! シロツメもおいで。せっかくだからやろう!」と寝ぼけまなこの使い魔を引っ張ります。
「スペルが未熟だから人に化けるのはまだ無理よ」
「なんとか頑張って描いてみよう」
「はあ、仕方ないわね……」
気怠そうな彼女は、用意してあった水彩絵の具に近寄ります。器用にチューブを押し、青色の絵の具をパレットに出現させると、目線で私に合図を送ってきました。
私は筆洗いのバケツに細い筆を浸し、水を含ませると青色の絵の具を溶かしていきます。満足そうに頷いたシロツメちゃんは、ふわふわの手を大胆にパレットに置きました。
何をするのかと顔を覗かせるマジマジメンバー。全員の視線を浴びながら、彼女は白地の絵日記に青く染まった手を勢いよく叩きつけました。
「こんなものかしら」
鼻を鳴らしながら手を避けると、そこには。
「これが絵日記……?」
訝しげに眉をひそめるすぺるちゃん。
「だいぶ愉快ではないか」
笑いながら使い魔をつつく小悪ちゃん。
「発想力だね」
こういう絵日記もあったのかと思う私。
「ようちえんでやるやつ」
あ、私もやったなぁ、手形アート。
「光栄に思いなさい。ちゃんと飾るのよ、スペル」
「これは提出しないよ?」
「んなっ! じゃあ、やる意味ないじゃない!」
「思い出だってば。ほら、次は文章だよ」
「だから、まだ人型変化できないって言ってるでしょう。はやく一人前になりなさいよ」
「頑張るから、今日はとりあえずシロツメの気合でお願い」
「気合でどうにかなったら苦労しないわ」
元気に言い合う彼女たちの声を聞きながら、私は青色手形を見つめていました。ふわふわのあまり、謎のアートが誕生しています。本来なら、もっとてのひらや指の形が写るのですが、うさぎのような彼女には難しかったようです。
犬や猫みたいに肉球があれば、かわいい手形アートになった……ハッ!
「しほ、どうした?」
きとんが三角耳をしまいながら問いかけます。
「ねえ、きとん。ちょっとお願いがあるんだけど」
「んにゃ? ……にゃっ⁉」
しまったばかりの三角耳が飛び出しました。私の顔を見ながら戸惑いの表情を浮かべます。
「ど、どうしにゃんだ、しほ。なにかあっにゃ……」
困惑でさらに言葉が拙くなっている彼女に、私はにこりと微笑みます。
「きとん、子猫の姿になってほしいな」
「なんにぇ?」
なんでと言われたのなら、私はこう答えましょう。
「私が幸せになるから」
「しほ、しあわせになる? でも、なんでえのぐもってる?」
「いやぁ、えへへ」
笑って誤魔化す私に、きとんは「しほがしあわせになるなら」と頷きます。
一部始終を見ていた小悪ちゃんは、「我が言うのは非常に不本意だが」と持っていたクレヨンを止めました。
「夏課題やらんのか?」
お読みいただきありがとうございました。
夏休み編はこれにて終幕。お付き合いいただきありがとうございました。
次回からは二学期スタートです。
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