105話 夢のあとさき
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夏の終わり。
七日目。それは、夜魔地方を去る日。楽しかった夏休みの終わり。
私たちは朝から帰る支度に追われ、せわしなく過ごしている内にバスの時間が迫ってきていました。
「忘れ物はありませんか~?」
サラちゃんの声がログハウスに響きます。
「忘れると大変ですよ。また数時間かけて来ることになりますからね~」
「そこはほれ、すぺるの転移魔法でひょいっと」
「バラバラになりたいならいいよ」
「冗談だ」
冷房はついたままなのに、やけに涼しくなったログハウスに別れを告げ、魔奇家へ。
「またいつでもおいで、みんな」
「自然しかないけど、待っているよ」
すまさん、すぱさんに挨拶をし、見送り役のサラちゃんと共にヤドリギへと向かいます。
「鳥じい~、わたしたち帰るね」
すぺるちゃんの声に、杖をついた柏木さんが店先に出てきました。奥の方へ一声かけると、仕事中のようだった明杖さんも姿を現します。
「また不津乃で会おうね、明杖さん」
「うん、またね、みんな」
「居心地が良すぎて居着いたりしてな」
からかいモードの小悪ちゃんが悪い笑みを浮かべます。
「それは困るよ。マジマジのメンバーが減っちゃうじゃない」
「きとんが入ったから人数的には問題ないぞ」
「こら、小悪さん。名誉部員に失礼ですよ」
「あはは……」
困ったように笑う彼は、私を見て優しげな笑みを浮かべました。
「じゃあ、また」
「うん。お仕事がんばってね」
手を振り合う私たちに、柏木さんはゆっくりと目礼しました。夏の日差しが厳しい晴れた日、明杖さんは私たちが見えなくなるまで手を振り続けていました。
「バスがきましたね~。ではみなさん、お元気で。また会いましょうね」
「ありがとう、サラちゃん。またね!」
太陽にも負けない赤髪が風に揺れます。彼女も最後まで手を振っていました。二度と会えないわけではないのに、手を振られるとどうにも物悲しい気分になるのです。
今まで誰かと別れる時も手を振ってきたのに、こんな気持ちは初めてでした。バスの車窓から入り込む爽やかな風が心臓を通り抜け、満足感と喪失感を置いていきます。
椅子に座っても落ち着きません。何か大事なものを忘れてしまったような、正体を掴むことができない焦燥が胸にわだかまっているようでした。
「どうしたの? 浮かない顔しているけど」
「すぺるちゃん……」
隣に座った彼女は、心配そうに私の顔を覗きこみました。ひとりで抱えるには心許なく、私は言葉にしがたい感情をぽつりぽつりと話しました。
「なるほど。うん、そっか。わかった。大丈夫だよ」
彼女があっさりと言うので、対処法があるのかと期待を込めて見つめます。
「それはどうしようもないかな」
これまたあっさりと言われ、つい肩を落とします。
「でもね、それはきっと悪いものじゃないよ。どちらかといえば、素敵なものだと思う」
「そうかな……?」
「たとえば、きみにとってすごくいい夢を見たとして。目が覚めたら夢の世界は消えてしまうし、記憶もいつか薄れていく。でも、心に残った何かは消えないんじゃないかな」
彼女は前を見ながら言葉を紡ぎます。風がふわりと白い髪をさらっていきました。
「夢のあともわたしたちの日常は続いていく。ふとした瞬間に忘れてしまうような何かを窓際に置いて、たまにきらきら光るような日常が。きっと、これも同じなんだよ」
ふいに、彼女の黒い瞳が私を見つめました。柔らかく注がれる視線は、私に理由のない安心感を与えます。
「志普ちゃん、夜魔での七日間は楽しかった?」
「うん、すごく楽しかったよ」
「きみは寂しいんだと思う。この七日間を大事にしてくれたからこその気持ちだから、怖がらないであげて」
「……うん、ありがとう」
彼女が言語化してくれたことで、私は自分の気持ちの正体を知ることができました。忘れてきてしまった大事なものは、きっと取りに帰ることのできないもの。夏の終わりに吹く風がさらってしまうもの。ふと思い出した時に、私は微笑みながら泣くのでしょう。
私は胸に生まれた寂寞感を宝箱にしまい、明日も生きていくのです。夢のような日々を終え、夢ではない日常へと戻るのです。これもまた、幸せの形なのだと思いました。
夜魔から離れていく。深い緑が薄れていく。夢の世界が曖昧になっていくように、私は止まることのないバスに揺られていました。
正体がわかったとしても、寂しいことに変わりはありません。こどもから大人に変わりつつある私にはまだ力がなく、不甲斐なさを感じながら口を開こうとした時でした。
肩に感じた重みに、私は咄嗟に唇を結びました。規則正しい寝息が耳元に聴こえてきます。とくん、とくんと響く音はどちらの心臓なのでしょう。
「………………」
先ほどまで私の心を満たしていた忘れ物は、どうやらほんの近くにあったような。見つけたわけではないのに、どうして私はこんなにも安堵しているのでしょう。
疑問に答えてくれる人はみんな、すやすやと眠ってしまっています。大切で、大事で、大好きなみんな。彼女たちの夢を守るように、私は目を閉じました。
とっても元気で私たちに幸せを運んでくれる彼女の方に頭を寄せ、どんな夢を見ているのかなと想像します。
その夢が覚めても、彼女が幸せでありますように。
マジマジのみんながとびきりマジカルな学校生活を送れますように。
この先ずっと、夜魔での七日間が素敵なものであることに変わりはありません。だから、と。
「……ふふっ」
思わずこぼれた笑みは、夏の風がさらって遠くへ運んでいきました。
お読みいただきありがとうございました。
夜魔地方での物語はここまで。次回からもよろしくお願いします。




