104話 結ばれた縁
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ちょっと久しぶりの彼が登場。
すぺるちゃんに連れられてやってきたのは、人気のない高台でした。夏祭りの場所から近いものの、私たちの他に人はいません。
「ここで何があるのだ?」
「まあまあ、見てのお楽しみってことで」
「あ、もしかしてあれですね。花――」
「ストーーップ! 勇香ちゃん、ストップ。それ以上はだめだよ」
「なぜですか?」
「みんなで楽しみたいから」
「なるほど。では、静かにしています」
「あ、でも、きとんちゃんには言っておいた方がいいかも。あのね……」
内緒話をするように手で壁を作り、何やら教えるすぺるちゃん。やがて、きとんが「んにゃ、わかった」と頷きました。
友達と夏祭りに来るのは初めてとはいえ、私も薄々気づいています。けれど、思い浮かべるものを胸に秘めてその時を待ちました。
「そろそろかな。みんな、向こうの空を見ていてね」
彼女の声に従い、私たちは並んで空を見上げました。薄っすらと灰色の雲が見えますが、ゆっくりと風に流されていきました。
天気は晴れ。絶好の日和といえるでしょう。
どこからか、何かが爆ぜる大きな音がしました。山の合間から打ち上がった光は、一筋の線を描きながら空へとのぼっていきます。
そして、遮るものが何もない紺色の空に、まばゆい光の花が咲いたのです。
「おお、花火か!」
「そう。夏祭りのフィナーレだよ」
「見事ですね」
花火は次々打ち上げられ、色とりどりの光が視界の中で輝きます。
「きとん、大丈夫?」
心配になって訊くと、彼女は八重歯を見せて「へいき」とピースサイン。
「すぺるにまほうかけてもらった」
「花火の音が小さくなる魔法だよ。その他の音は通常通りに聞こえるの」
「そんな都合のいい魔法があるのか」
「花火は好きだけど音が苦手だった魔法使いが作ったらしいよ」
「痒い所に手が届くって感じだな」
「ああ、孫の手が届かないところを掻く魔法? もちろんあるよ」
「そういう意味じゃなくてな……。っていうか、便利だな、魔法」
ナチュラルツッコミ役の小悪ちゃんが一周回って羨ましそうな目をしました。
「せっかく花火を見ているというのに、会話の内容に情緒もへったくれもないわね」
「文句言ってるシロツメだけど、ちゃんと花火の音が小さくなる魔法をかけているから安心してね」
「言わなくていいわよ、そんなこと!」
「あれぇ、花火の前に怯えていたのは誰だっけ」
「知らないわね」
「知らないんだ?」
「えぇ。一体どこの誰なのかしら」
「どこの誰なんだろうねぇ。魔奇家の白い使い魔だったような気がするけれど、どこの誰なんだろうねぇ」
「んもう、大人しく花火を楽しんでいなさい、スペル!」
「あはは、はーい」
これ以上は危険と判断したのか、シロツメちゃんはきとんの肩に飛び乗ります。魔法をかけられた者同士、大人しく空を見上げました。
「でもね、さっきの魔法を使えたのはシロツメがいたからなんだよ」
ふいに近くなる肩。花火の音の隙間から聴こえる彼女の声。
「わたしはまだ半人前だから、使い魔の助けが必要。その使い魔は、きみがいたから出会えた。……ねえ、志普ちゃん。これってすごいことだと思わない?」
私たちから少し離れたところ。シロツメちゃんを撫でながら花火を楽しむきとん。はしゃぐ小悪ちゃんをたしなめる勇香ちゃん。そして、彼女たちを穏やかに見守る明杖さん。
「きみがあの日、わたしに声をかけてくれたから、今があるんだよ」
当たり前のようでいて、とてつもない奇跡。非日常が日常になることの幸せは、幼い私には言葉に表すことはできません。
「きみが結んだ縁がこんなにも広がった。シロツメクサの花畑が広がるように」
「私は何もしていないよ?」
「うっそだぁ。わたしに声をかけてくれたでしょ。それだけで、見えない縁は動き出すんだから。そしていつか、きみも気づくはずだよ」
「なにに?」
「結ばれた縁の強さに」
「いつかっていつだろう」
「さあ。それはわたしにもわからないけれど……、大丈夫だよ」
彼女は一歩踏み出しました。暗い世界に落ちる瞬間の輝きが幸運を司る魔女の顔を照らします。
きらめく白い髪が風に揺れています。いつの間にか彼女の頭の上には三角帽子が乗っていました。シロツメクサのチャームがきらりと光ります。
「志普ちゃんにはわたしがいるからね!」
花火の輝きすら霞んでしまうとびきりの笑顔。夜空に咲く花を背に、彼女は私だけに見える花を咲かせてくれました。
浴衣に三角帽子なんて、ちょっとおかしな姿ですが、これがどうにも素敵なのです。絵本の中には絶対出てこない魔女の姿。でも、これが彼女なのです。私にとっての魔女の姿はこれなのだと、強く言えるでしょう。
「なんだおぬし、浴衣に三角帽子など被りおって」
こちらに気づいた小悪ちゃんが声をかけます。
「似合う?」
「いや、全然」
「あはは、だよねぇ」
「全然似合っていないが、すぺるらしい」
「おー? どういうことだ? 褒めてる?」
「さあな」
「こらー、そこは嘘でも褒めてると言うんだぞ」
「あー、そうだな。似合ってないぞ」
「正直者めー!」
突然始まった魔女と魔王の追いかけっこ。勇香ちゃんは止めることをやめ、二人を視界の端に入れつつ花火を観賞します。若干巻き込まれている明杖さんは、小悪ちゃんに盾にされながらも笑っていました。
きとんは「ゆかい」と言いながらその様子をカメラに収めています。夏祭りのあと、マジマジグループに送信するのでしょう。そして、謎の追いかけっこへの感想を言い合うのです。
これが私の結んだ縁の景色だというのなら。
「…………」
ふいに、泣きたくなるくらい強い感情が押し寄せてきました。咄嗟に顔を振ると、草むらの影に銀色が光ったような気がしました。思わず目を凝らし、その場所をじっと見続けていると。
「こんばんは、シホ嬢」
とても渋くて低い素敵な声がしました。
「こ、こんばんは。どうしてここに?」
「いつも山の中にいるわけではないからな。俺も夏祭りを楽しみに来たのさ」
「花火の音は平気?」
「がんばっているとも」
「もしよければ、すぺるちゃんに花火の音が小さくなる魔法をかけてもらう?」
「ふむ、それはいい。ぜひやってもらおう」
「あなたが私を助けてくれた魔法生物だってこと、まだみんなに話してないよ」
「今後も秘密にしておいてくれ」
「じゃあ、言葉を話さないように気をつけて――」
言いかけた時でした。
「あれ、ポチだ! やっほー、元気にしてた?」
すぺるちゃんの元気な声に心臓が飛び上がります。
「え、えっ、知り合いなの?」
小声で問いかけますが、彼はにやりと牙を覗かせるだけ。というか、『ポチ』ってどこかで見たような……。
「君がポチ? 世話を頼まれたんだけど、一度も姿が見えなくて探したんだよ」
駆け寄って来る明杖さん。世話というと、もしかして。
「ヤドリギにあった犬小屋の名前!」
私の声に、彼は小さく頷きました。
「シホ嬢、あの時の貸しをいま返しておくれ」
「どういう意味?」
「俺はな、ポチとしてヤドリギに居候しているんだ。あの駄菓子屋にいる小僧、覚えているか?」
「明杖さんのこと?」
「いや、あんな生まれたてじゃない」
となると、あと一人しか思い浮かびません。
「柏木さん? でもあの人、小僧って年齢じゃないと思うけど……」
獣は低い笑い声を喉の奥で響かせました。
「俺にとっては小僧なのさ。今も昔も」
声は小さくなります。私にしか聴こえない声量です。
「年寄りが一人で暮らすにはいささか不便が多い。俺が番犬をしているというわけだ」
「そうなんだね。あなたが魔法生物だってこと、柏木さんは知っているの?」
獣の赤い目が美しい光を放ちます。
「シホ嬢。これは君が結んだ縁だ。そして俺は、結ばれた縁」
答えになっていないような気がして、私は首を傾げます。
「お嬢さんと秘密を共有するというのも、なかなかいいじゃないか」
「あなたはいつも曖昧な言い方をするんだね」
「ミステリアスだからな」
「自分で言っちゃうと半減するかも」
「おっと、それはいけない」
わざとらしく首を振り、しっぽを上げました。ゆらゆらと動かし、まるで犬のようです。
「さて、ポチになるとしよう」
その言葉を最後に、彼は駆け寄って抱きしめるすぺるちゃんにされるがまま。『ワン』と鳴き声まであげています。
「ポチ、どこに行ってたの? また山の中でお散歩?」
「ワフン」
「柏木さんが自由にさせておけばいいと言っていたけれど、想像以上に自由なんだね」
「ワンッ」
「なんだなんだ、犬か? ずいぶん立派な犬だな。オオカミみたいだ」
「素敵な毛並みですね」
「しろつめ、いぬ」
「あらほんと。でも、あたしのスペシャルボディの前では比べものにならないわね」
彼女たちの言葉を聞き、私は驚きで何も言えませんでした。ふと、脳裏にすまさんの姿が浮かび上がります。魔女の工房で聞いた話が脳裏で再生されます。
――どこにでもいる動物みたいな姿をしていても、人型に化けていても、相手が魔法生物だとわかるのが、魔法生物。
では、ポチは? 魔女のすぺるちゃんも、化け猫のきとんも、魔法生物のシロツメちゃんですら、彼を犬だと思っているようです。
彼は本当に魔法生物なのでしょうか? 私にだけ正体を明かした理由は一体? そもそも、どうしてシロツメちゃんは彼のことに気づかないのでしょうか? ていうか、『ポチ』という名前はなに⁉ 誰がつけたの?
すまさん、聞いた話と違うのですが⁉
混乱している私をよそに、ひとしきりポチを触った彼女たちは花火へと戻っていきます。もうすぐ花火も終わり。最後にとびっきりの玉が打ち上げられ、これでもかと空に光を放ちました。
すぺるちゃんたちの歓声が遠くで聞こえるようです。光が散る音が消える前、そっと近寄ってきたポチは囁きます。
「俺は魔力の扱いがうまいんだ。魔法生物にも気づかれないくらいにな」
「なんで他の人には犬のフリをしているの?」
「そんなの決まっているさ」
彼はふわりとした尾を私の手に添えました。
「犬の方が可愛がってもらえるんだ」
私は力なくしゃがみこみました。花火は終わり、辺りに静寂が落ちてきます。
「……変にどきどきして損した」
「おや、そういう時は俺を撫でるといい」
待ってましたとばかりに差し出される頭。三角耳が私に向いています。
「もう、からかわないでよ」
「とすると、撫でない?」
三角耳が残念そうに垂れました。私は少々怒りをはらみつつ手を伸ばします。
「撫でないとは言ってない」
「そうこなくっちゃ」
お読みいただきありがとうございました。
夏休み編はそろそろ終幕。最後までお付き合いくださいませ。




