08.5歳児の私と大人の私
そりゃあ、私が先輩を苦手だと知っていたのだから言いずらかろう。だから副長はあんなにも申し訳なさそうにしていたのだ。
私は真横の先輩を見る。何故かうんうんと頷いてる先輩。とても嬉しそうな顔をこちらに向けていた。
「先輩の補佐……」
私はぽつりと言葉を反芻する。ジッと先輩を見ながら、先輩のあれこれを思い出していた。
恐らく自分に好意がある先輩、何故か私の予定をきちんと把握しており、廊下ですれ違っても、遠くで私を見つけても話しかけて来る。いや、別に話しかけて来るのは百歩譲っていい。
でも、そう、あからさまな好意が怖いのだ。あの自分を見る熱を孕んだ瞳が怖い。その瞳が元婚約者と重なる。
「いい? ベインズさん」
副長はおずおずと伺うように私の名を呼んだ。
正直、拒否をしたい。心情的には拒否一択である。しかし、これは仕事だ。拒否をする選択肢はあるのだろうか。
「ええと」
はい!喜んで!と即答できない。働き人の私と心の中の5歳児(私)が殴り合っている。嫌だ嫌だと駄々を捏ねる5歳児(私)、そんな私を「仕事だろうが!」と怒鳴りつける働き人の私。
どちらを優先する事も出来ず、私は縋るような気持ちで副長を見た。そんな私に対して副長はゼンマイ仕掛けのおもちゃのようにゆっくりと視線をずらす。気まずげな視線は一点を見るのではなく彷徨っていた。きっと私から逃げているのだろう。
その動きは拒否しないでと言っているようでイラつく。
横からは熱い視線、前の人物は逃げの姿勢。絶対に横を見るものかと逃げる上司の視線を捕まえる。強い眼力で捉えられた副長は観念したのか眉を下げ、視線で「ごめん」と謝ってきた。
そう思うのならば副長権限で却下してほしい。いつの間にやら優勢になった5歳児(私)が働き人の私を踏み潰していた。
私は目に力を入れたまま先輩にバレないよう細かく首を横に振った。
しかし、なんて事。
そんな小さな行為は大きな声には当然負ける。私の些細な動きは弾む声に押し負けた。
「キャロルが良いです」
横を見をなくてもどういう顔をしているのか手に取るように分かる。ニッコリこれでもかと嫌味なくらい口角を上げているのだろう。
横に振っていた首は声によって止められた。ついでに瞬きも止まっている。
「キャロル」
ぎしり、とソファーが鳴った。先輩がこちらに寄ったのだと気付いたのは、視界に金色の髪が見えたから。サラリと肩口で整えられた髪が頭を傾けた反動で揺れていた。
覗き込まれ、細められた桃色の瞳に思考が奪われる。金色の睫毛に彩られた桃色はやはりキラキラと綺麗だ。
まるで蝶の鱗粉が舞っているかのようにキラキラと輝いている。
現実のものとは思えない造形に戸惑いを覚えた。
「キャロル、良いよね?」
有無を言わさぬ声に、消えていた音が流れ出す。副長を見たくても自分以外は見させないとばかりに顔が近い為、自分の顔を動かす事も出来ない。
私は桃色の瞳に映る自分を見た。なんと情けない顔をしているのか。はくりと動いた口も悲しげだ。
そして、5歳児(私)が瞳に涙を溜めているのが見えた気がした。
もう逃げられないと察した。先輩は私が了承するまで此処に私を拘束するだろう。何故か先輩に強く出られない副長も道連れに。
金色の睫毛がパサリと瞬く。「ん?」と笑顔で圧を掛けられ、悪い意味の動悸がした。
もう駄目だ。観念しよう。私も大人だ、素直に長い物には巻かれよう。
「はい……」
空気のような返事をすれば、二人のほっとした声が聞こえてくる。
「良かったよ、君が受けてくれなければ僕一人でやるところだった」
「ベインズさん、ありがとう。大丈夫、この件は手当つくから」
漸く顔は退けたが、苦笑いしか出ない。
何でか少しばかり騙された気持ちになったのは何故だろう。
「よろしく、キャロル」
嬉しいな、と私の気持ちなんて無視して先輩はそれはそれは嬉しそうに笑った。
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