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52.あなたの名は


 会議は予定時間を大幅に過ぎ、終了した。最初こそ先輩の独壇場のようになったが、最終的には他の部署も意見を言えるようになり上手くまとまったと思う。


 作戦開始時間に変更はない。私の役目の変更も無かった為、急ぎ準備をする。支給のもので事足りそうだが、念の為の魔石が欲しいところ。寮の自室にある石を幾つか持って行く事にした。


 寮に帰り、そのまま向かうのが良かろうか。時計を確認し、やはりその方が良いなと段取りを組む。支給物を身に付け「よし!」と部屋を出る直前、先輩が私の名を呼んだ。


「キャロル」


 急いでいた為、一瞬自分が呼ばれた事に気付かなかった。数秒置いた後、自分の事かとやっと気付き、先輩を見る。若干の煩わしさを覚えた。


「何でしょう」


 ムッとしそうな顔を押し込め、幾らか明るい声を出す。案の定先輩が近付いてきた。


「気を付けてね」


 真面目な声色だった。煩わしいと感じていた自分が恥ずかしくなる程のトーンに申し訳なさが一瞬にして襲う。何と自分はさもしい人間なのか。

 先程まで生まれていなかった感情を無理矢理作り、私はぎこちなく微笑んだ。


「先輩も」


 先輩の眩いばかりの金髪が揺れる。頷いた頭からサラリと顔に一筋髪が落ちた。薄い耳たぶに光るピアスが綺麗だった。




 そんなに間を開けていないと思っていたが、自室の扉を開ければ安心感に満たされた。部屋に充満している匂いのせいだろう。今すぐにでもベッドに倒れ込みたい気持ちとなったが、それを振り払うように早歩きをし、目的物が収納された引き出しに手を掛ける。


 勢い良く開けたせいか、引き出しがガコンと引っかかる音がした。丁寧に引き出しを直す時間はない。力任せに引き出しを開け、十分に開いた入り口に手を突っ込む。ゴロリとした石を数個掴み、どれが良いかと手のひらを広げた。何個も取れなかったが、その中にあった攻撃に特化した石を二つポケットにしまい、すぐさま部屋を出る。


 いつまでもいたかったが、しょうがない。この部屋に長時間居たら寝てしまう。

 後ろ髪引かれる思いで鍵を閉めた。


 転移陣がしかれた場所へ向かいながら私は外へ目を向けた。日没時間をとうに過ぎているから当たり前だが、もう薄暗い。太陽が居座った微かな存在感が残るのみ。妙な高揚感が沸き上がった。恐らく漸く終わる事を今更ながら自覚したのだろう。我ながらワンテンポ遅い自覚に自嘲の笑みが漏れる。


(よし、よし)


 口には出さず、気合を入れる。そして辿り着いた部屋で副長に見守られながら私は目的の森へと飛んだのだ。



 



 キャロルが森へと消えた部屋でヘクターは陣の光がおさまるのを見ていた。部屋にはヘクターだけではない、他にも見届け人として数人おり、皆同じく淡く光が落ちる陣を見ていた。その顔はほぼ同じ表情である。皆、漸く……という顔をしていた。

 それはそうだ、もう疲労困憊である。

 それにヘクターはそれ以前から疲れ果てている。この仕事が終われば少しは休めるのだろうかと考えたが、先程、国の上層部に言われた言葉を思い出し、休みは無理かと諦めた。


 じわりじわりと消えゆく光をぼんやりと眺めていたヘクターだったが、不意に聞こえた声に虚無となっていた思考が浮上した。


「キャロルは行ったの?」


 ファルである。ノックもなく開かれた扉を一瞥もせず、ヘクターは頷いた。


「うん。今まさに」


「緊張してた?」


「いや、そんな風では無かったよ」


「それなら良かった」


 淡く光っていた最後の光が風に吹かれるように消えた。ヘクターはひと瞬きの後、ゆっくりとファルを見る。

 もう年単位で見ている為とうに慣れたが、今のように少し気を抜くと「あ、」と驚いてしまう。昔と違う姿に違和感を覚えたのは一瞬で、直ぐに口元を緩くした。


「ファルはまだ行かないの?」


「キャロルの準備が終わったら行こうと思ってね。やってる途中に行ったら迷惑でしょ?」


「確かに」


 ファルの答えにヘクターは微かな息を吐き、笑うと部屋にいた他の人達に声を掛けた。


「ファルと話したい事があるから、二人だけにして貰える? もう他の業務について大丈夫だから」


 ヘクターの指示に素直に従わない者はいない。皆、静かに頭を下げ退室していく。


 部屋に残った二人は目を見合わせると深い溜息を吐いた。

 その溜息の意味を知るのは当人である二人のみ。話す事があると他の人らを追い出した割にヘクターは何も発さず、俯いたままであった。


「もしかして聞いた?」


 半笑いの声にヘクターは視線だけを上げる。少し戯けた表情のファルと目が合った。


「うん、聞いたよ。一番関係ある部署だし」


「そっか、まあ、そうだよね」


 呑み込み顔で笑ったファルは少しだけ長い自身の髪をくるりと指に巻く。金髪の髪は痛み一つない様で艶とコシが少し離れたヘクターの目にも分かった。


 ヘクターは俯き加減のまま、苛立たしげに両手で前頭を掻いた。ファルとは違い、コシも艶も無い茶色い髪が面白い程乱れていく。彼の手には数本の抜けた髪が既に絡まっているようだ。


 ガシガシと掻き続けていた髪はもうボサボサだったが、それを気にする事なく、ヘクターは両腕の力を抜いた。だらんと垂れた腕の先の末端、爪の間に抜けた髪が垂れている。


 ファルはそれを何とも表現し難い顔で見ていた。目元は気の毒そうだと語っていたが、口元はむにゅりと複雑な弧を描いている。


「元の形に戻るだけだからさ、そんな気にする事でもないでしょ」


「それは楽観的過ぎないかな?」


 声は柔らかいが、明らかに怒っている様子にファルは肩をすくめた。


「難しく考える事でもないと思うけど」


「混乱は少なくとも起こる」


「直ぐに慣れるよ、みんな」


「ベインズさんの事はどうするの?」


 その名を聞いてファルは一瞬だけ表情を固くした。その表情を見てヘクターは全てを悟る。


 ヘクターはファルがキャロルに好意を持っている事を知っている。そしてキャロルがファルを苦手な事も。

 最近は共に仕事をしているからか、それとも仕事と苦手意識を完全に切り離す術を覚えたのかあからさまな拒絶感は見て取れない。


(こんな姑息な手を使ったのにまだ仲を進展出来ていないなんて)


 ヘクターは目の前の男のヘタレさに驚き、そして呆れた。


「今のままだと尚更離れていくと思うんだけどな」


 ヘクターの言葉にファルは目を細めた。これは若干の苛立ちからの表情だ。


「分かってるよ、そんなのはね。一緒に居ればある程度親睦を深められると思ったんだけど、思った以上に忙しかったんだよ。本当は毎晩のようにご飯に誘いたかったし。少しずつ僕の存在を、こう……ね」


「こうねって、分からないよ」


 ぐだぐだと言い訳をする男は実にみっともない。ヘクターはふるふると頭を左右に力無く振るとその場にあった椅子に腰掛けた。


 しかしまあ、ヘクターも仕事の事に関しては同情をする。優秀なファルであれば、ゆとりの時間も出来るだろうと考えていたのだが、そもそもの調査量が多過ぎた。

 事が事なだけに慎重になり過ぎた結果、彼らに回す上申書などの数が膨大になったのだ。これは彼らに書類を回す前の二つの部署の人選を誤ったのが原因である。気付いた時にはもう遅かった。情報を共有していたからだ。


(まあ、調べてみれば元からサボり癖があって人の手柄を横取りするのが得意な人だったみたいだからね。上部しか見ない上司の評価を見て選ばれたから、そうなるか)


 きっとこれからは真っ当な審査になっていくだろう。上司を含めて。


 本当はファルやキャロルではなく、その下の部署に頼みたかった事も頼めなくなり、今のような事になった。忙しくなるだろうとは想定していたが、想定は今よりもゆとりある仕事だった。


 だからそこはヘクターも申し訳なく思う。思うのだが、それとこれはまた違うのだ。


 ヘクターはファルが幼い頃から親交がある。ファルがキャロルに執着にも似た、粘着質の想いを持っているのも知っている。


 ファルは見た目も良い。仕事だって出来る。女性を落とす事なんて動作も無いだろうと数年見守って来たが、進展はほぼ無し。キャロルが若干の人間不信に陥っているのも原因だろう。だとしたらそれを数年かけて解いてあげる努力をすれば良いのではないかとヘクターは思っていたのだが、今の二人はどうだ?恋人のこの字もない。


 何の為の数年間だったのか。こんなにも協力していたのに。


「もう何年、何年片想いして拗らせてるの!? 留学中も報告書を定期的に送らせて! 誕生日の度にプレゼントを買うのに渡さないで! 母校だからってコッソリ様子を見に行ってたのもおかしいからね! それでベインズさんに婚約者が出来たら一丁前にショック受けて! 婚約者と踊る彼女を見て更にショックを受けて! 受け続けて! 結果的には婚約白紙になったけども! なんで! なんで! 一緒の職場になってからも変な絡み方しか出来ないの!? 普通に話しなよ! 変に待ち伏せするのやめて! ベインズさんの帰りが心配だからって毎日距離を取って着いていくのもおかしいからね!」


 ハァハァと息を切らし、ヘクターは折角座った椅子から立ち上がっていた。いつもは血色の悪い顔を赤くさせ、ジトリと長い前髪の隙間からファルを見る。

 ファルは不貞腐れたような顔をし、ふいっとヘクターから視線を逸らした。


「拗らせてないと思うけど」


「拗らせてるよ! この童貞!」


 流石に言い過ぎたかとヘクターも思ったが、ファルにとって「童貞」は悪口でも蔑称でも何でも無かった。ただの事実でしか無く、言われても「それで?」としかならない。


 それでも少し言い過ぎたかと反省したヘクターはひと呼吸置いてから、子供のように口を若干への字にしている男の名を呼んだ。


「アル」


 その名は「ファル」よりもすんなりと口から引っかかりも無く出てきた。長年呼び慣れた名前に呼ばれた主は桃色の瞳に剣呑な光を宿す。


 まるでその名で呼ぶなと言っているようだ。しかし、この事件が解決すれば彼は本来の名と身分に戻る。何を怒る事がある。この場には自分とお前しか居ないのに、とヘクターは嘲りを隠しもせず小さく笑い、そのまま長い長い男の名を口にした。


「アルシオン・ファルティオス・ヤニングス」


 呪文のような名前にファル、もといアルシオンは顎を上げた。細めた桃色の瞳の先に名を呼んだ男を見据え、見下すように片方の口角のみを上げる。

 ヘクターはアルシオンの体から漏れる魔力を気にもせず、兄のように語りかけた。


「再度聞くよ。お前はキャロル・ベインズ嬢をどうしたい?」


 アルシオンは鋭い視線を戻さず、短く、しかしはっきりと笑った。


「分かりきった事を言わないでくれる? 僕の妃にするに決まってる」


 桃色の瞳に寒色がどろりと混ざる。煌々とした灯りが漏れ出る魔力でパリンと割れた。




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