50.終わりは見えた
離宮へ一人戻った私は、相変わらず書類の束と向き合っていた。
部屋を出る前より少し増えた書類。椅子に座った途端、部屋がノックされ、あっという間に塔は高さを増した。
書類を持ってくる事務官は気弱な見た目と言動とは反対にとても芯が強い。すみません、すみませんと言いながらちゃんと山のような紙の束をドンッと足していった。
それが彼の仕事なのだから怒りはしない。ただ面白いとは思う。
私は腰の低い事務官が消えた室内で与えられた仕事を再開した。一度出掛けて集中が切れたからか、雑念が混じり始める。目の前の書類以外の事が浮かぶ度に手が止まる。
浮かぶ内容は先輩との会話であったり、ヤンが言った「クズ」という発言、それとベンジャミンの事。
忘れた頃にふっと弾ける泡のようにそれは頭の隙間に入り込んだ。先輩との事は良い、仕事だからだ。でもそれ以外は眉根を寄せる程の苦しさが同時に現れる。
私は胸の苦しさを逃す為に大きく息を吸った。空気で薄まった苦しさと雑念を振り払うように文字に集中する。でも何度も雑念に邪魔された頭は完全に集中が切れてしまったようだ。
思い出す間隔が短くなり、私はとうとう天井を見上げた。
ほの暗い室内に外の灯りが窓越しに反射している。くるりと人差し指を回し、部屋の明かりをつけた。過剰に出た魔力が指先をキラキラと飾る。溢れた星のような光は室内についた灯りで一瞬にして見えなくなった。
突然の光は目に痛い。私は目を細め、暫し瞳が落ち着くまで瞼を伏せた。しかし、これは悪手だったようだ。静かな空間と暗闇があれもこれもと頭の中を引き摺り出す。
「あー……」
顔を両手で覆った。余計な事は思い出すなと物理的に押し込めるように。
どれ程そうしていたのか。とっくに光に慣れていた瞳をゆっくりと開け、また天井を見た。長くも無い足を椅子に座ったままグイっと伸ばす。ようやく落ち着いた頭に安堵した私はお茶でも飲もうという気持ちになった。
立ち上がり、背中をグーっと伸ばす。気の抜けた声が口から漏れ、ゆっくりと足を動かし始めるとノックの音が聞こえた。
――コンコン
扉を叩く音は二回。私は反射で返事をする。
「はい」
入ってきたのは副長だった。午前中ぶりの副長は酷く焦った……いや、興奮している様子だった。
「ファルいる?」
勢いよく扉を閉め、副長は室内をキョロキョロと見回していた。私は副長の様子を訝しみながらも首を振る。
「今は居ませんよ。今日捕まえたバルドー教信者疑いの人達のところに行ってます。戻りは聞いてません」
副長は忙しなく動かしていた首をピタリと止め、私を見た。
「え、そうなんだ」
「はい」
あからさまに落胆した顔となった副長はふらふらと余っている椅子に腰を下ろした。
「何かあったんですか?」
自分のお茶を用意しようとしていたついでに副長のものも用意する。彼の好みがコーヒーだとは知っているが、飲み過ぎはあまり良くないと聞く。だから自分と同じ飲み物を用意した。
副長はお茶を用意している背中で深い息を吐いたようだった。言葉ではなく息が漏れる音だけ聞こえ、室内は静まり返る。ちらりと背後に目を向ければ副長は口元をもにょりと動かしていた。まるで歯に物が挟まっているのを舌でとろうとしているような動きだ。
挙動不審な動きに首を傾げ、また私は背を向ける。
「先輩が帰ってきたら副長のところに行くよう伝えましょうか?」
カップを二つ持ち、一つを副長の前に置く。副長は何処か落ち着かない様子のまま、カップを口元に持って行った。
「あつ!」
猫舌の癖に冷まさないからだ。私は自らのカップに息を吹きかけながら、再度尋ねる。
「どうします?」
「いや、此処で待とうかな。お茶も貰ったし」
漸くまともな返事が返ってきた。先程から人の話をほぼ聞いていない様子だったので、少しホッとする。私は自らの席ではなく、副長の前の椅子を180°回転させ、腰を下ろした。
副長はまだ熱いカップを机に置くと私の名を呼んだ。そして衝撃的な事を口にする。
「皇弟殿下が見つかったみたいなんだよね」
「ブッ!!」
ちょうどお茶を口に含んでいたところだったので、口から飛沫が見事に飛び出た。口を押さえたものの、ほぼ出終わった後だったので、その手はなんの役にも立たず、ぽたりぽたりと手からお茶が滴り落ちる。
濡れる床、びしょびしょの服、しかしそれよりも副長の言葉への驚きが勝る。目はこれでもかと見開かれているだろう。
「ほ、ほんとですか」
おそろおそる聞いてみる。副長はかかった飛沫をローブの袖で拭きながら頷いた。
「本当。だからファルに報告しにきたんだ」
確かにその情報だったら、興奮するのは当たり前だ。そして言いたかった相手がおらず、意気消沈するのも分かる。
私はどう見開いた瞳を戻して良いのか分からず、そのままお茶に口をつけた。動揺しているからかカップを持つ手が震える。
「昨日、今日でだいぶ動いたね」
すっかり落ち着きを取り戻した副長は「はあ」と体を脱力させた。
ホーベン侯爵夫妻の保護に、バルドー教信者(仮)の捕縛、そして皇弟の発見。
動く時は一気に動くと聞くが、こういう事か。
「そうですね」
元々ハルフォークの訪問期間は短い。その期間に解決出来るよう諸々動いていたが、本腰を入れればこうも早く事態は動くのか。
机の上の塔からもそろそろ解放されるのかも知れない。ちらりと視線を自席に向ければ、一番上の紙がひらりと床に落ちた。
「あれ、ヘクターどうしたの? なんかあった?」
先輩が帰ってきたのはそれから約30分ほど経った頃だった。ここぞとばかりに休憩していた私達は突然聞こえてきた先輩の声に肩を跳ねさせる。先輩の帰りを待っていた筈なのに、先輩の事が少し頭から抜けていたようだ。
先輩は気怠げに後頭部を掻きながら、自席へと戻って行く。私はその姿を目で追っていただけだったが、副長は興奮が蘇ってきたのかガタリと大きな音を立てて立ち上がった。
「皇弟殿下が見つかったんだ!」
先輩は座ろうとしていた椅子の背を引いたまま固まる。
「アンワース公が……」
声は小さかった。しかし、表情は驚きに満ちている。桃色の瞳が溢れんばかりに見開かれていた。
「あ、だから騒がしかったんだ。背中しか見えなかったけど、総長がいたし」
そうか、と先輩はゆっくり椅子に腰を下ろした。そして深く息を吐き、机に突っ伏す。
「やっと終わるのかー」
疲れていた先輩を近くで見ていた筈だったのに、先輩が突っ伏した姿に少し驚く。
本当に疲れていたのか。嘘を吐いているとは思ってないが、何故かそこまで疲れていないだろうと勝手に思い込んでいた。
(なんか同じ人間て感じがしないから)
だらしない姿を見た事ない訳でもない。何度も机に突っ伏し寝ている姿を見ていた。でも、どうしてだか今の先輩に違和感を覚える。その違和感の正体を探っていると、緩んだ桃色がこちらを向いた。
「キャロルも漸くこの連勤から解放されるから嬉しいでしょ?」
机に顔をつけたまま言われ、泳いだ視線のまま頷く。
「そうですね」
私の反応に先輩は見慣れた意味深な笑みを浮かべ、姿勢を正す。
「で、これからの動きは?」
変わる空気。その空気に囚われた副長がトンッと人差し指を机に突き刺すように置いた。その意味を理解した先輩の口角がニヤリと上がる。
置いてけぼりなのは私だけだ。
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