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45.感情の説明


 何故、彼女が私の名を呼ぶのか。

 理由が分からず、反応が出来ない。予想もしなかった相手の出現に胸が嫌な脈を打つ。


 彼女は黒魔術師と私の間に入り、再度私の名を呼んだ。


「キャロルさん」


 大きな潤んだ目がこちらを見上げている。華奢な肩に、白く柔らかそうな肌は男からしたら庇護欲を誘うものだろう。脳裏にベンジャミンの姿が浮かび、僅かに眉間に皺が寄った。


「ええと、ブラウン伯爵子息の」


 彼女の出現に急激に口内が乾いていた。その為、声は出ずらく、ぎこちなかった。到底普通を装う事は出来ず、申し訳程度に上がった口角だけが彼女を歓迎しているように見せる。歓迎も何も、彼女が訪ねて来る理由なんて分からないのに。


「そうです、ベンジャミンの妻タニヤです」


 彼女はふわりと髪を靡かせ、微笑んだ。ブラウンの柔らかそうな髪はウェーブがかっている。風に乗って花のような香りが鼻腔をくすぐった。


 どうして此処にいるのだろう。まだ彼女の出現が理解出来ない。名乗られても返しが思い付かない。一文字も口から出てこず、無理矢理口角をぐっと上げた。彼女も可愛らしい顔に綻ぶような笑みを浮かべていた。


 先日の夜会から王都に留まってる地方勢は多いと聞く。どうせ来たのだから暫く王都を満喫しようという事らしい。だとしたら城に用事があり、彼女がたまたま見掛けた私に声を掛けただけなのかもしれない。


(そうだ、何も緊張する事は無い。ただ声を掛けられただけ)


 そう思えば、固まっていた表情も緩む。


「この間の舞踏会ではどうも。あまりお話出来なかったですけど、楽しまれましたか?」


「ええ、とっても。出産したらあまりこういう場所にも直ぐには出て来れなくなるので楽しませて頂きました」


 慈しむような眼差しを腹部へやり、彼女はほんのり出ているそこへ手をそえた。幸せの象徴のような光景に心が軋む音が聞こえたが、それは妬みでしかない。彼女に向けるには毒すぎる感情に蓋をし、崩れた笑みを隠すように少しだけ俯いた。


「ご懐妊おめでとうございます。体調は大丈夫ですか?」


 体調を労わる際は顔を上げ、瞳を合わせる。緑色の真ん丸な瞳は吸い込まれそうな程綺麗だった。直ぐに逸らしたい気持ちに襲われたが、我慢し瞳を見たまま柔く微笑む。彼女の後ろにいる魔術師が分かりやすく顔を歪ませた。

 そういえば、彼の見送りを頼まれていたのだった。正直まだ居たのかと思ったが、彼女と話すよりも仕事の方が気が楽である。適当に話を切る為に彼女の言葉を待った。彼女が答えた後、辞去の挨拶をしようと思ったからだ。

 笑みを浮かべたまま、自分よりも背の低い可憐な彼女の言葉に耳を傾けた。


「そんなに悪阻が酷い方では無くて、全然辛くないんです」


 首を可愛らしく横に振り、連動しているかのように両手も振られた。

 悪阻は酷いと入院してしまう事もあるという。酷くないのであればそれに越した事はない。


「そうなんですね」


 それ以上話を膨らませる事はせず、私は一歩横にずれた。黒魔術師の近くへ行く為にそれとなく仕事があるのを匂わせたのだ。頭を下げ、「では」と「お体に気を付けて」と言おうと思った。しかし、ベンジャミンの妻は急に笑みに悲しみを織り交ぜた。

 可憐な笑みを作っていた眉は下がり、桃色の唇も震えている。

 挨拶を口にしようと思っていた私の行動は止まり、その姿に釘付けになった。

 

「寧ろ辛いのは体じゃなくて」


 ぽろりと彼女の緑色の瞳から雫が流れた。スーッと一筋流れた涙に思考が止まる。

 彼女は何を話そうとしているのだろう。彼女に名前を呼ばれた時に感じた不安が再び胸を襲う。自分が何に不安を感じているのか分からない。不穏な脈は自分の不安は正しいものだと教えているようだった。


「ベンが、最近おかしいんです。ぼーっとしていて、私の言葉なんて聞こえないみたいで。何を話しても反応が薄くて、それもこれも……舞踏会の後からで」


 ぽろりぽろりと大きな雫を流しながら、彼女は私に一歩近付いた。


「キャロルさんに会ってから、会ったから、だからおかしくなってしまったんです」


「そんな、そんなわけ」


 そんな訳ない。だってあんなに幸せそうな顔をしていた。もう私なんて過去の人だという顔をしていた。

 だからそんな事ある訳ない。

 

 頭が真っ白になる。それは彼女の言葉からか、それとも過去のベンジャミンの幻影を見たからか。口から漏れる音は否定しか出て来なかった。


「彼は私と結婚しても暫くはキャロルさんの事を想っていました。でも子供が出来て、私をちゃんと見てくれるようになって、これから幸せになれるって時に綺麗な姿の、しかも彼の色と似たドレスを着たあなたを見て、ベンはまた過去に戻ってしまった」


「違う、もう彼は」


「どうしてあんな目でベンを見たんですか? もう別れて何年も経つのに、どうしてまだ好きみたいな顔をしたんですか? そもそもキャロルさんはベンの事を好きじゃなかったんですよね。だから婚約がなくなったのに」


 ナイフのような言葉を私に突き刺している彼女はもう涙を流していなかった。睨むでもない、ただ問い掛けるような瞳をこちらに向けている。


 心臓が痛い。自分がどういう顔をしていたかなんて分からない。でもあの時の感情は嫌な程覚えている。きっとそんな顔をしていただろう。

 配慮が足らなかった、言葉にすればそれで終わる。だが、彼女は何故そんな顔を自分の夫に向けたのか理由を知りたいのだろう。謝罪ではなく、理由を。


 そんなもの説明出来る筈がない。彼女の言うようにもう何年も経っているのに消化されないドロドロな感情。名前も、言葉も何もかも音として出てこないのに。


 はくり、と口が開く。門番の視線が、門を通る人の視線が刺さる。


 私が何をしたのだろう。ただ一時、顔を合わせただけ。ベンの隣には彼女が、私の隣には先輩がいた。それぞれパートナーと一緒に居たのに、何故私は今、自分の感情を此処で曝け出さなければならないのだろう。


 好きだと、一言彼の妻に言えばこの場から逃げられるのだろうか。呆然とする私の目に白い入道雲が入る。青い空と入道雲、ジワジワと鳴く蝉の声が頭に反響していた。


 ぐらりと体が揺れる。


「さっきから聞いてればアンタ、性格悪くない?」


 突然、大きな何かが肩を覆った。それが黒魔術師の手だと気付いたのは温かさに気付いたと同時だった。




読んで頂き、ありがとうございます。

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