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42.煩悩は消えない


 番と誤認させる薬。それが本当だとしたら恐ろしすぎる。そんな薬聞いたこともない。だから副長も確実な結果が分かるまで言いたくなかったのだろう。


 そもそも成分分析したところで、分かるものなのかも不明だ。未知の薬だったら分析しても分からなそうである。


「それ、本当だったら笑い事じゃないんだけど」


 ずり落ちた体を椅子に戻し、先輩が顔を覆った。


「そもそもそういう薬って作れるの? 一応聞くけど」


 先輩は顔に置いていた手で髪を掻き上げた。明らかな困惑顔でぐしゃぐしゃと前髪を乱す。

 副長も困惑顔だ。「うぅ〜ん」と唸り、眉を更に下げた。


「分からない。此処に来る前に騎士総長とも少し話したけど、彼も聞いた事がないって言ってたよ」


「ハルフォークにはいつ言うの?」


「結果を待ってから、かなあ。何事もなければ」


 何事もなければ、という声には切望が滲み出ていた。衝撃すぎる効能だから、その副長の気持ちはよく分かる。「かもしれない」状況では混乱を招くだけだろう。


(何もない事を祈ろう)


 私は手を合わせ、空を仰いだ。といっても此処は室内なので天井なのだが。

 執務室にしては豪華なシャンデリアが眩しかった。



 副長はカリンの報告とどぎついピンクの液体が入った小瓶を取りに来ただけのようだった。溜息を吐き、肩を落としながらまた仕事に戻って行く。その背中を見送った後、私はカリンに想いを馳せた。


 カリンは仲が良かったココとシャリオには何処まで話していたのだろう。もしかしたらもっと詳細な相談していたかもしれない。二人に話を聞いてみたくなったが、今そんな時間は無いので事が落ち着いたら聞いてみよう。

 その頃にカリンがたとえいなくとも。


 眠気覚ましのコーヒーを作り、自分と先輩のコップに注ぐ。カフェインは好きだが、胃が痛くなる質なので自分の分は少なめに注ぎ、ミルクを限界まで入れた。黒い液体はあっという間に茶色に変わり、白くなった分だけ冷めていく。


「どうぞ」


 ボーッと空間を見ている先輩の前に真っ黒なままのコーヒーを差し出した。先輩は瞬きを一度し、焦点を合わせると目尻を下げる。


「ありがとう」


 疲れが見える笑みである。こうして一緒に仕事をしていなかったら、先輩のこんな姿知らなかっただろう。


 仕事をする前はこんな顔を見られるとは思っていなかった。もっと感情が分かりづらい人だと思っていたのだ。


 行く場所行く場所に現れるし、何故か食の好みも知られており、気味が悪かった。そういえば持ち物も把握していた。落とした物は必ずと言って良いほど先輩の手から帰ってきた。

 会えば大体笑顔。他の人にはほぼ笑顔なんて見せないのに。しかもその笑顔で意地の悪い事を言うもんだから本当によく分からない。

 理解しづらい、なんか気持ち悪い、それが先輩への感情だ。


 好意を感じ始めてもその思いは変わらなかった。寧ろもっと苦手になっていたのだが……


(仕事を一緒にしたら印象変わったかも)


 多分、第二魔術師団の中で誰よりも仕事が出来る。取捨選択の判断も今のところ間違いがない。指示も正確だ。

 副長は良い人だが、正直曖昧な指示をする事も多い。こうですか?と質問すると全く見当違いな事を言っているのに、一回それを受け入れてしまうから部下が混乱したりする。私も何度そのトラップに引っかかった事か。


 しかし、先輩にはそれが全くない。違うものは違うと方向性をちゃんと修正してくれるからこちらも混乱せずに業務を行う事が出来る。


(その内、団長になっちゃうんだろうなあ)


 ズズズとカフェオレに口付けながら、そんな事を思う。


「先輩は仕事出来る人だったんですね」


 つい漏れた言葉に先輩がこちらを見た。桃色の瞳は少し驚いて見える。しかし、その中にも揶揄うような色が見えた。


「仕事出来ない奴だと思ってたんだ」


 そう捉えられてもおかしくない発言だった。私は「あー」と声を漏らしながらどう返事をしようか考える。しかし、まだぼやりとしている頭には言い訳のような言葉しか出てこなかった。


「いや、そうとは思っていませんでしたけど」


 ほら、同じ仕事した事なかったんで、と取り繕ったが、先輩はにやけた顔をこちらに向けたままだった。どんな返しが来るかと待っていたが、先輩は何も言わずこちらに顔を向けるだけ。居心地の悪さに私は別の話題を出した。


「そういえば、ベッド断って良かったんですか?」


 カップに口付け、少し早口で聞く。


「机で寝ると体ギシギシになりません? 腰とか肩とか特に」


「まあ、そうだね。凄い痛いし、全然寝た気はしない。体を休める為に寝てるのに体を痛みつけてる感じがするよ」


 カップを持ったままなので激しく動けないが、先輩はグググと背中を捻った。するとゴキッとこちらにまで骨が鳴る音が聞こえる。控えめに回した首もコキンと鳴った。自分もそうかもしれないが、全身凝り固まっているようだ。


「今からでもベッド置いて貰います?」


 勿論、私の分はいらない。先輩と同じ空間、いや、異性と同じ空間で無防備に寝たりしない。先輩だけが寝れば良い。


「いや、いらないかな」


 先輩は先程と同じく即答した。私は本当にいらないのか?という視線を送る。先輩は苦笑し、緩く首を振った。


「たまに忘れてるみたいだけどさ、僕はキャロルが好きなんだよ? ただでさえ今は四六時中一緒にいて、色々思っちゃうのにそれでベッドまで設置されたらさ……ねえ」


 まるで責めるような目で見られ、喉がひくりと鳴る。先輩が何を言わんとしているのかは分かった。そこまで純粋じゃないし、経験もある。

 しかし、職場でそんな事にはならんだろうと思ったり。だって仕事で使う脳とプライベートで使う脳は違う。先輩だって私の事が好きだと言う割には仕事ではキッパリ接し方を変えていた。所謂仕事モードだ。

 それなのに、それなのに……!


 (色々って何? そんな顔全然してなかったじゃん。怖いわ、もう。必要以上に近寄れない)


 あんな仕事モードの顔の裏で色々思っていたというのか。先輩に対して壁を薄くしていた自覚はある。公私混同は最初だけで、キッパリ分ける人だと安心していたのに。それなのに、それなのに!


 顔が赤くなるよりも、段々と冷めていく。私は冷ややかな視線を先輩へ送り、先輩から目を離さず自席へと戻った。


「普通に気持ち悪い」


 お酒を飲んでもいないのにボロボロと口が滑るのは疲れているからに違いない。先輩は私の暴言に楽しそうに笑った。



 朝、あんな会話をしたので、若干距離を取りながら仕事を行う。いつもと同じ仕事をして、気になった近場の案件に二人で出向いたりした。しかし事はそう上手くはいかない。調査は不発に終わり、城門まで帰ってくると妙に城内が騒がしい。


「何かあったんですかね?」


「多分そうなんだろうね。何だろう」


 そう言うと先輩は顔見知りの騎士を見つけ、話し掛ける。


「何かあったの?」


 騎士は周りを見回し、こちらと距離を詰めた。こそりと声が潜められる。


「ホーベン侯爵とその夫人が城に運ばれたんだ。もう既に二人とも意識不明でさ、長男が治療をうけさせなかったらしい。総長が見舞いに行かなかったら死んでただろうって。んで、長男を総長自ら拘束して来たんだけど、錯乱状態でさ、酷いもんだったよ」


 私と先輩は顔を見合わせた。どうやら事件はこれから動きそうである。




読んで頂き、ありがとうございます。

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