34.囮
眩しい朝日が薄いカーテンを抜けて、ベッドを照らす。ピクリと瞼を震わせ、枕元にある時計を見れば起床時間の1時間前だった。
私はぼやけた頭のままベッドの上に座る。寝癖でグシャグシャな頭に指を入れ掻き上げた。昨日綺麗にヘアセットを落として貰ったからか、指通りは良い。さらりと目の前に落ちた髪を見つめていると、自然と昨夜の事が思い出された。完全に思い出す前に頭を振って、怠い体をベッドから下ろす。
それからはいつも通り支度をし、少し早めに出勤をする。今日やる事を頭の中に洗い出し、事務所の扉を開ければ副長が共有スペースにあるコーヒーメーカーの前にいた。お湯をトポトポと挽いた豆へ雑に落としながら欠伸をしていた副長は私の姿を見て、少し瞠目した。
「おはようございます」
朝にコーヒーの香りを嗅ぐと心が少し落ち着くのは何故だろう。すんと鼻を動かし、香りに誘われるように副長の元へと足を向けた。
「おはよう、今日は早いんだね」
「はい、何となく仕事してないと落ち着かなくて」
「あー、分からなくもない感覚だなぁ」
だいぶ濃そうなコーヒーがたぷんたぷんと溜まっている。向こう側が見えない黒はこちらの顔を反射して写していた。
「飲む? 眠気覚ましだから濃いけど」
「匂いだけで良いです。胃がやられそうなんで」
副長は苦笑するとその真っ黒な液体を大きなマグカップへと注いだ。私はその横で茶葉をポットへ注ぐ。
「今日なんだけどね」
コーヒーを一口飲み、無言でいた副長がぼそりと口を開く。茶葉を蒸らしているティーポットから目を離さず、私は「はい」と返事をした。
「ちょっと予定をだいぶ変更させる事になったから」
溜息混じりな声色に誘われ、副長の顔を見ればやはり今日も疲れている。ここ最近、毎日疲労度の最高値が更新されているようだ。今日も昨日より疲れた顔をしていた。
「そうなんですね。何かあったんですか?」
副長は疲れ果てた顔に浮かべた笑みを深め「そうなんだよ」と持っていたマグカップを棚に置いた。がっくりと肩を落とし、何かを諦めたように首を揺らす。
「昨日、実は大捕物があってね」
「大捕物……」
そんな事が、と思ったが今王都は人が溢れている。元々多い人口に、第二皇子を見ようと押しかけてきた地方勢に他国の人間、貴族も多くこちらに来ている。起こるべきして起こったのかもしれない。
ふわりと開いた茶葉がポットの中を舞っていた。私は程よく色付いた琥珀色の液体を共有のカップに注ぐ。カップに顔を近付ければ香るが、空間にはコーヒーの匂いの方が勝り、余韻に脳が混乱する。
「何があったんです?」
世間話のように聞いた。他人事のように軽く。副長の濃いクマなどいつもの事だと、さして気にもせず。
うん、と副長は遠くを見て返事ではなく相槌をうった。何処か言いづらそうでもある。その顔は最近よく見ていた顔だ。私は心の中で「ああ」と嘆息した。
(この顔は私に関係あるって事だ)
それは良くない事か、それとも良い事か。少なくとも全てを忘れたい自分にとっては吉報だろう。気を紛らわせるには忙しいに限る。
ゆるりと上がる紅茶の温かい見えない湯気を鼻で吸い込みながらカップに口を付けた。口内に広がる匂いが鼻から抜ける。目を細め、もう一口嚥下すれば、鼓膜を揺らす戸惑いがちな声。それと同時に扉が開いた。
「今回の一団の一人、竜人の騎士が襲われた」
「おはよう」
パタンと扉が閉じる。扉の前には金色の髪を肩口で揺らしている男がいた。片耳に髪をかけた先輩はにやりと笑った。その顔は先の話が聞こえていた顔である。副長は朝の挨拶が聞こえた事に驚いたようだった。しかし、入って来た人物が先輩だった事に気付くと大きく分かりやすく安堵した顔をした。
「おはよう、ファル。君で良かった」
「本当だよ、聞かれたくない話は此処じゃなく、与えられた部屋ですべきじゃない?」
「おっしゃる通りで。じゃあ、部屋に来て。話したい事があるんだ」
私も先輩も手ぶらで出勤している。机に置くものも無いので、言われるがまま副長室へと向かった。
「実は今回の訪問は囮みたいなものでね、派手なパフォーマンスをすれば食いついて来るだろうとあんな大々的な訪問になったんだ」
ローテーブルにカップを置いたのは二人。先輩は足を組み、ソファーの肘置きに面白くなさげに指を遊ばせていた。視線だけは真正面の副長に向けている。反応が少ないので何を思っているのか分からない。少なくとも私は持っていた疑問が解消された。
調査が主なら静かに来ればいいと思っていたが、陽動作戦だったのであれば納得が行く。
「そう、それで?」
「あ、ああ、うん。それで昨夜、狙い通り竜人が襲われた。襲った人物は現在、牢の中。細かい取り調べは今日からする予定なんだけども」
副長はコーヒーを啜った。余程苦いのか、眉間に皺が寄る。
「どうやら、というかやっぱりバルドー教の信者だった。でも下っ端でね、情報が聞き出せるか微妙なんだ。下っ端の方が信仰心が強いからね、そう簡単に口は割らないだろうし、持っている情報もそんなに無いだろうって話だよ」
今まで「恐らくバルドー教だろう」と動いていたが、その仮説が当たった事にホッとする。これでまた違う人達であれば一から仮説を立て直さなければならないところだった。
ホッとした私とは対照的な顔を見せる副長は天井を見上げた。
「まあ、そんなうまい事いかないよね」
その言葉にどう返したら良いのか分からず、ただ私は「そうですね」と同調する。
人生は確かにその言葉通り、儘ならぬ事ばかりだ。
陰鬱とした部屋から退出した私と先輩はいつもの部屋へ戻る。
先輩は定位置の椅子に座り、私は片付けをしていた。今日中にはきっと終わるだろう。
片付けをしながら私はチラチラと先輩を見た。昨夜、先輩には申し訳ない事をした思いがあるからだ。
折角パートナーとなってくれたのに記憶は曖昧だ。踊り、様子のおかしい私を連れ出してくれた事は覚えている。竜人騎士マゼルとのおかしなやり取りも。
(本当、あんなに怒ることなかったな)
綺麗なドレスだって着せてくれて、久しぶりのカッチリメイクも手配してくれたのに。そうは思いはするのに、気まずくて何と声を掛けたら良いのか分からない。先輩に対してだけ、声の出し方を忘れたように重い。
あんな無様な姿を職場の人に見せたくは無かった。その気持ちが強いからだろう。もう言うタイミング的には遅い。だが、言わないのも感じが悪い。どうしようと手を動かしながら考えていると先輩が書類から視線を上げた。当然、先輩を見ていた目とかちりと合う。
「昨日は無事帰れた?」
私は「あ、」と声を漏らす。大丈夫、声は出る。
「馬車で送って貰ったので大丈夫でした。寮前まで送って貰いましたし。遅くなりましたけど、昨日はありがとうございました」
「ううん、全然良いよ。綺麗な君も見れたし、僕にとっては良い夜だった」
少し言葉に引っ掛かりを感じたが、考えすぎだと言い聞かす。曖昧に口角を動かせば、何とも言えない顔で微笑み掛けられる。
「キャロル」
名を呼ばれ、心がざわついた。違和感を訴える心を抑えつける。込み上げる気持ちを逃す為に、ぎゅっと右手に拳を作った。顔をわざとらしく逸らし、業務的な返事をする。
カタンと先輩の方から音がした。
「今日もよろしくね」
自身にかかる影を作った元を見上げる。先輩は握手を求めるでもなく、ただそこに立っていた。とても柔和な、でもとても悲しい顔をして。
私はその顔を見て、また言葉がうまく出なくなった。出ない言葉の代わりに自身の手を先輩へ差し出す。すると先輩は少し驚いた顔をした。でもすぐに顔を戻し、私の手を握る。
その手はしとりと湿っていた。
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