01.流刑の森
真昼であるのに陽の光も入らない薄暗いこの森は王都の北部に位置している。遥か昔、此処が王都ではなかった時代の流刑地だ。
何故定番の孤島ではなく、辺境でもない比較的街に近いこの場所が流刑地だったのか。それは此処が磁場乱れる場所だったからだろう。
一見すると普通の森、しかし一歩足を踏み入れた途端、背中にある筈の入り口が無くなったのには驚いた。入る前は正常だった筈の方位磁石はグルグルと針を回し続け、役目を早々に放棄した。
ここ数日は雨も降っていないのにジメジメとした空気が呼吸をする度に喉に張り付く。鼻には嗅いだ事のない刺激臭と強烈な青臭さ、獣臭がずっとまとわりついている。
湿気と悪臭で精神は既に限界に近い。
さすがは元流刑地、辛くて辛くて堪らない。
「帰りたい、帰りたい」
ただただ帰りたい。職務放棄したい。でもそれをしたら此処に来た意味が無くなるので弱音は口だけにして足を進める。
もう体も限界だ。この森に入ってもう何日経っただろう。昼間も陽が入らない大木に覆われた森は時間の経過が曖昧になる。
私は支給された特殊な時計を胸ポケットから取り出した。もう何度も見ている時計は支給された時と比べだいぶ薄汚れている。落とさないようにチェーンを首から下げているが、それも泥などが付きとても汚い。時計でもこうなのだから自分の全身はどれ程汚れているだろう。
「もう五日……」
消え入るような声がぽろりと漏れる。目頭が熱くなり、鼻が垂れそうになった。ズズズと鼻を啜り、涙が溢れないように上を向いた。
上を向けば見える筈の太陽は大木の木々に邪魔され全く見えない。微かに、本当に微かに光が溢れているが糸のように細い光は絶望を増長させるだけだった。
此処に入って五日、つまりは最後に太陽を見たのは五日前という事。太陽を見られない事がこんなにも辛いとは思わなかった。
普通の生活が懐かしい。今すぐお家に帰りたい。
「お風呂入りたい。出来れば大きいお風呂に……」
精神もそうだが、湿気と泥、悪臭にやられた体はもうボロボロだ。五日間まともに寝てもいない。
泣き言の一つや二つ、いや五十個くらいは大目に見て貰いたい。何たって自分はまだ22歳。若い部類だと思っている。まあ、同い年は軒並み結婚しているけど。
そんな20代の女が五日もシャワーも浴びられないのは中々酷くないか?
何故、私は此処にいるのか。
理由は簡単、仕事である。
王宮魔術師として勤め始めて四年。本当は研究職に進みたかったが、あそこは学生時代に実績を重ねないと新卒から入るのは難しいと知ったのは就職してから。
そういうものかと所属されたのは第二魔術師団。主に魔術関係の捜査を行うところだ。最初こそ「捜査なんてかっこいいじゃないか」と思ったが、蓋を開ければ泥臭いものばかり。まあ、それにも慣れてきたから辞めずに此処にいるのだけれど。
今回の調査は近隣の住民から「最近狼の鳴き声がする」と訴えがあったから。此処は確かに森だが、狼が生息する場所では無い。それに前段階の調査で付近の魔素量が高い事が分かった。こういう場合は大体イケナイものが絡んでいる。そのイケナイものを見つけ出す為に、私は今この森を徘徊しているのだ。
頼みの綱は魔素測定器。これの数値が跳ね上がる場所にそれはあるに違いない。手首にはめた測定器をチラチラと見ながら前へと進むが、数値は一定の高値を示しはするもののこれといった反応はない。
問題の狼の声も聞こえはするが、姿は見えない。何故か反響する鳴き声が狼の居場所を撹乱していた。
そもそも当初は二人体制で来る予定だった。でもパートナーが急遽体調不良となりこんな事に。どうやら本当は体調不良ではなく痴情のもつれによる裂傷らしい。嘘だろう、馬鹿野郎。
まあ、そんな情報も職場を出る間際、小耳に挟んだ程度なのだけど。
勿論、上司は一人では辛かろうと代わりの人を出そうとしてくれた。でも代打に名乗りを上げたのは自分が苦手とする人だったので丁重に断らせて貰った。苦手な人と出張するのは苦痛でしかない。断るという選択肢がある場合は断るに限る。
でも今は苦手な相手であっても受け入れておけば良かったと少し後悔中だ。
彼は三年先輩、しかも優秀な魔術師でもある。彼と一緒だったのならば、もしかしたら今頃温かな湯舟の中にいたかもしれない。
もはや懐かしいお風呂を思い浮かべて、溜息をまたまた一つ。
「やめよう、過去を後悔するのは。時間の無駄だから」
それにとても虚しい。心がシュンとしちゃう。
私は諦めて歩く速度を上げた。一日でも早く、一刻も早くこの森からおさらばせねば。
道ともいえぬ腰丈程もある草を棒でかき分け、それを踏み固めながら進む。
ゴーグル越しの世界は代り映えがない緑しか見えない。
「あっつ!」
どのくらい歩いていただろう。無心で草を足で薙ぎ倒してながら進んでいると突然手首にはめていた魔素測定器が熱を持った。じわりと温かいものではない。まるで熱せられたフライパンのように熱くなったのだ。
熱い熱いと慌てて外し、踏み倒していた草の上に放り出す。するとなんという事でしょう。周りの草が熱さで萎びていくではありませんか!
温度は上昇し続けているのか、測定器は通常の銀色から何故か赤褐色へと瞬く間に変色していく。
こんな事初めてだが、きっと測定値を大幅に超えたという事なのだろう。オーバーフローした測定器はやがてうんともすんとも言わなくなった。
「まさか壊れた?」
これも支給品なのにえらい事だ。まだ熱を持つ測定器を手袋越しに拾い上げ、粗熱を取る為に振り回しながら私は辺りを見回した。
支給品が壊れたのは問題だが、それよりも喜ばしいのは測定器が上限突破、即ち問題のブツがようやく見つかったという事。ようやく帰れる目処がたった。お風呂に入れる。
しかしホッとしたのも束の間、見回した視線の先で何かが動いた。土埃で汚れているゴーグル越しだと中々見え辛いが、この草丈からはみ出て見えるという事は中々の大きさのものだろう。鳴き声しか聞こえなかった狼だろうか。
私は鞄の中から汚れてなさそうな布を取り出し、土埃で汚れているゴーグルを拭いた。背を低くし、いくらか明瞭になった視界でそれを凝視する。
―――魔獣だ
ドクンと脈が大きく跳ねた。狼にしては大きすぎる獣はほぼ間違いなく魔獣だろう。
目測で体高はおおよそ120cmを超えている。かなりの大きさだ。デカすぎる。嘘だろう、主か?
そもそも魔獣は地上には存在しない。彼らが生息しているのは地底の国、通称魔界である。魔獣は瘴気漂う魔界でしか生きる事が出来ない。
それが地上にいる。どえらい事だ。
恐らくいるのは一個体のみ。さて、どうしたものか。
選択肢は主に二つ、駆除か捕縛。まあ、捕縛しても移送途中で地上の空気で死んでしまいそうだけれども。
「だとしたら駆除一択かぁ」
ぼそりと呟いて、私は手のひらにやわやわと火球を作った。手のひらで大きくしては圧縮し、硬度を上げる。そして石と同じ硬さになったであろう火球を指で弾いて飛ばした。
標的は勿論魔獣。硬さを持った火球は真っ直ぐに目的へと向かい、魔獣の首を貫いた。
森に響く、悲痛な獣の声。大きな体がぐらりと揺れ、頭が下を向いた。倒れはしないが、ダメージは確実に入っている。
「よし、よしよしよしよし」
私は勢いよく立ち上がり、勝利を確信した。攻撃魔法は得意ではないが、やりようはある。真っ向からやらなきゃいいだけだ。
「ふはは……、は? え?」
口から漏れる喜びは一瞬、私の目に飛び込んできたのは大きな魔獣に群がるそれよりも一回り小さい個体達。
「わ、うっそ本当に!?」
途端に青ざめる顔。そりゃそうだ、一個体しかいないと思っていた魔獣は数えられる限り十体はいる。
その個体達がジロリと私を見た。
「やば!」
一斉にこちらめがけ、掛けてくる魔獣達。唸り声を上げ、泡立った唾液を飛ばしながら来る様に一瞬怯んだが、ここで死んだら『自信過剰、一人で行った愚か者』のレッテルを貼られる事になる。
人に馬鹿にされるのは嫌だ、それだけは避けねば。そもそも若くして死ぬ気も毛頭ない訳で。
私は魔獣の攻撃が当たるよりも早く足元に浮遊魔法を掛ける。足元に浮かび上がった魔法陣は一気に上昇した。
「うっ」
内臓がふわっとする感覚に思わず声が出た。ちゃんと定位置に納まっていてくれ内臓。
だがそんな気持ち悪さも次の瞬間頭部を襲った衝撃により消え去った。
「なに!? え!」
痛む頭部を押さえながら振り向く。顔に葉が当たった。そして目の前には太い枝。
成程、木が邪魔をして浮上が途中で止まったらしい。もっと高い場所にいけると思ったが、やはりこの鬱蒼とした森ではうまくいかない。
自分が描いた計画よりも低い位置で止まり、嫌な汗が噴き出てきた。
さて、どうしたものか。
しかし、そうのんびり考えている暇はない。こうしている間にも魔獣達は木を使ってこちらへ来ようとしているのだから。大きな個体も持ち直したのか、ゆったりと体をこちらへ向けた。殺される未来が垣間見え、ほんの少し寒気がした。
私は呼吸が早くなるのを感じながら、震える手で鞄の中にある魔石を手に取った。これは先日、給料の半分を注ぎ込んで購入した増幅石だ。これと共に魔法を使用すると通常の倍以上の威力になると言われている。
つまり、もしかしたら自分の何処か物足りない攻撃魔法が大技になるかも知れないのだ。
試した事はない。なので不発に終わるかも知れないし、少数しか倒せないかもしれない。でも、今の状況を打破するにはやらないよりやった方がいい。
まず、木を登っている魔獣を得意の風魔法で落とし、なるべく一箇所に固まる様に魔獣を操作した。びょんびょんと蔦のような風を魔獣の体に巻き付かせ、大きな個体の近くへと落としていく。私を目指して来ている為、恐ろしいが私自身も少しづつ大きな個体、もう主と呼称しよう、主に近付く。
「あー、おっかない」
主は大きい。近付きながら攻撃が届かないよう、更に浮上出来る場所は浮上しながら進む。しかしそれは杞憂なようで、主はこちらを見るばかりで何もしてこない。
これは、まあ……良い事なのか?
多少の不安はあるけど、小さい個体をちぎっては投げ、ちぎっては投げでどんどんと主の近くへと飛ばしていく。それと同時に彼らの後方に透明な壁を作った。あとどのくらい魔獣がいるのか確認しつつ、その壁を立体に組み立てていく。
「こんなもん? もういないよね」
襲ってくる魔獣はもういない。いや、実際にはいるのだが、もう私のところへは来られない状況だ。
一箇所に集約した魔獣は今、天辺だけ開いた箱状の結界の中に閉じ込められている。主を除き、魔獣達は出ようと壁を攻撃しているが残念、これは結界なのでそう簡単には破れない。つるつるなので登る事も出来ないだろう。
私は魔石を手のひらで包み、魔獣達を見た。
「恨まないでね。いや、恨んでも良いけど私の不幸は祈らないで」
これは仕事、これは仕事と心の中で繰り返し、私は自分の中で一番威力の出せる火魔法の呪文を唱えた。何度でも言うが、私は攻撃魔法は苦手である。だから今唱えたのも中の下だ。
これに増幅石を合わせて、果たしてどのくらいの威力になるのか。せめて小さい個体は全滅して貰いたいのだけど。
私は呪文を言い終わると同時に増幅石を箱状作った結界の上に落とした。開いた天辺から炎と共に落ちる石。それは一瞬で結界内を覆う程の火球となった。
「やば!」
ドォンという爆発音と共に火柱が上がる。
風圧と熱気が森を吹き飛ばす様に広がり、魔獣の断末魔が響く。
予想以上に増幅した威力に自分でやっておきながらドン引きしてしまった。火柱が上がる寸前、自身に結界をはったお陰で傷一つ負っていないが、結界越しに見た至近距離の炎は熱くはないが、肌に刺さるほどの鮮やかさで目が痛かった。
「あ、太陽だ」
炎が消えても眩しさが消えず、見上げると数日ぶりに太陽が見えた。ギラギラと夏らしく暑い太陽は青空の中、頼もしくこちらを照らしている。
この太陽がずっと見たかった。太陽ありがとう、愛してる。
しかし、鬱蒼とした森の一部を焼き払うなんて本当に凄い威力だ。つっかえていた魔法陣をスイスイと操作し、木々がポッカリとなくなったそこを覗き込む。
「うわぁ」
もう見事に黒く煤けていた。草もなく、木もない。土はあるが、普通の土よりも少し黒くなっている。何より魔獣は骨になっていた。毛皮も無ければ肉片もないただの骨。あの主も見事に骨格標本のようになっていた。
だがそれよりも気になるのは悪臭だ。あたりに漂う悪臭は魔獣が燃えた臭いで間違い無いだろう。開けた空に立ち昇る臭いに思わずえずいた。
「骨、念の為持って帰った方が良いかな」
マスクで覆っている鼻を摘み、私は上空から地上へと降りる。小さな骨を一つ掴み、改めて周りを見渡した。
何処もかしこも煤で真っ黒だ。炭も残らず、元が何かも分からない灰が歩く度に舞う。
「えげつない……」
踏みしめる地面はとてもフラット。さっきまで道を作ろうと踏みしめていたのが嘘のよう。だからだろう、更地となった地面の違和感にすぐに気付いた。
見えたのは黒い靄だ。最初は煤が煙っているのだろうかと思ったが、その靄はそれにしては黒く、消えなかった。よく見ると靄の真ん中に何かある事に気付く。きっとこれが核のようなものなのだろう。黒い靄に覆われすぎて全く何があるのか分からないが、何となくこれが探しているもののような気がした。
「これか? これであってくれーい」
私はそれに手を伸ばしたが、そもそも触れて良いものなのか不安になり一度手を引っ込めた。ムンッと結んだ口のまま、恐る恐るそれに小さな結界を纏わせる。すぐに透明な結界は真っ黒に染まった。結界自体が黒くなったらどうしようかと思ったが、どうやらそういう事はなさそうだ。
「良かった。じゃ、帰りますかね」
私はくったりした腕で手のひらサイズの球体を拾い上げ、鞄へ入れる。
求めていた太陽がじりじりと全身を焦がすように照らしていた。
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