18.パートナー
「はっ」
返事とは言えない声が漏れた。
初めて言われた直球な告白に動揺が隠せない。いや、間違えた。素面時に初めて言われた直球な告白に動揺が隠せない。徹夜の頭も飲み会の話題ですっきり目覚めたと思ったが、それは勘違いだったようでふわりと思考に靄がかかる。
見開いていた瞳をゆっくりと戻し、ぱしりぱしりと瞬きをした。ひとつ瞬きをする度に視線を下へ落としていく。
そうだろうと思っていた事だが、はっきりと言われると反応にとても困る。自意識過剰でなかった事が嬉しいやら、悲しいやら。
いや、悲しい云々よりも恐ろしいという言葉がしっくりとはまる。恋人でもない男から出る「結婚」という言葉はただただ恐ろしい。
どう返事をするべきか。柔らかい言葉で返事をすべきと良心が言うが、徹夜でポンコツな頭からはひとつの言葉しか出てこなかった。
「無理です」
オブラートなど皆無な言葉に自分で驚く。止める自身の良心を無視した癖に音として自分の耳に入ってきた言葉の鋭さに動揺した。しかし言ってしまったものはしょうがない。時は戻しようがない。気まずさから先輩の顔を見る事も出来ず、じっと机を見た。
「そうだと思った」
どんな顔で言っているのだろう。声だけは普通に思える。気になりはしたが、顔を上げる事が出来ず頷く。
「ですよね」
そして静まり返る室内。気まずすぎて机を見る事しか出来ない。今の「ですよね」という返事も一拍置けばおかしい言葉だと分かる。今は口を開けば失言しか出てこなそうだ。
(いや、でも)
思考力が低下している頭で考える。何故今、こんなにも疲れて何も考えられない時に言うのか。それに断られる事なんて分かっていただろうに。だから先輩も「そうだと思った」と言ったのだろう。なのに何故、今このタイミングで?
考えてもそれらしい理由は何一つ浮かばず、チラリと先輩へ視線を向けた。
「どうして今? って顔してるね」
声がつい出そうになる。しかし、失言しか生み出さない今は声を出すべきではない。きょろりと目を動かしてから、小さく頷いた。
その様子を見て先輩はにんまりと微笑んだ。ぐっと前屈みとなり、俯きがちな私の顔を覗き込む。その体勢のせいでぐしゃりとなった紙が圧から逃げようとぺらりと机の下へ舞っていった。
綺麗な弧を描いている薄い唇が妙に挑戦的に見えた。
「徹夜した頭は判断力が落ちる。だから何も考えず、流されてくれると思ったんだよね」
そういう事かと納得しかけて、首を捻る。結果としては先輩の思うような形にはならなかったが、中々酷い事ではないか?
騙し討ちをしようとしていたという事じゃないか。眉間に皺を寄せ、じとりと先輩を見る。
先輩はおどけた顔をすると体勢を戻し、首をすくめた。
「まあ、結局は無理だったんだけど。君はこういう時、本音が出やすくなるんだね。学んだよ」
学ばなくていい。是非忘れて頂きたい。ましてや今後に活かそうともしないで欲しい。
私は険しい顔のまま頭を左右に振った。先輩も変わらずおどけた顔で机についた肘を支えに顔を両手に乗せる。そしてふっと笑った。
「あと宣戦布告の意味もあるかな」
それはどういう意味なのか。意味は分かるが、此処での宣戦布告とは何に対しての宣戦布告なのか。理解はぼやけ、輪郭をなさない。まるで理解を拒んでいるようだ。
「せんせんふこく……?」
しかし頭を通さず呟くような声が出た。ゆっくりと復唱したそれはきちんと先輩の耳にも届いたようで先輩は頷いた。瞳の奥に鈍い光が見えた気がした。
「そう、覚悟してねっていう」
声は柔らかい。言葉も聞こえようによっては優しい。しかしその眼光のせいで体の真ん中がぎゅっと縮んだ。あの私が苦手な獣の目だ。自身が草食獣になったのかと勘違いしそうになる恐ろしい眼光に先程まで彼を睨みつけていた筈の顔は牙を無くし、萎んでいく。
私が怯えたからか、先輩はひと瞬きの後、その眼光を完全にしまい表情を緩ませた。
「それでね、キャロル」
それでもまだ体は固く縮こまっている。そんな私に先輩は一通の封筒を差し出した。
見ただけで上等な紙だと分かる手紙。私は恐る恐るそれを受け取り、封蝋を見る。王家の印だ。手近にペーパーナイフなど無いので、ベリベリと開封をする。その姿を見て先輩が苦笑したのが見えた。
手紙はハルフォーク親善訪問記念パーティの招待状だった。
(何で先輩が?)
何故、家でなく職場で渡されるのか。確かに実家からは何も連絡は来ていなかった。まあ、部屋に帰っていないので絶対に来ていなかったとは言い切れないが。
私はまじまじと中身を確認し、二つ折りされた紙を閉じる。今回、私はパーティに参加する気が更々無かった。ドレスも無ければ、この訪問の裏事情も知っている。パーティに出るくらいだったら仕事か家で休んでいたい。
どうせ他の貴族達はこんな珍しい事はないとほぼ100%出席する筈だ。一人くらい欠席したところで問題はないだろう。
「招待状ありがとう御座います」
形ばかりのお礼をし、あとで総務に欠席を言いに行こうと招待状を封筒に戻していると、トントンと机を指で叩かれた。
また何だ、と頭の中でため息をつく。目だけで返事をするとニマッと微笑まれた。
「舞踏会のパートナーになって欲しい」
「パッ」
口から弾ける音が鳴った。音と共に眼球も弾け飛びそうな程見開かれた。
「パートナー」
先輩は言葉を繰り返した。ゆっくり、はっきりとしっかり頭に染み込ませるように。
私はパ、の口のまま固まった。
そもそも欠席しようと思っていたからパートナーにはなれない事に気が付いた。
遠回しなお断りに聞こえるだろうが、これは本当の事だ。嘘じゃない、本当に欠席しようと思っている。
「あ、私欠席しようと思ってて」
「やってくれたらこないだよ飲み会の失言は無しにしてあげる」
これは脅しか?脅しなのか?
あの時の事を引き合いに出されるとこちらは何も言えなくなる。先輩があの時の事を気にしていた風には見えなかったが、そう言われて「またまた〜、そんな気にしてないでしょ〜」なんて言える訳もない。
うぐぐと口が震える。下唇を噛み、可愛くない上目遣いで先輩を見る。
「告白もしてないのに勝手に振ってきて、凄い悲しかったんだよね」
脳裏に蘇るへべれけな私。
『ごめんなしゃい、わたししゅきやないんれす』
このやろう、馬鹿野郎。何でそんな事を言ったんだ過去の私は!
頭を抱え、過去の私を罵倒する。視界に入った男は意地悪くにやりと笑っていた。「ね?」と小首も傾げて私を追い詰める。
別に先輩に許されなくても、と悪い私が囁いた。だが、これからハルフォークの人が来たら今よりもっと二人協力しなければならない。蟠りを残したまま仕事をするのは得策ではないだろう。
(となると道は一つか)
私はぐっと唇を噛み締め、力強く頷いた。
「わ、かりましたっ!」
やけっぱちな声に先輩は嬉しそうに目尻を下げた。
「ありがとう。当日楽しみにしてる」
目的を達成した男は実に晴れやかに笑っていた。
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