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17.恋とは恐ろしいものだった※ファル視点


 自分がキャロル・ベインズを初めて認識したのは17歳の時だった。

 王子達の側近や婚約者を探す初夏のガーデンパーティーで彼女を見つけた。


 彼女は王宮の広い庭園の隅にいた。近くに保護者の姿は見えず、友人もおらず、ひとりポツンと佇んでいたのだ。

 こんな大勢のひとがいる中で彼女の存在が自分の中で浮いた。


 今思えば一目惚れだったのだと思う。

 彼女は瑞々しい果実を思わせるオレンジの髪を涼やかな風に靡かせていた。本当につまらない、そんな顔で空を見上げながら。

 

 きっと、そう、それだけで恋に堕ちた。

 

 彼女の肩口で切り揃えられた髪が風にそよぎ、揺れる。それだけなのに目が離せなかった。太陽が彼女の髪を透かす度にオレンジから桃色に変わるからか、それとも空虚な目をしていたからか、それは分からない。まるで眼球も瞼も固定された人形のように視線が外せなかった。


 どのくらい彼女を見ていたのか。

 不意に彼女と目が合った。遠くにいた筈なのに……と思ったが、知らず知らずの内に足が彼女へ向かっていたようだ。最初よりも近い距離に彼女がいた。

 青空に向けられていた瞳がこちらを認識する。色素が薄い、灰色の瞳が美しいと思った。

 ハッと息を呑んだのは自分、眉を顰めたのは彼女。


 直ぐに視線を外した彼女はひらりと身を翻し、薔薇のアーチをくぐって消えてしまった。

 その場に何も残さず、綺麗に彼女は消えた。最初から誰もいなかったかのように。


 時間としてはきっと五分も無かっただろう。もしかしたらほんの数秒、瞬きの間の出来事だったのかもしれない。

 だが確かに彼女の存在は私の中に残った。深く、熱い火傷のようなじくじくと消えない存在として。



 ガーデンパーティーの後、私は彼女を調べた。調べれば直ぐに彼女の正体が判明する。

 キャロル・べインズ。王都に程近い極小領地の領主、べインズ子爵の妹だった。年は13歳、自分よりも4歳下である。


 そして、どうしてあんなにも空虚な目をしていたのかも分かった。先の領主、つまり彼女の父と母は昨年の冬に馬車の事故で逝去していたのだ。

 空を見ていたのはそのような理由があったのではないか、そう思うと何とも言えない気持ちとなった。そんな悲しい姿に興味をひかれたなど、あまり褒められた事ではない。


 しかし思い出すのは何もない空虚な灰色の瞳。その虚ろな瞳が今も瞼を閉じれば鮮明に思い出せる。オレンジの髪も瞼の裏を焦がすかのように浮き上がった。じりじりと胸を苦しめるそれの正体にいまだ気付けてはいなかった。


 それから彼女、キャロルは自分の興味の対象となった。幼い事から気になる事を見つけると事細かに調べる癖がある。今回もそんな一時的な好奇心だと思った。ただ彼女の詰まらなそうな顔が気になった、光に透かすと変わる髪色も、ビー玉のような眼球が気になった。そう、ただそれだけだと思っていた。


 定期的に報告される彼女は何てことはない、少し陰気な少女だった。デビュタント前な為、茶会や夜会に出る事もない。兄の治める領地で本ばかり読んでいた。勉強も好きなようだ。そのお陰か、そもそもの彼女の素質か15の年に王都で一番歴史ある学園に入学した。そこは自分の母校でもある。


 報告書の文字だけでも良かったが、私は久しぶりに彼女の姿を見たくなった。報告書に詳細な外見の記載はない。領地にわざわざ行くのは面倒だが、母校であれば不審に思われず入る事が出来る。

 私は思い立った次の日に自分が師事していた教員を訪ねた。


 教員は私の顔を見ると少し驚いた顔をしていたが、直ぐにしょうがないというように眉を下げた。自分が気紛れな事は彼も知っているからだろう。


「どうした? 何かあったか? 暫く来なかったじゃないか」


「もう先生もお年なので、あと何回も会えないでしょう? 生きている内に顔を出しておこうと思ったんですよ」


「相変わらず憎たらしい口だ」


 教員は偏屈そうに片眉を大袈裟に上下させてはいたが、何処となく嬉しそうな顔をしていた。豊かに蓄えた顎髭を撫で、美味しくも無いお茶を入れてくれる。礼儀として口を付けるフリだけした。

 たわいもない会話をし、それとなく校内を回る許可を貰い、懐かしい校内を歩く。報告書によると彼女は放課後によく研究棟の一階にある実験室にいるらしい。久しぶりに観察対象に会うからか胸が高鳴っていた。にやつきそうな顔を制御し、中庭を抜けて行く。此処を抜ければ研究棟まではあと少しの距離だ。


 出口に近付くにつれ、足が速く進むのはどうしてなのか。はやる気持ちを抑え、シマトネリコの木々を抜けた。

 その瞬間、自分の時が止まった。


 見えたのはオレンジ色の髪、あの時と同じように太陽に透ける髪は桃色だった。そう、彼女がいたのだ。制服を着たキャロルが研究棟の外を歩いていた。両手に本を抱え、足早に入り口へ向かっていく。ぱたぱたと揺れるスカートに、少し大きめのジャケット。髪はもう肩口では無い、背中の中程までふわりと伸びていた。瞳は此処からは見えない。だが、二年前よりも元気に見える。

 

 パタパタと小走りをしていたキャロルはあっという間に研究棟の中へ消えた。こちらには全く気付かず、ちらりとも目も合わず、姿を消した。

 自身の時が再び鼓動し始めたのは、彼女が姿を消してから。じりりと心臓が痛んだのは時が止まっていたからだろう、どくんどくんと鼓膜に響く程脈打った。

 耳が焼けるほどに熱かった。


 その後も何度か母校へ足を運んだ。目的はキャロルを一目見る為だ。キャロルが目的だったが、必ず見られた訳ではない。半々の確立だった。見掛ける場所は研究棟や図書室、それと何気なく通った廊下。見掛け、すれ違う度に感じた事がないものが胸を占めた。それは不快感にも似た高揚感だった。


 報告書を眺め、母校へ足を運ぶ。名前の付けられない感情を誰かに問う事もなく過ごす日々。キャロルへの興味が段々と惰性のようになってきた頃、ハルフォークへの留学を勧められた。ハルフォークへの留学は一般的に誉れある事。断る筈も無く、頷いた。


 キャロルの報告はどうしようか。

 これをきっかけに止める事も出来る。そう思いはしたが、報告を止める事はしなかった。


 遠い天空の国へ居ても届く報告書。それは自分がいた時と同じ、変わり映えのない内容だった。それはそうだ、そんな急に日常が変わる事はない。だから自分は特に何も気にしていなかった。


 ハルフォークへの留学期間は短期の為、一年。どの季節も一度しか体験せず、祖国へ帰国する。そこで側近に報告書には無かった事を報告された。


 キャロルが婚約したという。


 これは本当に驚いた。なんせ何も報告書に記載がなかったからだ。寝耳に水、青天の霹靂、どうしてそんな事になったのか全く分からなかった。

 しかも婚約者は同級生の恋人だと言うのだから本当に驚いた。自分が国に居た時はそんなそぶりはなかった。留学に行っていたたった一年で、恋人が出来、婚約をしたのだ。

 

 最初は驚きだった。しかしそれはすぐに息苦しさに変わる。今にも倒れそうになる程の苦しさに喉を押さえた。

 はくりと空気のみが漏れた。

 

 彼女は自分の観察の対象だけであった筈、だが今の自分はどうだ?観察対象に対しての感情にしてはおかしいものを抱いている。消化できない感情は怒りに変換された。胸にふつふつと湧く怒りを抑えきれず、髪を掻きむしる。

 何故だ、何故だと喉の奥から血が出るのではないかという程叫んだ。何故私が彼女の隣にいない?何故彼女の隣に違う男がいる?渦巻く黒い感情、この憎しみは誰へのものなのか。


 漸くそこで自分は彼女に恋をしていたのだと理解した。この胸を占拠する黒く醜い感情は嫉妬で、彼女が自分ではない男と生涯を共にすると決めた悲しみに心が悲鳴を上げたのだ。


 気付いた時には遅かった、そんな恋だった。

 

 何故、あのガーデンパーティーの後直ぐに婚約を申し出なかったのか。何故何年も側近に調べさせていただけだったのか、お前はあの日、彼女に触れたいと思っていたのだろう、と頭の中の自分が嘲る。その度に後悔が胸を襲った。


 諦めなくてはならない。そう思い、彼女が出席する夜会へ参加してみた。幸せそうなキャロルを見れば納得して諦められるだろうと思ったからだ。

 彼女が参加する夜会に出てみれば、当然の如く彼女のパートナーは婚約者だった。それはそうだ、当然である。婚約者がいる者は普通そうだろう。しかし、その光景に自分は大きなショックを受けた。ぐらりと視界が揺れ、倒れそうになる程に。

 

 彼女は婚約者の色を纏っていた。彼の瞳の色である濃紺のドレス、あの時と同じように編み込まれた髪にはパールが一緒に編み込まれている。空虚だった瞳には輝きが満ちていた。

 そしてあの日、自分に向けられた嫌そうな瞳ではなく、喜色に満ちた笑みを婚約者に向けていた。

 

 くるくると楽しそうに踊る彼女、婚約者の腕に自身の腕を絡め、笑う姿。幸せそうな姿、悲しみを乗り越えた姿なのに自分の胸に込み上げるのは醜い嫉妬心のみ。


 ああ、本当に彼女はあの男の婚約者となったのか。

 頭で理解はしても心が拒絶する。周りに群がる女達の声が全て雑音のように聞こえた。


 キャロルと婚約者の仲睦まじい姿を見るのは心に毒だ。しかし、彼女の姿は見たい。そう思った私は毒を心に貯める事を決め、彼女が出る夜会には参加するようにした。どれだけ毒を貯めれば彼女を諦められるのか。見れば見る程、恋しさが募る。


 このままではいずれ悪い事が起きそうだ、そう思い始めたある日の事、彼女の婚約者の様子がおかしくなった。

 今までは二人幸せそうにしていたのに、何故か彼女に恋焦がれるような苦しい表情をするようになった。彼女に変化はない。ただ、そう、本当に婚約者の方が明らかにキャロルに対して不安な表情を見せていたのだ。それに彼女が気付いていたかは分からない。いや、恐らく気付いていない。

 ほんの少しづつ、彼女達の歯車が狂ってきたように感じた。


(ああ、もしかしたら……)


 そして、程なくして二人は婚約を白紙に戻した。しかし戻ったのは婚約だけではない。彼女の瞳も空虚なものに戻っていた。




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